[2021年3月26日]
*今回のキーワードは「感想」と「分析」です。
以下は模試・入試など初見文章題への音羽教室風のアプローチです。
読書や各学校での授業国語では感想が大切です。特に学校国語では文章の背景や
構成は授業中に解説や説明が様々な形で挿入されるので、個々人の感想が待たれます。
ところが入試や模試となると上記の様なアプローチはあまり有効ではありません。
また長文読解とは言っても、その文章は出典から切り取られ、抜き出された狭い範囲です。
読書や国語の授業に対して別種の、或いは対極的な、出題が入試や模試の読解問題です。
日本語能力の検査と言うより、主目的は文章分析力や論旨把握力の測定に置かれています。
同じ魚でも、マグロとフグの様なもので…素材が違えば、できる料理も捌き方も異なります。
記載されている内容を分別し、把握するのが試験・受験に際しての文章読解のテーマです。
出題者側が計測したいのは、【芸術的な文学力】ではありません。【分析する能力】です。
本文の論旨に対しての客観的な把握力を受験者に対して求めているだけです。
しかし、日常生活の中では論旨を意識するケースは殆どありません。【て、に、を、は、が】や
指示語・接続語を漠然と捉え、曖昧な処理を行っても、生活にはあまり影響が無いからです。
対して、受験国語は非生活的なのですが、その非日常的な質問に対して、国語は日本語
だから…とか、普段から読書に親しんでいるから…と、無防備に近付けば結果は明白です。
フグ引き包丁で本マグロの解体に挑むのはやはり無謀なのではないでしょうか。
模試後の振り返りで多いのが、模範解答を見ても、解説を聞いても、自分の回答が何故?
×なのか解らない…とか、何処で?判断ミスをしたのか判らない…等です。釈然としない
ままの状態を放置し、次回の模試でも同質のアプローチを繰り返す例が多い様に感じます。
読書は語彙を増やし、文章への親和性を高めます。しかし、それだけでは得点を固められない
かもしれません。中でも選択肢問題では失点傾向を深めます。読書的なアプローチによって
想像の翼を拡げた解釈では、記述されていない事柄も是と錯覚してしまう危惧を伴います。
【読書的なアプローチ】は【主観的なアプローチ】と換言できそうです。主観に依拠している為、
無難な解説や模範解答では納得に至りません。主観は各個々人に固有の判断基準なので
×を受容できない…と言うより、受信用アンテナを立てていない⇒受け入れたくない訳です。
殆ど無警戒に選択肢を選び、『主観=個人の常識』だから修正も生まれず、失点の繰り返し。
その様な回答は、回答者本人は設問に答えている積りでも、実は本文には準拠できていない
一方的な解釈です。出題者側が求めている正解は本文中に書かれている内容だけです。
回答者独自の見解も、本文内容から逸脱した一般例も、共に求められてはいないのです。
【普通は…】とか【一般常識では…】とか【私なら…】などに代表される主観的な回答姿勢では
間違えてしまう選択肢の敷設は出題の主流です。所謂、ブービートラップの様な選択肢です。
文章的情報の受容に際し、この種のトラップは受験者の客観性や判読力を量る指標です。
同時に、接続語や指示語または反復語などへの理解度を診る手段としても多用されます。
英文読解に比して、国語読解では語彙量・文法力などに起因する得点の格差は圧縮されます。
また過去の事例からも、読解アプローチの安定化は他の教科への波及効果も期待:大です。
読書であれば、嫌いなカテゴリーは回避できます。しかし、読解問題に嗜好は問えません。
また、苦手な内容であれば、分析に徹する姿勢こそ得点への近道なのかも?しれません。
あとは、芸事やスポーツと同じく、正しく練習して慣れるだけです。