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Andante (アンダンテ) 
音 羽 教 室 1:1個別指導専科

[2021年3月26日]

29号:放課後の豆知識;29…「箸」と「ナイフ」

戦国時代の歴史ドラマに度々登場するルイス・フロイスはポルトガルのカトリック司祭です。
イエズス会士として戦国時代の日本で宣教し、織田信長や豊臣秀吉らと会見した様です。
『日本史』『日欧文化比較』『二十六聖人の殉教記録』などの貴重な記録を残し、長崎で没しました。

彼の日欧文化比較には、日本では箸を使う一方で、欧州では手食するとの記載が残るそうです。
フロイスは信長より2歳年長とされますので、16世紀の欧州は手食文化が主流だったと思われます。
現在、世界人口の約40%〜45%程度が手食とされ、箸やカトラリーを抑えて、最大派閥でもあります。
箸派とナイフ・スプーン・フォーク派は残りを折半した其々3割弱…手食文化派は約30憶人±程です。

手食文化圏では食物を口に入れる前に手(指の触感)で味わう為、カトラリーより優ると言われ、
道具よりも良く洗った手の方が清浄であると考えられているそうです。前出のフロイスの記述からも
判る様に、欧州も中世までは手食文化でした。その背景には「指は神様が与えた優れた道具である」
とする宗教的な考え方があったと言われます。単に「道具が無かった」為だけでもない様です。

食卓に最も早く定着したのはナイフで、12世紀頃だそうです。但し、当時のナイフは卓上の肉塊を
切り分ける用途で、個々人用のナイフは15〜16世紀以降と言われます。余談ですが、現在の様な
先端が尖っていないナイフの使用はルイ14世の布告に発する様です。ルイ14世が先端を丸くさせた
理由は、食事用ナイフが凶器として使われるのを嫌った為と言われます。17世紀後半の事です。

スプーンは14〜15世紀頃に食卓に上ります。スープ用です。しかし、当時のスプーンは高級品だった
らしく、専ら上流階級用でした。一般的な普及には17〜18世紀まで待たねばならない様です。
「銀の匙をもって生まれてきた子は幸福になれる」というのは、生まれた子の洗礼の際にスプーンを
贈った習慣からと言われ、その際のスプーンの素材は貧富に因り、銀製は当時の裕福な家の話です。

洋の東西を問わず、スプーンの使用は新石器時代頃から確認できる様なのですが、日本での庶民
への普及は明治以降です。スプーン…匙(さじ)の利用は茶道や医療などの特殊な分野を除けば、
上流階級や外交関連で細々と継続されてきたのが日本での匙:スプーンの歴史…と言えそうです。
また、古い時代では匙・スプーンと言うより、杓子レードルの様な形状だった事も東西の類似点です。

フォークは最も登場が早く、しかし一般化は最も遅れました。食卓用でのフォークは11世紀のイタリア
まで遡る様なのですが、そのイタリアでも普及は16世紀から、英仏では18世紀からだそうです。
初期のフォークは二股で使い勝手が悪かった事が原因と言われています。初期型二股フォーク
使用法は、肉塊を切り分ける際に肉を押さえたり、焙ったりする為の道具だった様です。

さて、です。出土例は古く時代の青銅の箸に始まります。また殷の30代目:最後の王:紂王には
象牙の箸の話が残されていますが、そもそもこれらが現在の用途の箸として認識されていたのか?
…或いは、紂王の逸話が事実なのか?…は判断の分かれる所でしょう。ブロンズアイボリー
そもそもの箸の素材であれば、竹冠の漢字:【箸】とは異なった文字になったかもしれないからです。

「箸」の他に「梜」・「筴」・「筯」・「快」・「筷」などの文字が使われ、「箸」は中国では戦国時代以降とされて
います。文字から察するに箸は竹製品であった事がうかがえます。日本には小野妹子から持ち帰り、
聖徳太子によって推奨されたとされる話が残りますが、遺物としての箸は7世紀後半の飛鳥板蓋宮跡や
藤原宮跡からの出土品として確認されています。

魏志倭人伝の邪馬台国(3世紀)では、「食飲用籩豆手食」と手食していると記述されている点からも、
現在の様な箸の普及が始まったのは7世紀〜と考えるのが無難そうです。遣隋使として渡航した
小野妹子はと一緒にも持ち帰っている様ですが、大陸での匙の普及に比して、日本では椀を手で
持って口を付けて汁物を食する様式が主流となっていきます。匙・杓子は計量分配の道具でした。

スプーンや匙が当初は上流階級や特権階級での使用にとどまったのは、道具としての利便性以前に、
ナイフ・箸に比べてスプーンや匙の造形が容易ではなかった点も理由の一つに数えられるそうです。

英語のspoonには動詞としての用法もあります。愛を表示する…とか、いちゃつく…等の意味の様ですが、
コレはあまりスタンダードな使われ方ではないかもしれません。