[2021年3月26日]
その1
護国寺を仁王門から境内に入ると、正面奥に石段と不老門(中門)、右手に富士塚の鳥居等が見えます。
その脇に「私立獣醫學校発祥之地」の石碑があります。日本最初の獣医養成機関として 1881(明治14)年
に「私立獣医学校」が開設された足跡を語るものです。
富国強兵政策下の当時、陸軍の獣医師9名により、護国寺内で17名の生徒への教育が始まった様ですが、
境内での解剖実習などが問題となり、間もなく茗荷谷に移転…その後も紆余曲折を経る事になります。
戦後の学制改革時に1949(昭和24)年に「日本獣医畜産大学」となるのですが、経済的な理由から
1951(昭和26)〜52年にかけて一部は日本大学農学部と合併し、「日本大学農獣医学部」となりました。
また、他の一部は日本医科大学と合併後も「日本獣医畜産大学」を存続、2006(平成18)年に
「日本獣医生命科学大学」と改称し、今に至っています。
その2
日本の学校給食の起源は、1892(明治25)年に山形の忠愛小学校で無料の食事を配った事が本邦初例と
されています。おにぎりと漬物だけという簡素なものながら、当時の日本では当たり前の昼食だった様です。
1872(明治5)年の学制発布により全国で小学校が置かれる様になる訳ですが、 家庭困窮が主因で小学校
へも通えない子弟も多かった様です。当初、山形県の就学率は50%未満でした。そこで鶴岡の寺院は宗派を
こえ、1889(明治22)年に大督寺本堂の一部に【私立各宗協同忠愛小学簡易科学校】を開設しました。
1892(明治25)年、明治新政府はそれまでの簡易小学校を廃止し、尋常小学校に代える様に指示した為、
私立忠愛学校も明治25年度から尋常小学校になりました。それまでは午前中授業だった忠愛小学校でも
午後の授業が始まり、昼食が必要となりました。しかし、弁当を持参できない困窮家庭の生徒も多く、
無償でのおにぎり支給となったそうです。最初の給食は…皆が共に生きるためには何を為すべきか?
…と言う山形県鶴岡の郡内各寺院の住職の合意に基づく慈善事業・社会篤志の一環だったのです。
その3
校歌:東京女子師範学校(現・お茶の水女子大学)の【みがかずば】は1875年(明治8年)に作られました。
お茶の水女子大学の前身である東京女子師範学校の開校にあたり、明治天皇の皇后(昭憲皇太后)から
1875年12月に御歌が下賜されました。明治11(1878)年10月に式部寮雅楽課二等伶人東儀季煕による
壹越調律旋の譜が付されたそうです。後の明治29(1896)年、高等師範学校に依頼して御歌の撰譜をし、
西洋風の旋律に改められた…模様です。今も、お茶の水女子大学及び附属学校の校歌となっています。
みがかずば 玉もかがみも なにかせん 学びの道も かくこそありけれ
世界で最も短い国歌とされている【君が代】も和歌を初出としています。
10世紀初頭の最初の勅撰和歌集である『古今和歌集』の「読人知らず」の和歌が歌詞となっています。
1880年(明治13年)に宮内省雅楽課が旋律を付け、更にそれをドイツ人の音楽教師フランツ・エッケルトが
西洋和声により編曲した…そうですが、実は正式に日本の国歌として認められたのは1999(平成11)年の
「国旗及び国歌に関する法律」によるもので、この時点で初めて法的な根拠を得る事となった様です。
『古今和歌集』巻七「賀歌」巻頭歌
わが君は 千代に八千代に さざれ石の いはほとなりて 苔のむすまで (読人知らず)