[2021年3月26日]
選び方・数え方にもよる様ですが、街路樹を本数の多い方から上位5種を挙げると、ほぼほぼ…
イチョウ・サクラ・ケヤキ・ハナミズキ・トウカエデと、なる様です。地域や気候・植生によっても序列・
順序は変わる様ですが、この5種の街路樹の中で、或る程度その起点を求め易いのはタイトルの
サクラとハナミズキ…と言えるでしょう。
一般的に桜と言った場合、観賞用や街路樹用のサクラの代表種としてはソメイヨシノを指す様です。
この桜は江戸北部の駒込染井村に集落を作っていた造園師や植木職人達により江戸期〜明治に
かけて育成された…とするのが通説となっています。当時の染井村は植物園状態だったそうです。
DNAマーカーを用いた研究では、各地から収集されたソメイヨシノが同一クローンであることが確認
されているそうです。各地にあるソメイヨシノは全て人手での接ぎ木や挿し木で増やしたものです。
気象庁が沖縄県以東、札幌以西の各地のサクラの開花・満開を判断する「標本木」としているのも
理に適っている訳です。そして、サクラとハナミズキには浅からぬ…米日友好の逸話があります。
残念ながら、現物を観たことは無いのですが、都立園芸高等学校(東京都世田谷区深沢5-38-1 )
には日本に最初に贈られたハナミズキの最後の1樹が残されているそうです。最初のハナミズキは
60本で、うち40本が白色の苗木・20本が桃色の苗木でした。園芸高校のハナミズキはこの60本の
中の一つだそうです。解説では40本のうちの1本となっているので、白のハナミズキかもしれません。
ハナミズキは北アメリカ原産で、合衆国東海岸からミシシッピ川あたりまで自生しているそうです。
日本の桜前線の様に、開花を南部から日を追って報じられる事もあるとか?…ハナミズキ前線?
米国の第27代大統領:タフトによって、前記のハナミズキが日本…主に東京へ贈られた事には、
その前段があります。【全米桜祭り】はご存じでしょうか。ワシントンD.C.で毎年3月最後の土曜日:
ファミリーデーから二週間に渡り催される大規模な祝祭です。1912年3月27日に時の東京市長の
尾崎行雄からワシントンに桜が贈られた事を記念して行わる様になりました。
全米桜祭り【National Cherry Blossom Festival】の発端となった桜の米国への寄贈は尾崎行雄の
主導で行われました。きっかけは、先の日露戦争の講和に助力してもらったアメリカへの謝意を
考えていた尾崎の所へ、高峰譲吉博士と駐ニューヨーク日本総領事:水野幸吉から桜寄贈の話が
持ち込まれた事でした。高峰博士はタカジアスターゼやアドレナリンの発見で著名な化学者です。
高峰・水野両氏から尾崎市長にもたらされた寄贈案でしたが、桜の米国への植樹を最初に考えた
のは…ナショナルジオグラフィック協会初の女性理事だったエリザ・シドモアでした。彼女は初の
日本旅行から米国に帰国した後、埋め立てが行われていたポトマック川河畔沿いに桜の植樹を
提案しました。この提案自体は却下されるのですが、シドモアはこの活動を継続していました。
高峰博士は当時のファーストレディ:ヘレン・ヘロン・タフトに対して、東京の尾崎から2000本の桜を
寄贈する計画がある事を伝え、水野は東京の名で桜を贈ることを提案し、結果…2000本の桜は
1910年1月6日にワシントンD.C.に到着したのですが、これらの桜が昆虫や線形動物に寄生・汚染
されている事が米国農務省の検疫調査で判明し、第一次の寄贈は全て焼却処分となりました。
この教訓を踏まえて、1912年に再度、東京からワシントンに3020本の桜の苗木が贈られました。
1915年に米国から贈られたハナミズキはこの桜への返礼でした。この時のハナミズキ:60本は
日比谷公園・小石川植物園などに植えられたそうです。都立園芸高校に教育財産として最後の
ハナミズキが残されているのは…1912年にワシントンに寄贈されたサクラの苗木造りを担った
一人である熊谷八十三氏が都立園芸高校の初代校長であった事から植樹された様です。