[2021年3月26日]
日本史に取材した小説やドラマ・映画などでは取り上げられる例が少ないのですが、歴史上の
衆知の出来事の前後にも、日本では大きな天災が発生していた様です。
文献上で最初に確認できる日本の地震は『日本書紀』にその記述が残ります。
599年(推古7) 推古地震:M7?大和国(奈良県)
言わずと知れた最初の女性天皇が推古天皇です。推古天皇は即位後間もない推古元年4月に
甥の厩戸皇子を皇太子として万機を摂行(593年5月)させた…とされていますから、聖徳太子も
自然の成り行きで、上記の推古地震には遭遇していた事になります。
また、壬申の乱(672年)で即位した天武天皇の在位中にも多くの天災の記録が残されています。
679年(天武7)筑紫地震:M6.5 - 7.5?筑紫国(福岡県)『日本書紀』
684年(天武13)白鳳地震(天武地震):M8 - 9?
白鳳地震は南海トラフの広範囲で地震が発生していた痕跡が確認されており、日本史で最初の
津波もこの時に記録されています。『日本書紀』では白鳳地震の約5ヶ月後、信濃国(長野県)で
灰が降り草木が枯れたとする記述もあります。これは浅間山、もしくは焼岳(松本市/高山市)や、
或いは新潟焼岳(糸魚川市/妙高市)の噴火による降灰とされている様です。
奈良の大仏の頁でも触れましたが、聖武天皇の治世下でも歴史的な災厄が起こりました。
734年(天平6)畿内七道地震:M7?『続日本紀』
735年(天平7)天然痘大流行…人口の25〜35%?が感染で死亡(〜738年1月頃まで)
745年(天平17)天平地震:M7.9?岐阜県美濃地方『続日本紀』
桓武天皇による平安京(794年:延暦13年)への遷都後にも天災があった様です。
797年(延暦16)南海トラフ地震?
800年(延暦19)〜802年(延暦21)延暦大噴火:富士山
【蛇足】天然痘の流行で相次いで藤原四子が感染死した737年に生を受けたのが桓武天皇です。
藤原勢力の減衰は、非藤原系の桓武天皇即位の遠因になったと考えられている様です。
更に、藤原氏(北家)が台頭、藤原良房や在原業平の頃…866年(貞観8)の応天門の変の前後。
864年(貞観6)+867年(貞観9):阿蘇山噴火
864年(貞観6)〜866年:富士山大規模噴火…貞観大噴火
868年(貞観10)播磨国地震:M7?『日本三代実録』
869年(貞観11)貞観地震:M8.3〜8.7?陸奥国地大震動、及び貞観津波『日本三代実録』
富士の貞観大噴火では、北麓にあった湖:剗の海(せのうみ)の大半が溶岩流で埋まった様で、
埋没を免れた西端部が精進湖、東端部は西湖に相当するそうです。この貞観噴火での溶岩流は
青木ヶ原溶岩と呼ばれ、今の青木ヶ原樹海はこの溶岩の上に新たに森林が形成されたものです。
特徴的なものをピックアップしてみましたが、上記の通り、平安期以降になると文献による確認にも
該当する資料が増えてくるのを感じます。なお、この他にも旱魃・冷害・台風などの…資料確認が
容易とは言い難い天災地災も日本の生活史からは切り離せません。
都市型の災害としては…天然痘・コレラ・麻疹などの伝染病や、大規模火災なども、時代が下って、
都市が大規模化するに伴い、その脅威を増していった事も想像に難くありません。ですが、4世紀…
或いはソレ以前からの、各種の厄災を潜り抜けた歴史の後に、今があるのもまた事実でしょう。