[2021年3月26日]
明智・・・と言うと、明智光秀が多分一般的ですが、文京区関連だと明智小五郎もアリでしょう。
明智小五郎は江戸川乱歩の『D坂の殺人事件』で初登場した私立探偵ですが、このD坂は
白山から谷中へ入る大観音通りの東の端の坂:団子坂の事です。江戸川乱歩自身も一時は
この団子坂上に三兄弟で住んでいたそうです。しかし、今回の話題は光秀の方です。
また光秀で坂本・・・と言うと、近江坂本:坂本城が連想されますが、今回の坂本は幕末の龍馬
の方です。光秀も龍馬も共に時代の末期に出て活躍し、新時代を見ずに他界した傑物です。
生存説が残る点でも似ています。生存説では…やはり龍馬・光秀・義経でしょうか?
さて、テーマの家紋ですが、光秀と言うより明智家及びその主筋の土岐家の家紋は有名な
「水色桔梗」です。桔梗は秋の七草の一つで、万葉〜平安初期の和歌では朝貌・朝顔の名で
詠まれている様です。現代のアサガオは奈良〜平安初期では薬用の外来植物でした。
また、万葉〜平安期には槿(ムクゲ)もアサガオと呼ばれていた様で、出典中の朝貌・朝顔を
特定するのはなかなかに至難の業と言えそうです。
桔梗は「岡に咲く神草」という意味で『岡止々支』(オカトトキ)とも呼ばれ、土岐氏が本拠とした
土岐の地名はこのトトキの咲くところから生まれたという説があります。あの鬼退治で有名な
源頼光の長男:頼国が美濃の国の土岐の郡に定着したのが美濃源氏:土岐氏の始祖とされ、
その系譜には頼光の頼の文字や、光の字を嗣ぐ者が多いとされます。
土岐氏傍流の明智氏も上記の水色桔梗紋が旗印でした。戦国時代、黒一色の家紋の中で、
水色の家紋は目立ちました。平氏である織田信長は土岐氏支流の明智光秀の桔梗の家紋を
羨望した(?)とも言われていますが、流石の信長も「織田瓜」の家紋は変えなかった様です。
桔梗紋は清和源氏土岐氏が主に用いた家紋であり、その庶流や一族も好んで用いたそうです。
更に、土岐氏に連なる一族・庶流・傍流では桔梗を含む家紋を用いている例も多い様です。
「組合い角に桔梗」は龍馬の坂本家の家紋です。真偽の程はさておき、坂本家は光秀の娘婿
であった明智光春の子、明智太郎五郎を先祖としているから…との伝承も残っているそうです。
坂本姓の由来は、本能寺の変以前、明智氏所領であった近江坂本に由来するとも言われます。
しかし、坂本の地名は全国どこにもあり、桔梗紋発端の後世の創作だろうとする声も強い様です。
龍馬自身も紀貫之の子孫と自称したとされ、墓石にも「坂本龍馬 紀直柔」と名が彫られた様です。
龍馬は通称で、姓は坂本、諱は直陰(なおかげ)、後に直柔(なおなり)が本名と伝わっています。
尤も、【桔梗紋・坂本姓➡明智】or【土佐➡貫之】では…五十歩百歩と言われてしまいそうです。
龍馬・光秀・義経…など、史上没後の生存説が残るのは、それが事実か否かではなく、そこに
幾ばくかの願望や残照が含まれているからかもしれません。
それから、水色桔梗と呼ばれますが、本当は薄い紫だった…とか?
水色桔梗 組合い角に桔梗 笹龍胆