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Andante (アンダンテ) 
音 羽 教 室 1:1個別指導専科

[2021年8月6日]

67号:月と言葉

もともと、地球の衛星の【月】から派生したのが、「一ヶ月」などに使われる【月】と言われます。
この時間の単位としての【月】は、地球の衛星である「月」の満ち欠けの様子を観察する事で、
容易に時間の経過を共有できる性質から生じた…とされています。

新月から次の新月までの期間が本来の【ひと月】です。平均で約29.53日と計算されていて、
これが【月】の満ち欠けを基本とした【一ヶ月】の長さなのですが、29.53×12=354.36日となり、
現在の太陽暦上の1年:約365.24日には10.88日程足りません。

上記の様に、1年で約10日強不足なら、約3年弱で暦が1月分ズレてしまいます。そのため、月齢
基本とした太陰暦では閏月が追加として設けられてきました。太陰暦では約3年に1度の割合で、
1年が13か月となる年度が存在した計算です。一般的には通常の月の後に追加された様です。
明治3年を例にとると、1月・2月…(中略)…9月・10月・10月・11月・12月、の様な具合です。

日本でも明治5年まで太陰暦が使われてきました。太陽暦への切り替えは明治5年明治6年
際に行われたのですが、その導入は明治5年12月2日➡明治6年1月1日として、欧米に合わせた
事から、明治5年の師走は2日間だけとなってしまった様です。しかし、この太陽暦の採用以降、
和暦と西暦の齟齬は解消されました。以下には、【月】に由来する言葉を幾つか挙げてみます。

一日(ついたち)=月立ち…新月状態から最初に細い月が出てくる様子を「月が立つ」と言ったので。

三日月(みかづき)=朏(みかづき)…2日目から3日目の薄い月の状態。【朏】…視て字の如しですね。

十五夜(じゅうごや)=満月・望月(もちづき)・望(ボウ)

十六夜(いざよい)猶予:「ためらう」の意味。一説に、満月より月の出の時刻が遅れる事から。
16夜〜17夜目:立待(たちまち)月、17夜〜18夜目:居待(いまち)月、
18夜〜19夜目:寝待(ねまち)月 or 臥待(ふしまち)月、19夜〜20夜目:更待(ふけまち)
…【猶予:十六夜】以降の月の出が遅れていく様子を、立って・据わって・寝て臥して待つ様子から。

晦日(みそか)=本来は「つごもり」(月隠り or 月籠り)で、月が見えなくなる様子。27夜目〜28夜目。
もともとの「三十(みそ)」+「日(か)」とは、左記の様に「30夜」目を指すもの。

秋の名月秋の名月:本来は旧暦の8月の満月の事。7月:9月:の間で、本来は
夏の満月を指すものではありませんでした。【芋名月】の名もあり、旧態では月見団子ではなく、
里芋を供えていた事からも、秋の収穫儀礼に由来するものと言われています。

月代…「さかやき」:武士が額の髪を頭頂部にかけて剃り落とした事、その半月型からの名称。

月並…「つきなみ」:ありふれていて面白味に欠ける事。明治の頃まで、俳諧の月例会を月並の会
と呼んでいました。その句調の平凡さを批判して「月並調」正岡子規が呼んだ事が発端の様です。
革新運動の発起であった子規は、俳諧を俳句として改めましたが、平凡=月並を世に広めたのは
夏目漱石…と言われています。

最中池の面に 照る月なみを 数ふれば 今宵ぞ秋の もなかなりける
この、拾遺和歌集:巻3・秋171源順の和歌を知っていた公家達が、宮中の月見の宴の際に
白くて丸い餅菓子が出されたのを見て、会話のなかで「もなかの月」という言葉が出た事から、
菓子の名称に使われる様になった…と言われます。江戸時代に江戸の吉原の菓子屋で考案された
菓子も、この話を基にしたとされ、名称もそのまま「最中の月」とされた様なのですが、円形でない
種類も出回り始めた後は、「最中」と略される様になった…とか。この江戸吉原の最中は煎餅の様な
菓子だったする話も残っています。「もなか」は本来「ど真ん中」の意、上歌の月なみは月齢です。

正月…一説に、始皇帝:嬴政の降誕月を【政月】と呼んでいたものが、中世以降に変化したとも
言われています。例えば、鎌倉幕府の三代目将軍:源実朝の家集(私家集)の『金槐和歌集』
は大臣の唐名を表し、とは鎌の偏を表し、別名:「鎌倉右大臣家集」と呼ばれます。
画数を省略し、を省くのは珍しい事例ではありませんでした。

また、ローマの皇帝たちが慣例的に自身の名を暦の月の名称として名付けた事も知られています。
July:7月はユリウス・カエサル(Julius Caesar):シザーから、August:8月がローマの初代皇帝の
アウグストゥス(Augustus):オクタビアヌスに由来しているのはその名残と言えるのでしょう。