[2021年9月14日]
前回の難読地名で京都左京区の先斗町の読みが「ポントチョウ」なのは、ポルトガル語に由来
しているかもしれない…と、お伝えしましたが、日本には他所にもその名称・呼称が海外や外国
からの来訪者に起源があると想われる場所があります。
「綾」「高麗」「唐・韓」などの文字や音を持つ地名は主に大陸や半島に因む例も多い様ですが、
先ずは先斗町と同じ京都の太秦からです。有名な映画の撮影所や映画村のお蔭でしょうか?
太秦を「ウズマサ」と読めない方はあまり多くは無い様です。
国宝:稲荷山古墳出土鉄剣で有名な、埼玉県の稲荷山古墳より出土した鉄剣の金象嵌銘には
「獲加多支鹵大王」(ワカタケルノオオキミ)とありますが、この「ワカタケルノオオキミ」は第21代の雄略天皇の
事とされています。そして、この雄略天皇の代に同地を賜ったのが渡来系豪族の秦氏です。
また、国宝:木造弥勒菩薩半跏像…通称:宝冠弥勒は教科書にも載っていますが、この半跏像を
安置する京都最古の寺が太秦の広隆寺であり、同寺は秦氏の氏寺とされています。太秦:ウズマサ
は当て字かと想われますが、秦氏が養蚕の技術者集団で、絹をうず高く積んだから…とか起源を
伝える幾つかの説がある様です。確かに「秦氏のハタ」は「機織りのハタ」とも言われている様です。
秦氏の秦は始皇帝で有名な秦:シンに関係があるとも言われますが、真偽は定かではありません。
しかし、その点、岐阜は中華王朝にあやかっている事がほぼ確実な日本の地名と言えそうです。
『信長公記』によると尾張の織田信長が、北方の美濃国を攻略した際に、稲葉山城下の井口を
改称して、岐阜としたとされています。「阜」は丘:おか=台地…またはそこに連なる場所を示す
漢字ですが、曲阜の阜を指すとも言われます。曲阜は山東省内陸の都市です。孔子生誕の地と
され、世界遺産の登録も受けています。また、岐阜の「岐」は中国の岐山からです。
岐の岐山は中国内陸の長安(西安)から更に西北西に約80km程入った辺りで、中華平原の側
から見れば、函谷関以西は田舎や鄙と言う様な、山がちの地勢です。しかし、この岐山が周の
王朝発祥の地です。また、秦の都:咸陽は渭水を挟んで長安(西安)の北岸に位置しています。
周の東遷後、周の都が鎬京(長安の南西部)から洛陽に移つると、同地を秦が治めた訳です。
信長は【周の大平と孔子の学】この二つを併せ、稲葉山を岐阜に改めたと伝わっている様です。
さて、前出の太秦には別の由来も残されている様です…実は太秦の「ウズマサ」はアラム語で
イエスキリストの事で、渡来系の秦氏が信仰していたのはネストリウス派キリスト教だったので
…と言うのですが、なかなか俄かに飲み込めない気もします。対して、伊豆諸島南端:孀婦岩は
紛れも無く聖書由来の地名(?)です。その海底から屹立する姿は1本の蝋燭にも喩えられます。
太平洋戦争後、日本は多くの島嶼を国外に委ねました。1946年:昭和21年に伊豆諸島が復帰し、
1952年:昭和27年に吐噶喇列島が復帰する迄の間、この岩が日本の最南端でした。標高99 m、
面積0.01 ㎢(東西84 m・南北56 m)。火道に残ったマグマが硬化してできた安山岩の岩頸です。
1788年:天明8年、英国のミアーズはマカオから北米へ向かう交易の途上でこの岩を発見した…
とされるのが、現時点で確認可能な孀婦岩の初出と言われています。彼はこの岩の形状から
『旧約聖書』創世記19章26節に記されている、神の指示に背いた為に塩の柱に変えられた女性
を想起し、「Lot's wife(ロトの妻)」と名付けたそうです。多分、本邦唯一:聖書由来の地名です。
「孀婦」とは「やもめ」の事で、「Lot's wife」の意訳の様です。旧約聖書では…ソドムとゴモラを
神が滅ぼす決定をしたと天使が預言者:ロトに伝えると、彼は妻と2人の娘を伴い、ソドムを脱し、
近隣のツォアル(ベラ)へ向かいます。その退避に際しては「後ろを振り返ってはいけない」と予め
告げられていたにもかかわらず、後ろを振り返ってしまったロトの妻は塩の柱と化してしまいます。
2018年9月29日の「NHKスペシャル」秘島探検 東京ロストワールド 第2集「孀婦(そうふ)岩」でも
紹介されました。上記のミアーズの記録には「何か超自然的な力が、突然この岩の形を現在の
様な形に変えたのだ、と船員たちは強く信じたがっていた」…との記述も残されているそうです。
太平洋の海面に忽然と立ち尽くす姿に、ミアーズらの驚きも推して知るべし…なのでしょう。
【Pillar of Lot's wife】:ロトの妻の(塩)柱…イスラエル南東部:死海西岸のソドム山上が本家とか。