[2022年1月28日]
熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな
【𤎼田津尓 船乗世武登 月待者 潮毛可奈比沼 今者許藝乞菜】
(大意)熟田津で船出しようと月を待っていたら、潮が満ちてきている。今、漕ぎ出そう。
あまりにも有名な額田王の歌です。万葉集:第一巻/8番目の歌になります。
熟田津:ニキタツ(ニギタヅ)は伊予(愛媛県)の瀬戸内側の港とされています。日本書紀によれば、
時の天皇がこの付近に滞在していたのは1〜3月頃となっています。白村江の海戦関連の歌と
される事が多い様ですが、その点は必ずしも確定されている訳でもない様です。勿論、この歌の
発する潜在的で静かなハイテンションモードは出港よりも、出陣の方が相応しいかもしれません。
さて、潮来とか潮見などの地名に対して、汐留や汐見という地名も各地に散見されます。また、
干潮満潮の潮位変化を「しほ干る・しほ満つ」などとも表現します。神功皇后による三韓征伐は
フィクションの域を出ませんが、そこにも潮干珠(しおひるたま)・潮満珠(しおみつるたま)が登場
します。海幸彦・山幸彦の神話にも潮満瓊(しおみつたま)・潮涸瓊(しおひのたま)が潮位の干満
を操る場面があります。潮位の字面からも判る様に、「潮」は先ず海水面の変化を表す文字です。
…では、『潮汐』と言った際の「潮」と「汐」は何を示しているのでしょう。
ご存じの方はさて置き、直感的な方も、分析能力に富んだ方も、洞察しているかもしれませんが、
「氵(サンズイ)」+「夕=セキ」と「氵」+「朝=チョウ」ですので、本来の「汐」は夕方の干満を指し、片や
「潮」は朝の干満を示す文字でした。漢字熟語での似た意味の文字を重ねて一語と為す一例です。
或いは、汐見や潮見の地名には、その辺りの地勢や利用特性が滲んでいるのかもしれません。
上記、額田王の歌に「潮」とあるので、これは少なくとも午前中の出航であった可能性があります。
調べてみると、この出航は1月23日の午前2時頃ではないか?とする説が実在していました。
偶然の符合か、または常識的な合致だったのか…それは不詳ですが、満月の光を受けて歌を
詠唱する額田王の姿がピンスポットで浮き上がってくる様な気がします。
ニキタツは熟田津と一般的には表記されていますが、令和の元号のもととなった中西進先生の
解説本では【𤎼田津】となっています。『𤎼』は「就」+「火」で構成された文字ですが、並み程度の
漢和辞典では採録されてもいません。また、津の在った場所も、候補地は複数挙がっていますが、
「ココ!」との同定はされていない様です。
神功皇后の干珠・満珠、或いは山幸彦の潮満瓊・潮涸瓊は、共にその後身が山口県下関市の
長府沖:瀬戸内海は周防灘の【満珠島・干珠島】であるとされています。二島の属する忌宮神社
(いみのみやじんじゃ)は山口県下関市の神社で、元は仲哀天皇が滞在した行宮:豊浦宮の跡と
されています。二島は至近距離にあり、どちらが満珠島か干珠島か不明な様ですが、忌宮神社
では大きい方を満珠島、岸に近い方を干珠島と呼んでいるそうです。
後年、この二島は壇ノ浦の戦いでは源氏方の根拠地となった様です。壇ノ浦海戦の後半では
潮流が反転し、義経軍は潮勢に乗じて猛攻撃を仕掛け、平氏船隊が壊乱状態になった事で
源平の帰趨が決した…とされているのも干満の縁の様なものを感じさせます。