[2022年4月15日]
ボストーク1号(Boctok-1:露語/Vostok-1:英語/東方1号:意味)、それは1961年に旧ソ連に
より実現された人類初の有人宇宙飛行、及びそのミッションで使用された宇宙船の名称です。
ユーリイ・ガガーリンを乗せ大気圏外に達し、地球周回軌道に至った人類初の偉業でした。
打上げ:1961年4月12日6時7分 。帰還(着陸/着水)1961年4月12日7時55分。ガガーリンは
約108分間の飛行後、無傷で帰還。地上約7000mの位置で射出座席により再突入カプセルから
離脱し、パラシュートで地上に降り立ったとされています。
打上げ点はバイコヌールで、当初は【北緯47°22′00″/東経65°29′00″】と発表された
そうですが、実際は【北緯45°55′12.72″/東経63°20′32.32″】の地点だった様です。
現在、バイコヌールはカザフスタンに属していますが、ボストーク1発射当時はソ連の一部でした。
さて、前出のバイコヌールは現在のカザフスタン共和国クズロルダ州の都市で、現在に至るも
ロシア連邦が使用権を持って管理している都市すが、こちらは謂わば、新バイコヌールとでも
呼ぶべき都市で、カザフスタンには旧来のバイコヌールが、新バイコヌールとは別に存在し、
本来の元バイコヌールは鉱工業の街とされています。
宇宙基地の街:新バイコヌールは、カスピ海の北部とバルハシ湖の西岸の、ほぼ中間の辺り、
南側のウズベキスタン共和国の国境から北方に約200?付近に位置し、この新バイコヌールの
緯度経度が上記の【北緯45°55′12.72″/東経63°20′32.32″】に相当します。
新バイコヌールの旧称はチュラタム(⇒レニンスク)。1995年12月20日にエリツィン大統領により
現称へ改名(レニンスク⇒バイコヌール)されました。【北緯47°22′00″/東経65°29′00″】
は旧来のバイコヌールの位置で、元バイコヌールは新バイコヌールの北東約320?付近です。
作為の理由は、宇宙基地の場所を秘匿する為だったと考えられている様です。
新バイコヌールは、元々は1955年にソ連がチュラタムのシルダリア河畔に建設した大陸間弾道
弾:ICBM(intercontinental ballistic missile)の発射場でした。前述の様に、現在でもロシア連邦の
租借地ですが、つい先日のニュースでロシアとベラルーシの大統領が共同会見を行った極東:
ボストチヌイ宇宙基地はロシアの自立性を高める目的で、旧スヴォボードヌイ宇宙基地の跡地
に再建されています。
バイコヌールの租借料は年間1億1500万USドルとされ、通貨もロシアのルーブルが流通している
そうです。ロシア租借地としてのバイコヌールは閉鎖都市…またはそれに準ずる機密保持の街
と言われており、カザフスタンには宇宙基地を中心としたバイコヌールの他に、セミパラチンスク
核実験場を基とした街:クルチャトフが、それに該当する様です。この他、ロシア国内やCIS諸国
にも数十の機密保持の為の都市があるとされています。
第二次大戦前後の米国でも原爆関連の都市として、オーク・リッジ/ロスアラモス/ハンフォード
が機密都市としてコードネームで呼ばれていた様です。同様に太平洋戦時下の日本でも瀬戸内
の大久野島(現:広島県竹原市)が毒ガス開発の島として戦前は地図から消されていました。
現在では、ほぼ全島域が環境省所有の国有地で、「ウサギの島」観光でも有名です。