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Andante (アンダンテ) 
音 羽 教 室 1:1個別指導専科

[2022年4月17日]

91号:『地球は青かった』‥ユーリ・ガガーリン

ユーリ・ガガーリンが人類初の宇宙飛行から帰還してすぐにおこなわれた歓迎パーティーに、
ロシア正教のモスクワ総主教のアレクシス?世が列席していた

「宇宙を飛んでいたとき、神の姿が見えただろうか?」と総主教はユーリにきいた。
ユーリが「見えませんでした」と答えると、
「わが息子よ、神の姿が見えなかったことは自分の胸だけに収めておくように」と総主教は言った。

しばらくたって、ニキータ・フルシチョフもユーリに同じ質問をした。
総主教の言葉に敬意を払って、こんどは
「見えました」と答えると、フルシチョフは言った。
「神の姿が見えたということはだれにも言わないように」
ユーリは青い瞳を輝かせて、じつにうれしそうにこの笑い話をしてくれた。

このエピソードは、原題:Two sides of the moon(邦題:『アポロとソユーズ』)の295ページの
小見出し:「モスクワ川の思い出―アレクセイ・レオーノフ」の冒頭部で紹介されています。
唯物史観では神の存在は肯定的に捉えられていないと考えられていたからでしょう。

ニキータ・フルシチョフは、レーニン⇒スターリンに続く、ソ連3人目の最高指導者で、
当時の第一書記でした。職権の内実は書記長と殆ど同じだった様です。

アレクセイ・レオーノフは1965年に世界で初めて宇宙遊泳を行ったソ連の宇宙飛行士です。
この人類初の宇宙遊泳では想定外に宇宙服内の気圧が上がり過ぎて服が膨張、拳を握るのも
不可能だった為、エアロックを通ってボスホート2号の船内に戻る事が出来なくなったそうです。
彼は咄嗟の判断で、与圧バルブを開いて空気を逃がし、帰船できたと同書で紹介されています。
レオーノフとガガーリンは同期の宇宙飛行士で親友だった事も同書では述べられています。

上記の「神はいなかった」発言はガガーリンの言葉として有名ですが、実はゲルマン・チトフ
米国シアトルでの「神は見当たらなかった」発言が誤って流布されたものと言われます。
ここで、人類が宇宙空間に達した順番を以下に挙げてみると…
?ガガーリン(ソ連:軌道飛行)
?アラン・シェパード(米国:弾道飛行)  ?ガス・グリソム(米国:弾道飛行)
?チトフ(ソ連:軌道飛行)   ?ジョン・グレン(米国:軌道飛行)
チトフは人類で4番目、ソ連人宇宙飛行士、及び地球周回軌道を飛行した2番目の人物です。

?番目のジョン・グレンは、1962年のマーキュリー6号(フレンドシップ7)により、米国で最初に
地球周回軌道を飛行した宇宙飛行士です。このマーキュリー計画を基に映画化された作品が
「ライトスタッフ」(正しい資質)であり、1998年10月29日発射のスペースシャトル:ディスカバリー号
には、ジョン・グレンらと共に日本人女性初の宇宙飛行士の向井千秋さんも搭乗していました。

さて、話を戻して、ガガーリンの「地球は青かった」ですが、日本に比べると海外ではあまり有名な
発言とは言えない様です。1961年4月13日のイズベスチヤ(ソ連政府の政府見解が発表される
公式紙)に掲載されたオストロウーモフ記者のルポを直訳すると、理由の一端が解りそうです。

着陸地点付近から送られたルポ記事の引用が「地球は青かった」…だった筈なのですが、実は
直訳では「空はとても暗かった。一方、地球は青みがかっていた」…となる様なのです。しかし、
日本の新聞では幾紙かに「地球は青かった」と記載されました。故意か?誤訳か?は未詳です。

上記の様な経緯で、ユーリ・ガガーリンの残した名言として確実で、有名なものは…
「さぁ 行こう」(露語:Поехали ⇒ カナ表記:パイェーハリ)になるのでしょうか。
ボストーク1号発射の際に発したとされます。この言葉は、人類史上での宇宙時代の開闢を
告げる言葉として、歴史的な一言となった様です。