[2022年6月25日]
たなばたの主役は織女と牽牛です。織女はこと座のベガ・牽牛はわし座のアルタイル。
共に1等星ですが、7月7日頃の20:00辺りのアルタイルは未だ高度が足らず、都心部からは
建物の陰で視認が困難な場所も多いのが実情です。アルタイルが20:00に南中するには
約2か月後を待つことになります。また、7/7の本州〜九州は梅雨の直中でもあります。
本来のたなばたは旧暦7月の神事で、五節句では七夕(しちせき)でした。
旧暦七月七日の夜は、月齢が6前後で、船の様な形の月が南西の夜空に浮かんでいて、
旧暦は太陰:月の満ち欠けを基とした暦法なので、毎年の月と星の配置はほぼ同じでした。
天(あめ)の海に 雲の波立ち 月の船星の林に 漕(こ)ぎ隠る見ゆ 巻七(1068)
この歌は万葉集巻七の冒頭に置かれた柿本人麻呂の作です。記紀に限らず、日本の古典には
星に取材した作品が少ないのですが、この1068〜1089までは、天の月を詠んだ歌が続きます。
1068番歌自体はたなばたを詠んだものではありませんが、天平や奈良の頃には唐から七夕の
説話が輸入されていたと言われています。
唐からもたらされた七夕神事に、日本の棚機津女(たなばたつめ)の伝説が習合して生まれた
のが日本のたなばた催事とされている様です。牽牛星・織女星が耕作・蚕織を象徴する行事は
農耕を軸とした近世までの日本社会には馴染み易かったと考えられます。
日本の七夕が毎年の様に雨天となるのは、前記の様な新旧の暦法によるものでした(?)が、
どのくらいのズレか?と言えば、明治5年12月は1日・2日までで、旧暦12月3日が新暦:明治6年
1月1日となり、これが日本の新暦導入でしたので、旧暦⇒新暦のズレ具合も推し量れそうです。
さて、明治改暦から閑話休題。「かごめかごめ」はご存じでしょうか?
歌詞中に「夜明けの晩に 鶴と亀がすべった」とありますが、では…「夜明けの晩」って何でしょう?
通常の解釈で「夜明けの晩」は、日没後の夜半の深夜0時を過ぎて翌日になった時間帯…つまり
翌日の未明を指す言葉とされます。たなばた神事は本来はこの時間帯がメインだった様です。
7月6日の日が暮れて、更深に日付が7日に変わった深夜のAM1:00前後に行われたのが本来の
七夕の姿だった様で、七夕神事は夜明けの晩の神事でした。上記した様に、新暦7日では彦星の
高度が足りません。旧暦で1か月ズレても20:00前後では南中には至りません。ですが、これが
真夜中であれば、新暦でも旧暦でも彦星は南中前後の高い位置に見える様になります。
ベガの出現はもともとアルタイルよりも早く、夏の大三角形の3つ目:はくちょう座のデネブは
ほぼ通年で確認できる周極星ですので、7月7日未明、しかも旧暦であれば、梅雨明けの空に
舟形の三日月と共に天の川の両岸に織女と牽牛の姿を追うことは格段に容易になる事でしょう。
新暦:グレゴリオ暦の7月7日は盛夏ですが、旧暦では殆どの年で、立秋を過ぎているので、
古典や和歌・俳句・歳時記での七夕は秋の季語となっています。
ベガをα星とすること座、アルタイルをα星とするわし座。トレミー星座では関連性が無い様に
思われる星☆同士ですが、実はベガ・アルタイルにもその名称に由来と関連性がある様です。
ベガとアルタイルそれぞれの古称は…
ベガ:Vegaはアラビア語で「急降下する鷲」を意味する「アン=ナスル・アル=ワーキ」に由来、
アルタイル: Altairはアラビア語で「飛翔する鷲」の意の「アン=ナスル・ッ=ターイル」の短縮型、
…とされています。古い時代のこの二星に、何らかの関連性の存在を感じさせる古称です。
洋の東西を問わず、天漢の両岸に位置する2つの一等星に、有史以前から人々が関心を寄せて
いた可能性は少なくないと想われます。他にも、西洋のオリオン座に当たる星域が古代中国では
参宿(シン シュク)とされていたり、おおいぬ座のα星:シリウスが中国では天狼と呼ばれていたり…
などの共鳴的な例を挙げることも出来ます。
スマホやディスプレイから眼を上げて、梅雨の幕間の夜空を眺めるのも一興かもしれません。