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Andante (アンダンテ) 
音 羽 教 室 1:1個別指導専科

[2022年8月6日]

99号:「訓め」ますか? ⇒ 「よめ」ますか?

訓読:クンドク or 訓読み:くんよみ…とは、個々の漢字をその意味に相当する日本語の発音に
よって読んだり・発声したり・認識したりする際の読み方を指します。通常は平仮名で表記され、
字訓:じくん、或いは単に訓:くんと呼ばれます。漢字の中国語的な発音に由来する「音読み」
対照的、またはセットで扱われます。因みに…(よ)とは、漢字をで表す事(大辞林)です。

遣唐使・遣隋使以前から渡来人・帰化人により大陸からもたらされた漢字ですが、その後には
日本国内で作られた和製漢字:和製国字:国字の発生・普及もあり、特に国字には音読みの
無い文字も少なくありません。…などが
国字と言われます。峠:ビョウ働(はたら)く:ドウ鱈(たら):セツには音での読みがある様です。
また、湯桶読み重箱読みなど、「音」発音と「訓」発音とが混在した熟語も例外的に存在します。

更に、その漢字や熟語が国内に導入された経緯や時代などによっても、呉音漢音唐音などの
様に、同じ一文字の漢字でも音読みの発音が異なる文字も多々あります。「行」:ギョウ・コウ・アン
などはその顕著な例かもしれません。現代の日本語の発音:平(カタ)仮名は約50文字弱ですが、
それらを当てはめるべき文字における音の組み合わせは数え尽くせるものでもありません。

『楼門五三桐』ではありませんが、「世に誤字・誤読の種は尽きまじ」と言ったところでしょうか?
しかし、誤字・誤読が世の常とは言っても、大惨事(?)として記憶されてしまうこともあります。

「末永くお健やかであらせられますことを願って已みません」
これは、或る歴史的な国家行事に際しておくられた言葉からの借用です。慶賀な響きですが、
ここで躓いたのが、末尾の『已みません』でした。この【已】の字は【巳】【己】との混同への注意が
喚起される文字なのですが、『やみません』の「やむ」=「已む」の様に用いられる所が難点です。

例えば「胸のイライラが已んだ」…の様に使われます。何かの継続状態の停止・解消を意味する
場合が多い様です。「已みません」は、その否定形です。五段活用動詞「已む」の連用形「已み」
に、丁寧の助動詞「ます」の未然形+打消しの助動詞」「ん(ぬ)」の付いたもので、意味としては
その状態の停止しない事…つまり状態の継続を願い続けていることになります。

一般的な聞き覚えとしても、祈ってやみません/望んでやみません…などの様な文言は頻繁に
耳にしますので、「已む」を「やむ」と訓読できなかったとしても、機転を利かせる事はできたかも
しれないのですが、歴史的な舞台が緊張を高めた点は否定できません。私事ですが、実際には
『願ってみません』の様に聞こえました。類縁の『…に堪えません』なども使い方は要注意です。

上記は「退位礼正殿の儀」での出来事でしたが、過日「大喪の礼」を『たいのれい』と
発音してしまった政治学者のミスも記憶に新しいところです。肩を持つ訳ではありませんが、
他人のミスを不必要に過大な扱い方をするのには賛成致しかねます。明日は我が身です…し。

ミスは誰にでも起こり得ます。大切なのは、それを恥じたり、隠したり、逃避することではなく、
先ずはミスを認めることかもしれません。ミスは修正すれば良いと思います。そして、更に重要な
事は、その経験を活かし、ミスを出さない様に事前に準備する姿勢ではないでしょうか。学習指導
の場面でもこれは重要な点として捉えています。謂わば、自信は大切・過信は大敵…でしょうか?

以前の国会答弁の際にも、「訂正でんでんという指摘は全く当たりません」と応じてしまった件が
ありました。これは云々うんぬん「伝々:でんでんと誤ってしまったケースと言われています。
『云々:うんぬん』とは、引用や語句の続きを省く際に使用される表現です。

「大喪の礼」はたいそうのれいです。「願って已みません」はねがってやみませんです。
確かに失態なのですが、「古今未曾有の事」と言う訳でもなく、ミゾウとは読めなかった方も
過去にはおられた事でもあり…云々(後略)。