[2022年8月18日]
漢字は意味と音とで構成されています。特に、偏・旁・冠・脚などの複数のパーツから成り立つ
漢字には「意味+発音」の傾向が顕著に表れている例が多い様です。「講」「構」「溝」「遘」「購」
は全て『コウ』と発音する文字です。この例からも【冓】が『コウ』の音を示している事は自明です。
上記例の「講」「構」「溝」「遘」「購」で、【冓:コウ】の旁は「組む or 組み立てる」意味を含みます。
「講」…【言】+【冓】⇒発言して、心を通わせる⇒「講和」「講堂」
「構」…【木】+【冓】⇒木を組み上げる⇒「構築」「構成」
「溝」…【水】+【冓】⇒組み上げられた水路=みぞ・ドブ⇒「海溝」「排水溝」
「遘」…【辵】+【冓】⇒「道」+「冓」…人が道で出会う・遭遇する:【遘=逅】⇒「邂逅」
「購」…【貝】+【冓】⇒金銭+「冓」⇒その金銭に見合うものを買い取る:贖(アガナ)う⇒「購読」
『言』『木』『水』『道』は何とか意味の推測が出来そうですが、何故?『貝』は金銭なのでしょう。
ここで出てくるキーワードが【貝貨】です。通常は「バイカ」、或いは「かいか」と発音します。
【貝貨】は欧州圏を除き、世界の多くの地域で紀元前から使用されていた貝殻を用いた貨幣です。
貝が貨幣に選ばれた理由は、 数え易い。小額決済向き。模造されにくい。数・大きさを揃え易い。
腐食・変質が少ない。取引対象の財貨に中立性が高い…などの理由が挙げられるとの事です。
現在でも「1円玉」を鋳造するのに「3円」のコストを要す…的なCMを見掛けますが、古い時代では
金属を地中や岩石中から取り出し・加工するには膨大な手間と費用を投下する事が必須でした。
例えば、西洋で一般化された順にカトラリーを並べると、ナイフ・フォーク・スプーンの順になるそう
ですが、これはスプーンの形を均一的に製品化する事が最も難しかったから…と言われています。
日本でも飛鳥期から無文銀銭・富本銭や皇朝十二銭(708年:和銅元年〜963年:応和3年)などが
造られましたが、「流通」と呼ぶには覚束ない状況だった様です。また、上記の「購」で示した様に、
貨幣が流通するには、物々交換の即決性を凌駕するメリットが必然となります。
この際のメリットには「移動の容易さ」・「一般経済下での認知度」が先ずは挙げられそうです。
世界的な経済と物流が出現した時期に貝貨も世界的な流通を見せます。当時、新大陸は未だ
発見されていませんでしたが、ユーラシア〜北部アフリカを広く覆ったのがモンゴル帝国です。
モンゴルや元では秤量貨幣の銀が主体で、ユーラシア征服の邁進と併せて、貿易に銀を使った
ことで、世界的交易路が銀で活性化し、小国ごとの関税・通行税などの廃止と呼応し、大陸的な
銀循環の経済が生まれました。この際の併用通貨として貝貨も流通を伸ばした様なのですが、
そもそも漢字の【貝部】が金銭や貴重品を表す理由は更に古い時代に遡ることが必要となります。
紀元前15世紀〜の殷や、紀元前11世紀〜の周では、東南アジアとの交易でタカラガイを入手し、
贈与や埋葬品に用いました。タカラガイの加工品・装飾品などを殷・周では儀礼時に贈与・下賜
などの互酬として使ったとされています。このことが、タカラガイの加工品・装飾品の価値を高め、
ひいては物品労役などの価値の高低を示す指標として使われる様になって行った事が貝貨の
先駆けだったのではないか?とする説があります。要は、物々交換の片方が貝になった訳です。
中華大陸には古い時代から「南船北馬」の言葉もありますが、東周時代には「斉の刀銭」に代表
される、北部の六国で造られた鋤形・刀形・円形などの硬貨とは明らかに趣を異にする青銅貨が
南の楚では造られ続けました。それが貝の形を模して鋳造された青銅(ブロンズ)製の貝貨です。
この貨幣流通の状態からは、春秋五覇・戦国七雄の時代を通じて、黄河以南の淮水・揚子江の
流域を主とする楚周辺の経済流通網、更に独自の文化圏の存在を指摘する研究もある様です。
古代中国の揚子江流域に興った古代文明を総称して、長江文明と呼び、時期としては紀元前
1万4000年頃〜紀元前1000年頃とされ、その末期は夏王朝〜殷(商)とも重なります。後の時代
の楚・呉・越などの祖とも言われ、四川盆地の三星堆遺跡などでは、その発掘が進んでいます。
タカラガイは寶貝、日本での呼称も多種ある様ですが、有名なのは子安貝の呼び名でしょうか?
ガーナの通貨セディ:cediはタカラガイの貝殻の意味から生まれた通貨単位で、「竹取物語」にも
「燕の子安貝」の名が出てきます。漢字の【貝部】の「貝」は象形文字ですが、「貝」は貝殻を指し、
その元は子安貝の貝殻の形と言われ、【貝偏】【貝脚】として、財貨や交易の意符を果たします。