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Andante (アンダンテ) 
音 羽 教 室 1:1個別指導専科

[2023年6月7日]

122号:四方山、音羽町

古い地図:いわゆる古地図を視てみると、音羽地区の範囲には今も昔も大きな差が無い様に
感じられます。現在は護国寺に近い方が2丁目で、その南側の主往還沿道の両側が1丁目と
なっており、南北に長く・東西に狭い地区となってなっていることが解ります。

もともと音羽町は護国寺の門前に整備された町家で、徳川五代将軍:綱吉の生母:桂昌院
発願により建立されたのが護国寺でした。桂昌院は最終的には将軍の生母として従一位にまで
昇っており、これは律令下の女性の最高位でした。

桂昌院の出自に関しては諸説があり、西陣織屋の娘とか、畳屋だったとか、青物問屋だとか、
或いはそれら商家に嫁した後妻の連れ子だったとか、諸説紛紛です。12歳の頃に部屋子として
家光の側室:お万の方に仕え、後に春日局の目にとまり、彼女の指導を受けた後に将軍付きの
御中臈となり、家光に見初められ側室に入り、正保3年(1646年)に綱吉を授かりました。

綱吉は三代将軍:家光の四男で、長兄が四代将軍:家綱です。家光5人の息子中、長男:家綱は
40歳、次兄と末弟は5歳未満で、すぐ上の三男の綱重も35歳で長兄よりも早く他界、結果として
四男の綱吉が34歳で5代目の将軍となり、29年余の将軍職在位となりました。

通例、江戸の町家はその地区の中心的な一角に1丁目を置く様ですが、古地図での音羽町は
北側の護国寺寄りから江戸川橋に向けて順に1丁目〜9丁目となっています。一説に、これは
桂昌院の生誕地である京都:条坊制の一条から九条に倣ったものとされています。そうすると、
護国寺の境内は内裏や御所に当たり、差し詰め、音羽通りは朱雀大路といった所でしょうか?

暗君や暴君の様にも伝わる綱吉ですが、この評価には『水戸黄門』『忠臣蔵』などの余波が
大きく作用している様です。主人公を持ち上げる為には敵役や憎まれ役が不可欠です。某大河
ドラマでも、主人公の時には知将:正義漢なのに、脇に回った途端に姑息な変節漢に描かれる
登場人物の例もあります。江戸三大改革の初:享保の改革を行った八代将軍:吉宗は、綱吉の
天和の治に学んだとされ、吉宗の「吉」は綱吉から賜った「吉」でした。

吉宗の名は、22歳で徳川御三家:紀州藩を継いだ際に綱吉の偏諱を与えられたものです。他の
例を見ても、将軍職継承に際して名を改めた例も複数ある中で、吉宗の改名が無かった点は、
綱吉に対しての吉宗の評価や心象が垣間見られる端緒…とは言えないでしょうか?

さて、音羽町ですが、今では山手線内の閑静な住宅街となっていますが、1697年(元禄10年)に
護国寺領として町家にしたものの、当時は人が入らず、桂昌院の信任の厚かった奥女中にこの
門前町が下げ渡されたとする話が残されています。実際、当時の音羽は西や北が雑司ヶ谷村・
豊島村・染井村などで、江戸西北の端でした。元禄の江戸の市街は想い外に狭かった様です。

なお、西南北を先に書く時は方角を示し、西東西が先の際は地域地方
表すのが、古く中華大陸や本邦古来からの慣習と言われている様です。

最後に、直線的な音羽通りを活かして、太陽系の縮尺を実感してみたいと思います。今、通りの
北端に当たる護国寺門前の交番(警視庁 大塚警察署 護国寺前交番)を太陽の位置と仮定して、
江戸川橋の交差点の交番(警視庁 大塚警察署 江戸川橋交番)を海王星に見立てて、太陽系の
各惑星の凡その位置を音羽通り左右の建物を惑星直列風の目安にプロットしてみます。すると…

水星は、交番正面の不忍通り外回り:2車線の中間の白線の辺り…0.39au。
金星は、江戸川橋に向かって左側の、不忍通り内回りの自転車専用通行帯の付近…0.72au。
地球は、江戸川橋に向かって右側の道路内緑地の中間くらいの位置…1.0au。
火星は、ファミマの入っているビルの南端辺り…1.52au。
小惑星帯の準惑星ケレスは、ジョナサンの入っているビルの南端辺り…2.77au。
木星は、三菱UFJ銀行の端末の自動ドアの左脇の窓ガラスの辺り…5.2au。
土星は、大塚警察署前の横断歩道の南寄りの辺り…9.55au。
天王星は、音羽地域活動支援センターの出入り口付近…19.2au。
そして、ドン尻に控えしは海王星で、上記の通り、江戸川橋交差点の交番…30.0auです。

…と、いった具合になりそうです。音羽通りに土地勘のない方々には???かもしれませんが、
天文単位の【auは、太陽と地球との平均距離を「1」として考えるので、当てはめは容易です。
同様の作業は前出の朱雀大路でも丸の内仲通りでも可能ですが、短い距離だと太陽〜火星
あたりが近接してしまいますので、ご注意下さい。三鷹の国立天文台を真似てみました。