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Andante (アンダンテ) 
音 羽 教 室 1:1個別指導専科

[2025年1月9日]

142号:「ついたち」と「みそか」

昨年:2024年の12月31日:大晦日は「晦」=「つごもり」=「新月」でした。そうなると、その翌日の
2025年1月1日:元日のお月様は…極めて細〜い姿の「1日目の月」です。古来、「朏」は3日目の
月の姿を指す言葉ですが、現在では月齢の2日目や3日とか4日目などを意識して生活したり
予定を組んだりすることは稀でしょう。この国では太陽暦グレゴリオ暦を採用していますから。

以前にも触れましたが、明治5年が明治6年に移行する際に、暦も太陰太陽暦からグレゴリオ暦
へと改定されました。少し正確に言うと、1872年12月31日が1873年1月1日に変わるのに合わせ、
この国の暦法も西洋に同調させる手法で改定した…と、すべきでしょうか。

…とは言うものの、明治の頃は千年以上使い続けた太陰暦の感覚は世間に色濃く残っていた
らしく、文学作品にも夜空に懸かる月の満ち欠けから月齢を読む場面も見受けられます。また、
旧暦と祭礼・年中行事は親密性が高く、暦法改定後も旧暦が雲散霧消した訳ではない様です。

     子規逝くや 十七日の 月明に

作者の高浜虚子は伊予松本での子規の後輩で、虚子の号も子規から授かった…と、言うよりも
虚子の本名が「清」で、内々での呼び名が「キヨシ」だったことに由来する様です。高浜虚子の
本名は池内清:イケノウチ キヨシ、高浜は祖母の実家の姓で、虚子が高浜家を継ぎ、自分の次男に
高浜家の家督を譲った様です。

その虚子の、子規が亡くなった際の作とされるのが、前出の俳句です。子規の他界を、やはり
同門で同郷の川東碧梧桐へ知らせる夜道での印象が感じ取れる句作と言えるかもしれません。
明治35年9月19日午前一時頃が子規の亡くなった日時とされます。宿直として根岸の子規庵
詰めていた虚子が、子規庵近くの同じ根岸に住む碧梧桐に知らせに行く途中の月の写実です。
満月から2日目の月だから数え易かった…と言ってしまえばソレまでですが、現代人の我々より
月や月齢が生活や肌感覚に近かったことは推察できそうです。旧暦8月17日の夜でした。

三日月と言えば、:3日目の月、満ちていく途上の弦月なら上弦、満月は15日目で十五夜
欠けゆく途中の弦月を下弦、新月で月が顔を出さないと「晦:つごもり」…天の岩戸に籠って
いる訳ではない筈ですが、晦は「みそか」とも読みます。自転・公転や遠近の関係で太陰暦の
暦では多少の変動が生じる様で、旧暦の一ヶ月の平均は現暦の約29.5日と言われています。

みそか三十日とも晦日とも表記し、他にも十六夜いざよい、立待ち・居待ち・臥待ち・寝待ち
…などの月齢の名称も残っています。一日にしても、【一日:ついたち】の訓みは、【晦:つごもり】
の翌日の空に、月が低く薄く出たと思ったら、直ぐ沈んでしまう姿を「月が立つ」と表現したことに
由来する訓読みの様です。古代から、月の満ち欠けと太陽が天を動く様子は、誰にでも平等に
貧富貴賤の別抜きで、万人が享受できる日捲りと時計だった様です。陽は黄道・陰は白道です。

     こがらしに 二日の月の ふきちるか

山本 荷兮(やまもと かけい)の作です。薄い月の忽ちに没する姿を詠んでいる様です。この句を
初めて見たのは「去来抄」でした。去来抄は弟子の向井去來が師:松尾芭蕉からの伝聞・蕉門
での論議・俳諧の心構えなどを踏まえまとめた俳諧論の書…と評されています。

荷兮は蕉門には入ったものの、その後は俳風の違いから袂を分かち、芭蕉批判も行っています。
もっとも、蕉門離脱後の句作は精彩を欠いたと言われ、古風で茶人的な作風に終始した様です。
そんな荷兮でも上記の句は代表作らしく、「凩の荷兮」と賞されたそうです。個人的にも印象が深く、
身勝手な句評が許されるなら、エッジが効いている…と、でもしておきたいところです。

さて、2025年の1月1日は月齢での「1日目の月=月立ち」が重なる日となりました。「ついたち」
は「一日」=「月立ち」=「朔(ツイタチ)」です。しかし、「朔」は「望」に対する表記で、「望」=「満月」
なのに対し、「朔」=「新月」です。道長の頃から望=望月=満月で、新月の夜に月は無いハズ。

「ん?…何かおかしい?」‥そう!、おかしいのです。月も無いのに、月が立つとは…是如何に。
その通りで、「新月」と「朔」とが入り交じってしまった言葉の綾で、ややこしい状況になっています。
「みそか=晦=つごもり」なら、月が出ない【朔】は「月立ち」ではなく「月籠り:つごもり」でしょう。

「新月」が「新たな月」なら、【新月=月齢一夜目=月立ち=初月】で、【晦=朔=暗月】とするのが
理解の着地点でしょう。実生活で対処するには、場面に応じて上段の式を変形するのが無難です。
辞書では…【朔】を「ついたち」と読み、【晦】は「つごもり」「みそか」と読み、【晦い】=「くらい」です。
天文でのは暗月:月の無い夜のことですが、慣習や伝統文化でのは「一日」を指す言葉です。
例えば、八朔(はっさく)とは…八月朔日の略で、旧暦の8月1日のことです。

年始早々、奇妙な内容になってしまいましたが、2024年12月29日(Sun)〜2025年1月4日(Sat)の
旧暦と月齢を現行カレンダーと並べて比較すると、俎上の話題を見易いのかもしれません。