[2025年12月25日]
戦国時代の歴史ドラマに度々登場するルイス・フロイスはポルトガルのカトリック司祭です。
イエズス会士として戦国時代の日本で宣教し、織田信長や豊臣秀吉らと交流した様です。
『日本史』・『日欧文化比較』・『二十六聖人の殉教記録』などの戦国期の記録を残しました。
フロイスは1563年に31歳で来航し、戦国時代研究の検証素材となる文献資料を多く著述。
約35年間帰国することなく、初上陸と同じ現在の長崎県で1597年に没しました。65歳でした。
彼の『日欧文化比較』には日本では箸を使う…欧州では手食するとの記述が残るそうです。
現在でも世界人口の約4割程度が手食と言われ、箸やカトラリーを抑えて、最大派でもあります。
箸派とカトラリー派は残りを折半したそれぞれ3割弱…手食文化派は推定約30憶人±程です。
手食文化圏では食物を口に入れる前に手(指の触感)で味わう為、箸やカトラリーより優るとされ、
道具よりも良く洗った手の方が清浄であると考えられている様です。前出のフロイスの記述からも
判る様に、欧州も中世までは手食圏でした。その背景には「指は神様が与えた優れた道具である」
とする聖書的な考え方があったと言われます。単に「道具が無かった」からではない様です。
食卓に最も早く定着したのはナイフで、12世紀頃だそうです。但し、当時のナイフは卓上の肉塊を
切り分ける用途で、個々人用のナイフは15〜16世紀以降と言われます。余談ですが、現在の様な
先端が尖っていないナイフ使用はルイ14世の布告に発する様です。ルイ14世が先端を丸くさせた
理由は、食事用ナイフが凶器として使われるのを嫌ったからと言われます。17世紀後半の事です。
スプーンは14〜15世紀頃に食卓に上ります。スープ用です。しかし当時のスプーンは高級品だった
らしく、専ら上流階級用でした。一般的な普及は17〜18世紀頃の工業の発展を待たねばなりません。
「銀の匙をもって生まれてきた子は幸福になれる」というのは、生まれた子の洗礼の際にスプーンを
贈った習慣からと言われ、スプーンの素材は貧富に左右され、銀製は当時の裕福な家の話です。
スプーンや匙が当初は上流階級や特権階級での使用に留まったのは、道具としての利便性以前に、
ナイフ・箸に比べてスプーンや匙の造形が容易ではなかった点も理由の一つに数えられるそうです。
純粋に、形状的に、成型に最も手間を要するカトラリーがスプーンだったので、値が嵩んだ様です。
洋の東西を問わず、スプーンの使用は新石器時代頃から確認できる様なのですが、日本での庶民
への普及は明治以降です。スプーン…匙(さじ)の利用は茶道や医療などの特殊な分野を除けば、
上流階級や外交関連で細々と継続されてきたのが日本での匙:スプーンの歴史…と言えそうです。
また、古い時代では匙・スプーンと言うより、杓子・レードルの様な形だった事も東西の類似点です。
フォークは最も登場が早く、しかし一般化は最も遅れました。食卓用のフォークは11世紀のイタリア
まで遡る様なのですが、そのイタリアでも普及は16世紀から、英仏では18世紀からだそうです。
初期のフォークは二股で使い勝手が悪かった事が原因と言われています。初期型二股フォークの
使用法は肉塊を切り分ける際に肉を押さえたり、焙ったりする道具で、その期間が長かった様です。
さて、箸です。出土例は古く殷時代の青銅の箸に遡ります。また殷の30代目:最後の王:紂王には
象牙の箸の話が残されていますが、そもそもこれらが現在の用途の箸として認識されていたのか?
或いは紂王の逸話は事実なのか?…ソコは判断の分かれる所でしょう。㐧一に青銅や銀や象牙が
原初の箸の素材なら、何故「ハシ」は竹冠を持つ漢字になったのだろう?…などと考えてしまいます。
「箸」の他に「梜」・「筴」・「筯」・「快」・「筷」などの文字が使われ、中国での箸使用は戦国時代以降と
されています。文字から察するに箸は竹製品が主であった事がうかがえます。日本には小野妹子が
隋から持ち帰り、聖徳太子によって推奨されたとされる話が残りますが、遺物としては7世紀後半の
飛鳥板蓋宮跡や藤原宮跡からの出土品として箸の実物が確認されている様です。
魏志倭人伝の邪馬台国(3世紀)では、「食飲用籩豆手食」と手食していると記されている点からも、
現在の様な箸の普及が始まったのは7世紀〜と考えるのが無難そうです。遣隋使として渡航した
小野妹子は箸と一緒に匙も持ち帰っている様ですが、大陸での匙の普及に対し、本邦では御椀を
持って口を付けて汁物を食する様式が主流となっていきます。匙・杓子は計量・分配の道具でした。
医師:薬師を「御匙」と呼び、味付け具合を「匙加減」と言うのは、計量・分配と同一線上の事でしょう。