[2017年4月9日]
「ぽちる」 「イミフ」 「セルカ」 「きょどる」 「とりま」 「り」 「フロリダ」・・・
お母様方、お父様方、これらの言葉はお分かりになりますか?
いわゆる 「若者ことば」 です。
順に、ネット通販で購入ボタンを押す、意味不明、カメラで自分自身を撮影すること、挙動不審な動きを取る、取り敢えずまあ、了解、風呂に入るため一時的にLINEから離脱、という意味のようです。
フェイスブックやツイッターなどSNSの発達で、知り合い以外の人と気軽にコミュニケーションが図れるようになったり、しばらく音信不通だった友人との再会を果たすきっかけになったりもします。
言葉の移り変わりを許容し、面白さを味わうくらいの鷹揚な受け止め方をしたほうがいいのでは、と思いつつも、心のどこかでなかなか受け入れられない現実があります。
「今どきの若者の言葉には目に余る」 という嘆きをしばしば耳にしますが、こうした 「言葉の乱れ」 を嘆く風潮は、今に始まったことではありません。
古くは平安時代、清少納言の著した 『枕草子』 や吉田兼好の 『徒然草』 などに、当時の言葉遣いを嘆くくだりがあります。
おもしろいものです。
さて、前述の様に寛容に考えるようとするようになったのも、あるSNSがきっかけでした。
そして、高校の先生と愚息のアドバイスで頭が柔らかくなりました。
「乱れではなく、変化ととらえること」 そしてわからなければ、どういう意味?と面白がって聞くくらいの感覚がちょうどいい、と。
言葉は服装のようなもので、わざとだらけた格好にしてみたり、目上の人の前ではスーツ姿のようにしっかり話してみたり、案外若者も上手に使い分けています。
嘆き節は封印して、目くじらを立てず、言葉の移ろいを楽しんでみる。
若い世代との交流にもつながります。