[2026年1月3日]
本題に入る前に・・・
「語彙力がある」 「語彙が豊富」 「語彙不足」などと使われる 「語彙」。
そもそも 「語彙」 とは何なのか。
教えている側も、 「語彙」 と言ってみたり 「言葉」 「語句」 や 「熟語」 と言ってみたり、統一感がなく非常に曖昧な使い方を大いに反省しなければなりません。
そこで、自戒を込めて改めて 「語彙」 「語彙力」 とは何かを正しく認識したいと思います。
語彙の 「彙」 は、 「集める」 という意味です。
ですから、語彙とは「単語の集まり」です。
人に着目すると、 「ある個人が使用する語の総体」 です。 (三省堂 新明解国語辞典)
そして、その力 「語彙力」 とは、私たちが知っている言葉の数や、それらをどれだけ適切に使いこなせるかの能力のことです。
つまり、たくさんの言葉を知っているだけでなく、場面や相手に合わせてぴったりの言葉を選んで使える力のことです。
この様に、 「言葉を使いこなす能力」 が本当の語彙力なのです。
しかし、これは一筋縄ではつかない力です。
知っていると思い込んでいる言葉でさえ、実は十分に使いこなせていないのが実情でしょう。
ですから、この 「言葉を使いこなす能力」 を伸ばすことが言葉の学習・指導だと捉えています。
しかし、言うは易しで、指導する立場として、これをどう教え、使えるように身に付けさせるか、ということに日々苦慮しているのが実情です。
一般的にはただ単に、知らない言葉であれば辞書を引かせて調べさせ、説明をじっくり読ませて書き留めさせる。
でも、ここまでは単なる作業に過ぎません。
さらに、子どもたちはというと、それで (面倒臭さも手伝ってか) 勉強は完結したと錯覚してしまいます。
そこで、身の回りの事柄を題材に用例を幾つか示し、使い方を教えます。
さらには、自分で例文を考えさせます。
しかし、まともな文は書けません。使ったことはないので当然です。でもそれでいいのです。
失敗や誤りを経験させることの方が大事な気がします。
この様な学習をきっかけにして、新しく知った言葉に様々な場面で見聞きしたり、積極的に使ってみたりして少しずつ実際の場面でのその言葉の使い方わかってくるのだと思います。ですから言葉の習得には時間がかかります。時間をかけて精度が上がっていきます。
従って、授業では、新たに学んだ言葉は、使い方を間違えても良いからどんどん使うよう刷り込んでいます。
さて、ここでやっと本題です。前置きが長くなり過ぎました。
標題の 「言葉の使い分け――類義語――」 のお話です。
言葉の学習で必ず行っていることは、先の使い方の指導の中で、類義語や対義語を調べさせたり教えたりしていることです。
※対義語については、次回お話いたします。
そして類義語であれば、それぞれの 「使い分け」 をじっくり学習します。
例えば、 「心地」 という言葉の類義語には、 「気持ち」 「心持ち」 「気分」 などがあります。
表現例でそれぞれの使い分けを問題形式で示しますと、以下の 「○○」 にそれぞれ当てはめることができる言葉と、そうでない言葉があります。
「いい○○だ」 「○○を切り替えてやり直す」 「本当の○○を打ち明ける」 「生きた○○もしない」
一例を挙げると、 「本当の気持ちを打ち明ける」 とは表現しますが、 「本当の心地を打ち明ける」 とは表現しません。
ここで、子どもたちは初めて知った 「心地」 という言葉の使い方が少しだけわかるわけです。
他にも、類義語の例を2つほど挙げてみます。
「○○」 に何が合うか合わないかを考えてみてください。 (一つとは限りません)
「音(おと)」 「音(ね)」 「物音」 「音響」 「響き」 「声」 「音声」
使い分け例:「雷のすさまじい○○」
「静かな琴の○○が聞こえる」
「外で何か○○がする」
「除夜の鐘の○○」
「○○の美しい名前」
「○○が小さすぎて聞こえない」
「ちょうど」 「ちょっきり」 「きっかり」 「ぴったり」 「きっちり」
使い分け例:「電車は定刻通り○○7時23分に来た」
「飲んで食べて料金は一万円○○」
「映画のイメージに○○合う曲」
この様に言葉の学習では、わからなかった一つの言葉から、まずは自分で辞書で調べる、という準備段階を経て、そこからどんどん掘り下げて上記のような学習をじっくり時間をかけて行っていきます。
この地道な学習こそ 「語彙力」 を身につける方法の一つです。