[2011年6月14日]
「命の尊さ」・・・ 震災以降、考えることが多くなりました。
言葉に表すのは簡単です。
でも、軽々しく言える言葉ではないと、今回つくづく思いました。
先日、ある中学生に会いに仙台に行ってきました。
2年前、小学校卒業と同時に仙台に転居した女の子です。
その子は病弱で、東京では入退院を繰り返していました。
事情あって、お母さんの実家がある仙台の病院に転院しました。
東京を離れてから見る見る良くなり、昨年の中2の秋にはすっかり快復し、お母様から歓喜のお手紙をいただいたのです。
本人とも電話で話すことができ、全快を共に喜んだのでした。
彼女は普通の高校に行けることが何よりも嬉しかったのです。
既に行きたい高校も決め、受験勉強にも意欲満々でした。
ところが、それから約4ヶ月後の3月。 東北地方の大震災。
連絡手段は途絶え、安否もわからない状態が続き、ようやく連絡が取れたのは、5月の中旬でした。
1枚の便箋に言葉少なに状況が綴られていました。
震災孤児となってしまったのです。
すぐに電話で連絡を取り、仙台で会うことを約束したものの、電話口のか細く力のない声が気になって落ち着かない日々でした。
しかし、杞憂に終わりました。
3ヶ月経って、ようやく前を向けるようになったこと。
今までは失望感と悲しみに押しつぶされていたけれど、現実を受け入れることができるようになり、ようやく一歩踏み出せたこと。
そして、老人ホームで働いていたお母さんが、自分を犠牲にして最後の最後まで何人ものお年寄りの方々を助けたことを聞いて、とても誇りに思い、いつまでも悲しんではいられない、と思ったこと。
悲しんでばかりいることは、きっとお母さんは望んでいない、と思ったこと。
私も誰かを助けなければ、何かをしなければ、と思えるようになったこと。
などを、一言一言噛みしめて、自分に言い聞かせるように語ってくれました。
「先生、忘れないで・・・ お母さんのことも。 私がんばるから。」
と言って、畳んだハンカチから1本の素敵なボールペンを取り出し、そっと私に手渡しました。
お母さんの手帳に挟んであったものだそうです。