[2014年1月13日]
一昨日、大学時代の旧友と久しぶりに夜の新宿にくり出しました。新宿と言っても歌舞伎町。それこそこの地は約30年ぶりぐらいでしょうか。
怖いもの知らずで肩で風を切ってかっ歩していた学生の頃に、完全にタイムスリップしてしまいました。
歌舞伎町との再会に酔いしれた一晩でした。
酒宴が盛り上がった頃、友人の一人が、 「最近この俺が怒らなくなったんだよ」 とおもむろに話を切り出しました。
彼は、商社の部長をしています。学生の頃は、どちらかと言うと直情径行型で、思ったことはズバズバ言うタイプ。その分衝突も少なくありませんでしたが、友人も多かったのも事実で羨ましく思っていました。そんな彼に対して今宵他の誰しもが “随分丸くなったな” と感じていました。
ビジネスや政治の世界では、怒ったら負け、という認識があります。それは、取引先やライバル会社や抵抗勢力に対しての話。そうではなく、彼が怒らなくなった相手は、部下だそうです。
彼が部下に怒る様子は想像に難くありません。半ば感情に任せ、声を荒げて相手をねじ伏せるように叱責するのでは、と勝手にイメージしていたら、いやいやそうではないというのです。怒るのではなく、穏やかに叱る、注意する、諭す、と言った方がいいかもしれない、と言うのです。そして、それすらしなくなった (できなくなった) らしいのです。
20代や30代の欠勤が少なくないそうです。そのほとんどがメンタル面の病だそうです。自分の仕事上の過失や不備をストレートに指摘されたり、本気で叱られたりする経験が今までほとんどなかったことが、大きな原因の一つだそうです。つまり、一度強烈にまともに怒られると立ち直れなくなってしまうのだそうです。
さらにそのほとんどの人が、誰もが認める有名大学の出で、尚かつ真面目で優秀なのだそうです。
彼の会社では、数年前から産業カウンセラーが常駐しメンタルヘルス対策に相当力を入れざるを得ない状況だということです。 (追い出し部屋はないよ、と言っていましたが・・・)
これは、日本の教育の一つの歪 (ひずみ) ではないか、と話を聞いていてつくづく思いました。
学校で家庭で、そして塾で、子どもたちを “きちんと” 戒めたり叱ったり、厳しくしつけたりすることをどこかやんわりと避けてきたツケ(?)が回ってきたのではないか、という気がします。もちろん、全ての学校・家庭・塾がそうではありません。
話は若干それますが、毎年年賀状をくれる卒塾生は、面白いことに私に何度もガツンとやられた出来の悪かった面々なのです。当時、少なからず感情が先にたってしまったこともありました。その時は猛反省して自己嫌悪に陥ったりもしましたが、年賀状の文面 (近況報告) も見て、あの時はあれで正しかったのだな、と少々自己弁護しています。
ここ数年、“褒める” ことよりも、 “叱る” ことが、とても難しいと指導において感じるようになりました。
小言や文句には慣れている様子ですが、本気で怒られたことがなく、その免疫がないことも原因だと思います。
叱ったら、その3倍以上フォローする。今、これを実践中です。