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学研CAIスクール
中村橋教室

[2014年3月15日]

成長を実感するとき

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今年も波乱(?)の受験が終わりました。みんなの笑顔に1年間の疲れが吹っ飛びました。
本当によかった。 その一言に尽きます。


そんな中で、3年ぶりに顔を見せに来てくれる高校3年生の生徒に感激します。異口同音に “お久しぶりです。 進路決まったので、報告に来ました!!”と言って元気な姿を見せてくれます。
3年ぶりに会うと、見違えるほど大人びてそれはそれは逞しく立派になっています。当時口下手だった男の子が、これからの抱負や希望を熱く饒舌に語る様子に驚いてしまいます。
“こいつ、えらく成長したな” と思わずにはいられません。


聞けば、波乱万丈の高校生活だったと言います。
その学校では、 「いじめという名のもはや犯罪」 がごく少数にもかかわらず、まかり通っていたのだそうです。
彼は、強くなろうと一念発起して、高校では珍しい応援団に入り、高2で団長を務めたそうです。
数百人もいる生徒の仲には快く思わない者もいて、持ち物がなくなったり、壊されたり、数人に待ち伏せされ暴力を振るわれたりもしたそうです。
何と先生からも・・・


でも、これをいじめだとは全く思わなかったそうです。なぜなら、彼は男子生徒にも女子生徒にも、そして先生からも人気がある応援団長ならではの充実した体験がそれに勝っていたからです。
そして彼を逆に“応援” してくれる多数の生徒の存在があったからです。そして何よりも、厳しい練習や上下関係に耐えてきた自信が彼を一段と強くしたからです。


自分は姿を現さず、あるいは1人では何も出来きず、子供じみた嫌がらせをする彼らのレベルの低さをあざ笑う余裕があったのでしょう。

彼の大きな成長には、目を細めてしまいます。
これからがとても楽しみです。


ところで・・・
この手の輩が大人にもいます。大人はたちが悪い。
自分では何もしないで陰に隠れ、目立つ動きをする人の批判を繰り返します。
改めて、今の日本に最も欠けているものは、当たり前の善悪の基準ではないかと思わずにはいられません。
もしもこのような大人が学校の先生にいたとしたら・・・、と思うとぞっとしてしまいます。


悪いことをしても警察に捕まらなければ良い。捕まっても裁判で無罪を勝ち取れば良い。こんな最近の政治家が「教育」を語るとき、欺瞞に満ちた顔に見えてきて、もっとぞっとしてしまいます。


3/14付けの朝日新聞朝刊に次のような記事を見つけました。
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 都教育委員会は13日、全都立高校に、公共の精神や規範意識、生き方を学ぶ新教科を導入する方針を示した。2007年度に導入済みの科目「奉仕」を衣替えする。14年度から有識者の検討会で内容を固めるが、導入時期は未定という。
 この日の都議会予算特別委員会で、来代勝彦都議(自民)が道徳教育について質問。比留間英人教育長が「現在の子どもたちは、公共の精神や規範意識、思いやりの心が希薄化し、自らの行動を決める判断基準を持てない傾向がある」と指摘し、「国に先駆け、人としてのあり方や生き方を学ぶ新教科の設置に取り組む」と答弁した。
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発言内容に全く異存や文句はありません。ただ、どうしても空々しさや空虚さを感じてしまいます。


彼らより高校生の方が、“真の” 公共の精神や規範意識、思いやりの心があるぞ、と本心から思います。


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