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学研CAIスクール
中村橋教室

[2014年5月28日]

言葉の力

ある男子高校生が、ちょっと悩んだ様子で話し始めました。
先月4月の下旬、高校で学校のある委員を決めるとき、現職の3年生委員の5人が受験勉強に差し障りがあっては困るから今期は委員になりたくないと考え、この5人が相談して別の候補者を探し、説得して推薦したところ、その候補者が選挙で首尾よく委員になったそうです。

「なんだ、良かったじゃないか。」
「AOの準備が大変だから、学校の仕事は減らすと言ってたよな」
と事情を全く知らない私は、大した話ではないと思い、そう軽く流しました。

ところが、今大変もめているというのです。
5人が事前に相談して候補者探しをしたこと自体、これは陰謀だ策略だ、と大変な騒ぎとなって、未だ収拾がつかないのだそうです。
さらには、事実無根のうわさが瞬く間にひろがったそうです。


選挙ともなれば、それぞれ作戦を立てるのは当然でしょう。しかし、事前に話し合いをせずに勝手に陰でこっそり示し合わせてお膳立てをしてしまうなど、らち外の行動だ、と猛烈に非難されているのだそうです。
どこか、安倍政権の特定秘密保護法や集団的自衛権の問題と重なります。


「『陰謀』 ってちょっと強烈すぎませんか? 言われて逆にかなり驚いたんですけど、どう思いますか?」
「もっとひどいのは、根も葉もないでっち上げられた作り話で盛り上がっているんです。えらい迷惑です。」
と、彼はかなり気色ばんでいました。

「陰謀」 というたった一言が、冷静に話し合われるべき議論の場を、犯罪者扱いし糾弾の修羅場としてしまったことに、言葉の持つ大きな力を思い知ります。


結果として、新たに着任した委員は、そもそも委員を望んでいてタイミングよく背中を押される形になったので、不満は全くないそうです。ですから、この3年生5人衆は尚のこと解せないのだそうです。
確かにやり方は姑息と言えば姑息だったかもしれない、という若干罪悪感は覚えているのだということですが・・・


「でもこれって、世の常じゃないですか? 彼らを騙したわけもないし・・・ だから “陰謀” ではない」
と、彼は主張しました。
「君たちは、公正を期すべき点を怠ったことについては、釈明ではなくきちんと謝罪をした方がいい。その上で新委員が気持ちよく仕事ができるよう配慮する必要があるだろう。そうすれば、相手も過ぎた言葉だったと少しは反省するだろう」、と偉そうにも大人ぶったアドバイスをしたのでした。


世の中には、事実を歪めてしまう言葉によって冤罪が発生してしまったり、真実を正面から見ず、一部のマスコミが言葉の誤用によって大衆に迎合してセンセーショナルなものに仕立て上げようとしたり、政治家が詭弁を弄してつじつまの合わないことを言いくるめようとしたり、ネット上の一言が大衆の心を惑わせたり真実を歪めてしまったり・・・

こうして書いているこの塾長日記もそうですが、思いつくまま、ひらめくまま言葉を発してしまいます。手書きだと不思議とそうはなりません。言葉を吟味します。
最近一つ一つの言葉が軽くなったな、と自戒の念にかられます。