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学研CAIスクール
中村橋教室

[2014年8月21日]

子どもはしゃべりたい生き物

うちの次男は小さい頃からよくしゃべりました。何でも話す息子でした。
なぜなら私が黙っていたからだと思います。
もちろんその子の性格にもよるでしょう。
長男は正反対でした。親があれこれ口を出したからでしょう。

親が黙っていれば、子どもは自ずと口を開きます。まずは、 「聞くぞ」 という構えを見せます。
むろん、ただ聞いていればいいというわけではありません。
聞き流すのでもなく、わかったふりをするのでもなく、一生懸命聞くのです。
でも、わからないときは、 「何言ってるのかわからないよ」 とも言います。できる限り大人の価値観を捨てて、固定観念や先入観にとらわれることなく、子どもの話すことを全て受容してあげるのです。

しかし、これはなかなか難しい。
子どもは上手に話せません。説明は下手くそだし、言葉遣いもおかしい。的を射ていないから時間もかかります。
こうなると、イライラして口を挟みたくなります。それを、ぐっとぐっと堪えて、辛抱強く聞きます。そうすると、何が言いたかったのかがわかり、子どものことがよくわかってきます。

今まで、息子にもそして生徒にも、言い過ぎたと後悔することはあっても、聞き過ぎた、と反省することはありません。
まずは、しっかり聞くことだと思います。それがコミュニケーションの基本でしょう。


そもそも子どもというのは、しゃべりたがり屋だと思います。本当は親に向かって何でも話したいのです。
うれしかったこと、嫌だったこと、発見したこと、驚いたこと、頑張ったこと などを聞いて欲しいのです。
つまり、不満を吐き出したり、自慢したりして自分のことをわかって欲しいのです。
聞いてくれた、という満足感は子どもの成長にとって、とても大事だと思います。心の充足感はとても大きいでしょう。

でも、ちゃんと聞いてくれなかったら、即座に口をつぐんでしまうでしょう。
聞いてくれないどころか、説教されるからウザイと感じてしまうでしょう。
そして親に話さない子どもになってしまう。

子どもは、親に話したいことを実はいっぱい抱えています。
そんなとき、親からあれこれ言われれば、せっかく聞いてもらいたい気持ちが失せ、一切しゃべらなくなってしまう。そして満たされない鬱屈した気持ちだけが心の中にどっしり居座ってしまいます。

だから、親は何か言いたくなっても我慢して、ただひたすらに聞く器を持つことです。
それが、親の大事な役割だと思います。



よくしゃべる子と、そうでない子がいます。さらに言うと、そうでない子は徐々に増えてきているという実感があります。
年齢が上がるにつれてその差は顕著になってきます。思春期に入ると、他人にはなかなか自分からは話さなくなってしまいます。親に対してもそうです。

しゃべる子とそうでない子に、学習の資質的な面から見た顕著な違いが認められます。それは、情緒面の安定度合いです。言い換えると、心の成長度合いです。そして、それは学習面にも大きく影響していることが今までの指導の中で、傾向としてはっきり表れています。

単に、しゃべる子は学力が高くて、しゃべらない子は学力が低い、ということではなく、しゃべる子の方が学力の伸び具合が大きく、伸びしろも大きいということを実感しています。
さらに言うならば、学力というより、もっと根源的な「知力」と言った方がぴったりします。

果たして、うちの次男はまだその途上にあるようです。
よし、これからだ。