[2015年2月17日]
「先生! 『チロと秘密の男の子』 って、何年生向き? どんな話? 面白い?」
「先生、読んだことないからわからないなあ・・・」
先日、こんなやり取りがあってから、子どもたちに紹介する本を、しっかり読むことにしました。
教室には700冊以上の図書を置いておりますが、正直自分で読んでいない本が約半数を占めます。それを紹介しているのですから、少々、いや大いに気がとがめます。
今では、インターネットで調べればその本のあらすじや読書感想などが瞬時に見られますが、それらを読んだところで、面白くはありませんし、自分の言葉でその本を紹介することもできません。
そこで、心を入れ替え、本腰入れて読むことにしました。
1年かけて未読の図書を全て読もうと、意気込んでいます。
300冊は優にあるのですが・・・
取り敢えず、今のところ三日坊主にはならず、この1週間で5冊一気読みしました。
何とも、清々しい読後感です。
先月から読み始めた、マイケル・サンデルの 『これからの 「正義」 の話をしよう』 で固くなった頭を柔らかくにほぐしてくれました。
(この本は、一度読んだのですが理解が今ひとつでしたので、再読しています)
さて、 『ハブテトル ハブテトラン』 (中島京子著) は、息子さんのいらっしゃる親御さんに是非読んで欲しい一冊です。
もちろん小学校高学年向けですので、5・6年生の男の子に読んで欲しい本です。
この本だけでなく、少年小説を読むと、ふと自分の息子の幼かった日々に引き戻される瞬間があります。それは懐かしいだけではありません。その多くは、淋しさや後悔の念が混じったものです。
自分の息子に対して、こうしてあげればよかったと、口惜しさがにじんできたりもします。
親のエゴだな、と感じることもあり、読みながら本の世界と過去の自分を行き来していることに気が付きます。
読み終わると、そんなこと考えても今更どうしようもなく、バカだなと思うのですが・・・。
本に登場する子どもたちは、大人目線のある意味理想の子どもたちです。
そんな若干冷めた目で見ながらも、子どもの純粋な心と、何かに対する一途な思いは、大人に欠けているものに、ふと気づかせてくれます。
児童文学でしか得られない、リフレッシュさを実感します。
清涼飲料水をぐっと飲み干したような感覚でしょうか。 (本当は、真夏のキンキンに冷えたビールですが)
『ハブテトル ハブテトラン』 は、備後弁が飛び交います。
「何見ょうるんじゃ、ダイスケ。そりゃあ、いけんわ!」 とか、 「でゃーすけ、いうんは、おみゃーか?」 という福山の方言が郷愁を誘います。
私の郷里ではないのですが、福山出身の友人からこの備後弁をさんざん聞かされていた大学時代を思い出し、何とも心地よい気分にしてくれます。
また、登場する様々な人との触れ合うことで成長していく主人公ダイスケと、人々のキャラクターに妙に心が温まり、優しい気持ちにさせてくれます。
ここまで言うと、たかが児童文学でそこまで共感するか、と言われそうですが、要するに、私のみごとに荒んだ心が洗われた、ということです。