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学研CAIスクール
中村橋教室

[2015年3月19日]

合格秘話 その2

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中学受験の合格後、1ヶ月以上経った先日、ある6年生のお父様に初めてお会いして、じっくりお話をする機会がありました。


お子さんは、見事第一志望に合格しました。
本人が相当がんばっていました。
家庭学習用に渡した問題集やプリントをしっかりこなし、わからなければ必ず質問し自ら解決しようとする姿勢は理想の受験生の姿でした。
ですから、とても順調でしたので、家庭学習についてはあまりアドバイスすることもなく、逆に相談を受けることもありませんでした。
成績に若干波はありましたが、常に一定のモチベーションを保ち、精神的に安定していましたので、安心して見ていられました。


この秘訣は必ず家庭にあるはずだと思い、お父様に伺ったところ、思わず膝を打ち一驚を喫しました。
多少謙遜もあるかとは思いますが、ある信念を語っていただけました。


5年生の夏頃から、新聞記事の音読をさせたのだそうです。
これは、お母様からお聞きしていて知ってはいたのですが、その徹底ぶりには驚愕いたしました。
毎日欠かさず小学生新聞の本人の気に入った記事の音読をさせました。
音読させただけで終わりではなく、その記事についての考えを述べさせ、姉妹も巻き込み家族で議論したそうです。

なぜ、そこまで徹底したのか。


お父様曰く
それは、生きていく上で、 「言葉」 は絶対的に必要だから。
例えば、何かを考えるということは言葉を使って考えることに他ならない。
ある程度の言葉を知らなければ考えるという行為そのものができなくなってしまう。
そして、自分の頭で考えるということが必要。
ただ、飲んで食って寝るだけの人間にはしたくない。

何かを伝えるということは、やはり 「言葉」 を使って伝えるということ。
ごく普通に使われている言葉を知らなければ、コミュニケーションをとることもできない。
それでは、社会に出たときに困るに決まっている。
今、そういう人たちが私の周りにワンサカいる。
自分の意見を持たない付和雷同の大人の何と多いことか。
そのような人間になって欲しくはない。

自分自身を見つめるときにも、他人を理解するときにも、いつか本気で勉強したくなったときにも、つまりどんなときにも、 「言葉」 は必要不可欠なもの。
特に難解な文章を読めたり、高度な文章を書けたりしなくても構わない。
けれど、まずは普通の文章は読めるようになって、自らの頭で考えることができる人間になって欲しいと思った。


これこそが、教育だな、と思いました。
これこそが、人として生きていく力になっていくのだな、と痛感し、改めて本質に気づかされました。


さらに、お父様曰く、
実は、合格は二の次でした。
不合格という挫折を経験させてもいいと思っていた。
そういう話も本人にしていた。失敗はその時は辛いが、それによって大きな力が生まれてくる。

毎日一緒に勉強していく中で、子どもの成長を手に取るように実感できたことが何よりうれしかった。
だから、続けられたのですね。
でもやはり合格は同じくらいうれしいものですね。親バカですね。