パソコン版を見る

学研CAIスクール
中村橋教室

[2015年4月13日]

名前といのち

img1
法事でとても興味深いお話を聞きました。
私なりの解釈を加えて、ご紹介します。


昔は、実にいろんな神様がいました。
山にも海にもいました。
もちろん、鎮守の森や街角の祠 (ほこら) 、家の井戸やトイレにもいました。
太陽はお天道さま、月はお月さま、そして雷は雷さまと人間並みの敬称で呼ばれ、恐れ (畏れ) と敬いの心で接しました。


ギリシャ神話を読むと、昔のヨーロッパにもいろいろな神がいました。
太陽はアポロ、海の神はポセイドン、音楽の神はミューズ。
そんな信仰を多神教とか汎神論 (はんしんろん) といいます。
ユダヤ教やキリスト教、イスラム教といった一神教は、そういう汎神論的思想を異端邪教説とし、世界中から多くの神々を抹殺しました。


科学もまた、神殺しを進める力となりました。
特に知的文化人と言われる人ほど、世の中には神も仏もなく、そんなことは迷信だとして無神論無宗教を自慢したりもしていました。
英物理学者のホーキング博士が、数年前に著書で、「宇宙の創造に神の力は必要ない」、との主張を展開し、宗教界から批判を浴びたこともありました。


と、まあ、ここまでは、無神論者ではありませんが、全く信仰心のない私にとっては、わが身に置き換えて考えることができません。しかし、歴史として思想として、とても興味が尽きません。


さて、ここからが、感心したお話です。


日本最初の原子力発電所には名前がありました。
福井県敦賀市にある 「もんじゅ」 (文殊 )と、同市の 「ふげん」 (普賢) です。
ちなみに、もんじゅは、現在停止中、ふげんは、2003年に運転終了、2033年に廃炉解体終了予定です。


この文殊と普賢、つまり、智慧の文殊と慈悲の普賢、どちらも仏教の菩薩の名前で、獅子と象に乗っています。それは巨獣の強大なパワーもこのように制御され、人類の幸福に役立つのでなければならない、との願いを込めて命名されました。
強大な力を持つ原発に、菩薩の名を付け、仏さまに接する敬いと恐れの心で接しようとした日本人。


それが、1号機、2号機と単なる機械になったとき、事故が起きました。
やはり、仏さまに接する敬いと恐れの心で接していなかったからでしょうか。



こだま、ひかり、はやぶさ。
新幹線の名前です。
名前が付くと何となく、人間味を帯び、親しみが湧き、大事にしようという気持ちになります。
新幹線が無事故なのはそのせいかもしれません。



2010年に機械遺産に認定された、としまえんの 「カルーセルエルドラド」 というメリーゴーランドをご存知でしょうか。
アールヌーボー様式の豪華な彫刻が施された、としまえんのシンボルでもある、いわゆる回転木馬です。
1907年にドイツで作られ、その後第一次大戦の戦禍を免れるためアメリカに渡り、そして日本に1969年にやってきて息を吹き返し、1971年から回り続けています。
100年以上生きています。



あらゆる生きとし生けるもの、そして物や機械にも 「いのち」 という名の神さまが宿っているのです。
植物も動物も子どもたちも、そして物も、日本人の知恵と慈悲の心で、そのいのちを守っていかなければならないと思うのです。