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学研CAIスクール
中村橋教室

[2015年7月5日]

迷惑をかけなければ何をやってもいい???

少々気分の塞ぐ話で申し訳ありません。
でも、とても憂慮すべきことなので、書かせてもらいます。


先日、大学時代の友人がこの春に赴任した県立高校でのある出来事です。

教員である友人が、比較的成績が良く生徒会などもやっている活発な女子生徒に、あることについて校則違反であることを告げて改めるよう注意したそうです。
それは、髪を派手に染めてきたことです。
しかし、その生徒は 「誰にも迷惑かけてないのに、何でそんなことを言われなくちゃいけないの? わたしだけじゃない」 と平然と反論したそうです。
そこで、親にも連絡したら、 「娘の自主性に任せている」 とのこと。
さらに、校則で決められていることや、風紀が乱れる旨などを伝えると、 「そっちが変えろと言うのなら、髪を元に戻す費用は学校で持ってくれ」 と言い出す始末だそうです。

友人いわく、もう価値観が大きくずれていて、常識も崩壊していると、嘆いていました。


また最近、援助交際をしていることが発覚した生徒の指導もしたそうです。
「相手も喜んでいるし、自分もお金がもらえる。誰にも迷惑をかけていない。何が悪いの」 という感覚だそうです。
迷惑をかけていないと自分では思っていても、社会的に許されないことはある。
援助交際は実質的に売春であり、誰からも祝福されません。
親や友人、その他多くの人を不愉快にするという点では、紛れもなく迷惑行為と言えるでしょう。


身勝手さがひと昔とは質が異なる、と教師歴30年の友人は言います。
他人に迷惑が及ぶことはわかっていても、自分自身が感じる 「迷惑」 で頭が一杯になるらしいのです。


学校の宿泊を伴う行事で、バスの出発時刻に遅れてきた一人の男子生徒がいたそうです。
この生徒のせいで、バスの出発が遅れ、全員に迷惑がかかったのですが、本人は 「僕もみんなと一緒に出発が遅れちゃったんだから、いいじゃないか」 と平然としていたらしいのです。
自分の痛みが他人の痛みより常に優先するため、 「自分も同じ目に遭っているのだから、非難される筋合いはない」 と思っているのです。


人が生きること自体、ほかの人の助けによって成り立っている、ということ。
それを悟って、その分、他の人のために尽くさなくてはならない、というようなことをどうわからせるか・・・・・
既にある程度の人格が形成されている高校生を教育する難しさに、友人の苦悩は相当深いものがあります。

来週、私もその高校に出向きます。