[2015年12月11日]
今年の夏以降に入会した小学生たちがとても元気です。若干3名ですが・・・
快活で何事にも積極的、そして学習に対してもすこぶる意欲的です。
確かに今までも、元気で学習に意欲的な小学生は少なからずいましたが、その比ではありません。
いやいや、知的好奇心の塊 (かたまり) です。決して誇張はしていません。
正直なところ、今まで私が持っていた小学生に対する認識を完全に覆すほどです。
折しも、11月の第3回定期考査 (公立中学校2年) の国語の試験範囲に、 「学ぶ力」という文章がありました。
その中に、こんな件があります。
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「学力」 とは、 「試験の点数」 のことなのでしょうか。私はそうは思いません。
試験の点数は数値です。数値ならば、他の人と比べたり、個人の経年変化みたりするうえでは参考になります。
でも、学力とはそのような数値だけで捉えるものではありません。 「学力」 という言葉をよく見てください。訓読みをしたら 「学ぶ力」 になります。私は 「学力」 を 「学ぶことができる力」 、 「学べる力 」として捉えるべきだと考えています。
数値として示して、他人と比較したり、順位をつけたりするものではない。私はそう思います。
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「学ぶ力が伸びる」 ための第一条件は、自分には 「まだまだ学ばなければならないことがたくさんある」 という 「学び足りなさ」 の自覚があること。 「無知の自覚」 といってもよい。これが第一です。
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この三つの条件をひと言で言い表すと、 「私は学びたいのです。先生、どうか教えてください。」 というセンテンスになります。数値で表せる成績や点数などの問題ではなく、たったこれだけの言葉。これが私の考える 「学力」 です。このセンテンスを素直に、はっきりと口に出せる人は、もうその段階で 「学力のある人」 です。
( 中学国語2 『伝え合う言葉』 教育出版 「学ぶ力」 内田樹 より抜粋 )
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毎回、授業開始間の30分早く来る4年生の男の子がいます。
まさに 「学ぶ力」 を大いに発揮する子です。
学校の宿題をおもむろにカバンから出して、やり始めます。
15分ほどでやり終えると、少々不安な箇所を必ず聞きに来ます。
そのあとは持ってきた本を読み始めます。
細かい字の装丁のしっかりした分厚い本を読んでいます。
一見して小学生向きではない本であることがわかります。
本の題名を聞くと、
「アインシュタインの本だよ。えーっと、何て言ったかな・・・」
「もしかしたら、相対性理論?」
「そう、それ。ソウタイリロン」
「ではなくて、ソウタイセイリロンだよ。 それにしても、すごいね! 難しくないの?」
「うーん、でも面白いよ!!」
あっぱれです。