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学研CAIスクール
中村橋教室

自ら勉強するようになるには?

「子どもはいかにして自主的に勉強するようになるか」

この命題は永遠の課題かもしれません。
どんなにすばらしい教材や環境や、あるいは時間を与えても、自分から学ぼうとしなければ本当の意味で学力はつきません。

つまり、勉強をしようとするとき、 「動機づけ」 や 「意欲」 といったものが不可欠となるのです。それなくして自ら学習しようという姿勢は生まれてきません。

当たり前と言えば当たり前のことを申し上げました。しかし、このように普遍の真理として明確にわかっていることなのに、どうしたらいいのか本当のところわからない。だから 「永遠の課題」 だと思うのです。

そして意欲の度合いに上限がないように、学習の方法にこれ以上最良、最善の方法はない、ということはあり得ないのです。

雲を掴むような話はさて置いて、では具体的にどのようにすればよいのか紐解いていきましょう。

※「自ら勉強するようになるには」 は2回に分けてお話しいたします。
今回第1回目は、小学生向けに書かせていただきましたが、中学生の保護者の方も是非ご覧ください。
本質的には何ら変わりません。




レベル
目的
対象小学生・中学生
科目全教科
期間
授業形態
実施曜日
実施時間
クラス編成
教材

勉強するきっかけを上手に与える

▼▲ 勉強の 「目的」 と 「目当て」 をはっきり伝える

自主的に学習する子どもは必ず伸びます。これは確かでしょう。
ですが、多くの子どもは自分から進んで学ぶきっかけ (動機 )を掴むことができていません。上手に与えられていない、と言ってもいいかもしれません。
やはり、特に小学生のうちはうまく仕向けてあげることが大事だと思います。従って、親御さんの役割はとても大きいと言えます。

とにもかくにも一番大事なことは、「勉強の目的」 をはっきりさせることです。
しかし、ややもすると抽象的な精神論や、理想論になりがちで 「ごもっとも」 な話で終わってしまいがちです。

説明の内容は、もちろん子どもの年齢にもよりますが、 「○○がわかれば△△がわかるようになる」 「□□を知ることができればこんなことができて楽しくなる」 のように、プラス思考で夢を膨らませることです。

▼▲ 『教育勅語』 に感銘 しかし・・・

少々脱線しますが、『教育勅語』というものをご存知でしょうか。
去る平成22年は、明治神宮が鎮座90年を迎えるにあたり、10月下旬から11月上旬にかけて様々な日本の伝統芸能が奉納された「秋の大祭」が催されました。さらに、同年は『教育勅語』の詔勅が出されてから120年目に当たる年として、教育勅語渙発120周年記念祭も執り行われました。この教育勅語を口語文に意訳して印刷された蛇腹折りに小さく畳んだものが頒布され、それをいただいてきました。

何度も読み返しました。言うまでもなく、とてもすばらしいことが書かれています。気品と気高さ、そして尊さがあり、言葉一つひとつが心に深く響いてきます。

その一節を紹介いたしますと、

「・・・ 博愛衆に及ぼし学を修め業を習ひ 以て知能を啓発し徳器を成就し 進で公益を広め世務を開き・・・」
<口語訳(意訳)>
「・・・どんなことでも自分ひとりではできないのですから、いつも思いやりの心をもって 『みんなにやさしくします』 と博愛の輪を広げましょう。 誰でも自分の能力と人格を高めるために学業や鍛錬をするのですから、『進んで勉強し努力します』 という意気込みで、知徳を磨きましょう。・・・」
というくだりがあります。

とても感銘を受けました。文句をつける人はまずいないでしょう。
大人は、この一文を読んだだけで、「やっぱり勉強しなきゃ」、と眠っていた向学心を改めて刺激されますが、小中学生には言葉は理解できるものの逆に尊すぎて“馬の耳に念仏”となりかねません。

そうです。子どもにはすばらしい言葉よりも具体的な方法論が必要なのです。

▼▲ 大人の正論は子どもには通じない

では、どのような目的や目当てがいいのかと言うと、一つの考え方としてまずは「トップダウン方式」があります。
例えば、中学生になると、将来の方向性がおぼろげながら決まってくる子どもや、既に明確に目標設定のできる子どももいます。
また、先々の職業観ではなく、近い将来である高校や大学などの進路が明確になっている人もいます。
東大生の半数以上は、小学校高学年や中学生のうちに東大に入ることを “決意” した、という調査結果を見たことがあります。

「だから、みんなもこのように自分の進むべき道をしっかり考えなさい、そして、そこから逆算して今やるべきことを考えなさい」、 と言ったところでなかなか容易に考えられるものではありません。発想の仕方がわかりません。それを考えるための知識や経験も乏しく、思考が展開していきません。

このようなキャリア教育の是非についてここで論じるつもりはありません。また、決して否定しているわけではなく、とても大事なことだと考えていますが、しかし如何せん小中学生一様に通ずる話ではないのです。
ましてや小学校低学年には到底無理な話です。

つまり、子どもの年齢(発達段階)に応じた、子どもと同じ目線で話を始める必要があります。

▼▲ より具体的な内容 (ボトムアップ) で納得させる

では、現実的な話として、自主的な学習を目指すためには、むしろ目の前の  「目的、目当て、あるいは目標」 が大切です。つまり「ボトムアップ方式」 です。

それは、 「あしたの授業を今日勉強する」 という 「目的・目当て」 です。
「あした国語の授業があるわよね。きょうのうちにあしたやる教科書の文章を読んでおこうね。」 という、はっきりした 「目的・目当て 」意識です。
「あした、算数があるから少し見ておこう」 「今度の理科は、何か観察をするみたいだから予めインターネットで調べてみようか」 という具合です。

勉強することによって何かを期待させる

▼▲ 「目的」 「目当て」  の次にある ワクワク・ドキドキ感 

このように、 「勉強する目的」 を 「具体的な目当て」 にしなかければなりません。
しかし、これだけでは実は足りないのです。そこには目当てをある程度成し遂げたあとの 「期待値」 をイメージさせることが重要なのです。それがないと、面白くなく面倒くさい単なる予習に過ぎなくなってしまいます。

つまり、勉強することによって得られる結果に対して、何らかの楽しみなりうれしさなり期待感をイメージさせることが出来なければだめなのです。
ワクワクするようなドキドキするような何か心を動かすものが必要です。

▼▲ 理想的なシナリオ

例えば、シナリオとしては次の通りです。

→まず、明日の授業内容の予習をする。

→と同時に、明日の授業の場面を想像させ、親御さんがポッジティブな話をしてあげることによって授業が待ち遠しい気持ちにさせる。

→すると自然と授業に対する意識や積極性が高くなる。

→予習によって既に知り得たことを言ってみたくなったり、自信を持って答えることができたりする。

→さらに疑問点も生まれやすくなりそれを解決したい、という欲求が沸いてくる。

→また、先生に褒められたりクラスメイトから賞賛されたりすると、とてつもなくうれしくなり感激する。そして知識欲が沸いてくる。

→そうして、もっと褒められたい、もっと知りたいという気持ちが自分を勉強に向かわせる。

・・・という具合です。

▼▲ 安心感 → 優越感・感激 → 意欲

先に示した教育勅語の内容とは、いわゆる学業の本質部分は異なるかもしれませんが、決して間違ったことではないと思います。物やお金で釣るわけではありませんから。

このシナリオは、学習の好循環を生む好ましい学習サイクルだと考えています。
褒めてもらえる、あるいは友達から 「すげーっ」 と言われることがどんなにうれしいことか。そしてそれ以前に、予習の段階でに十分な理解がたとえ得られなくても、予めある程度やっておく、というところから来る安心感は大人が考えるよりも子どもたちにとってはとても大きいのです。
この安心感が、ちょっとした優越感を刺激し、意欲を生み出す源泉にもなってきます。

▼▲ 塾の授業でも

ですから、塾の基本的な学習スタイルは学校の先取り学習です。さらに、次回の学習内容の予告をし、意識付けをします。

特に算数や数学の少々苦手な子どもたちは、学校の進度と塾での学習進度をことさら気にします。学校の授業が塾の授業進度に追いつきそうになると、普段なかなか質問できないような引っ込み思案の生徒もこのときばかりはしっかり自己主張しますから感心してしまいます。

「学ぼうとする構え」 を作る

▼▲ 事前の準備は、成績を向上させる。なぜ?

国語研究調査に 「学校に持っていくものを、前日かその日の朝に確認しますか」 というのがあります。
その調査結果を見ると、 「必ず確認する」 子どもの成績が 「確認しない」 子どもに比べてかなりいい結果が出ています。

授業の確認だけで、成績が良くなるのです。むろん、授業の確認をするということは、持ち物の準備にとどまらず、様々なことに前向きに取り組み、事前に調べたりわからないことを一つひとつ解決したり、練習したりした結果、成績に少しずつ反映されてくるのです。

事前に確認することによって、授業への 「構え」 ができます。
今日の授業では何をするのか、という授業の心構えが作られます。
つまり、授業に対するより前向きな参加意識が違ってくるのです。

▼▲ 学ぶ側の積極的な姿勢とは

『声に出して読みたい日本語』 の著者で明治大学教授の齋藤孝さんは、 『教え方』 という著書で、学ぶ側の構えがとても重要であることを説いています。

学ぶ側の構えとは、 「積極的な受動性」 と 「消極的な受動性」 があり、積極的な受動性というのは、何かを受け入れていくときに、積極的に吸収していくときの感じの構えで、消極的な受動性というのは、上手に引っ張ってくれればその気になるかもしれないけれど、基本的には傍観しているという構えだ、としています。

そして教えるという働きかけが最も深く入るのは、積極的受動態であり、この構えを作ることが重要である、と述べています。

さらにそれを効果的に引き出すための呼吸法や体操を紹介しています。(ここでは割愛いたしますので、是非著書をご覧ください)

▼▲ やらせるのではなく、親も一緒にやる

そこで、教える側 (教師) は、授業の終わりに次の授業の予告を必ず行うことが大切となります。
準備についても具体的に示しておくと、子どもは明日の授業のことが頭に残る。

これはある小学校で徹底して実践されているとのことですが、授業が始まると、自分が前日学習してきたことを、アピールしようと教室全体が活気づくのだそうです。
もちろん、全員が事前学習をしてくるわけではないのですが、してこなかった子どもがうまく引っ張られ、徐々に意識が喚起されていくそうです。

その役割を親御さんがある程度担うことは十分可能です。ただし、子どもに勉強させるのではなく、子どもと同じスタンスに立って一緒にやるという 「積極的な受動性」 が肝要です。

「わからないこと」 の発見が大事

▼▲ 明日の授業への期待感が動機付けとなる

子どもの学習意欲を高める一つの方法として、 「明日の授業の予習をすること」 を述べてきました。
繰り返しになりますが、なぜそうするのかというと、意識を前向きな状態に変えていくことができるからです。

つまり、 「学校で習う前に自分で前もって勉強した」 、というささやかな優越感を刺激することで、安心感を得ることができ、明日の学校の授業への期待感 (ワクワク感) を生むことができるからです。
これが何よりの動機付けです。

▼▲ 「わからないことが、わかってくる」ささやかな喜び

では、家庭で予習をする場合、どのようにすればいいのでしょうか。
そもそも明日の授業は子どもにとって、「未知の学習内容」 だから、分からなくて当然です。それでもチャレンジさせます。そして、親御さんも同じ目線で同じレベルで、教えるのではなく一緒にわからないことを考え乗り越えてみてください。 (ポーズでもいいのです。)

やってみると案外 「少しはわかる」 ことが出てきます。この自分の力で 「わかる」 ことができた、という思いは大切です。喜びが湧いてきます。
ただ、全てがわかる必要はありません。ここはわかるが、この点がわからない、ということに気づくようになります。「わからない」 ことに対する発見です。

そもそも、勉強がつらくなる要因の一つに、「わからないことが、わからない こと」 でしょう。だから何をやったらいいのかわからない、だからやらない、という構図になってしまうのではないでしょうか。

このようなとてももやもやした状態から、霧が晴れて目指す方向が見てて来たとき、安堵感とともに一歩進んだという喜びとささやかな自信が生まれてきます。

親子が一緒に学ぶ効用は計り知れません

自分にとって 「わからない」 ことは何かを知ることです。 「ここがよくわからなかった」 と意識しながら授業に参加すると、一所懸命授業を聞くようになります。そして 「あんなに考えてわからなかったことは、そういうことだったのか」 と、一層深く理解できます。

ぼーっと授業を聞く (消極的受動態で聞く) のとは全く異なる深い理解なのです。予習学習の効用です。
さらに予習すると、授業がよくわかるようになるから勉強が面白くなる。授業でも受け身でなくなり、よく発言や発表するようになります。

これが学習の好循環であり、学習だけでなく生活全般において積極的な姿勢になってきます。

まずは、国語や社会といった教科 (教科書を読めばある程度わかる教科) や好きな教科 (分野) から始めてみてください。
そして、思いがけない親子のふれあいが生まれてくることでしょう。
もしかしたら、二次的な効果の方が大きいかもしれません。