そもそも 「学力」 とは 「潜在する力」
小学生・中学生の持つ潜在しているあらゆる能力の中で、何かをきっかけに顕在化してくるものが、結果としての 「学力」 だと思います。
ですから、子どもたちは学力の基となる 「能力」 を、既に一様に持っているわけです。
元々持っている能力を引き出すスイッチが必ずあります
能力を引き出すスイッチは十人十色です。
また、そのスイッチが見えている場合と、まだまだ見えない場合とがあります。
ですから、それらを探したり、的確なタイミングでそれを押したりすることが塾での指導の重要なポイントだと考えています。
遅かれ早かれ、伸びる瞬間が必ずあります
塾での指導においては、画一的な指導は難しく、一人ひとりの個性とその時の状況を正確に見極めながら指導をしていかないと、効率よく能力は引き出せないと考えています。
とは言え、良かれと思って指導しても、なかなか期待通り効果の上がってこないジレンマを感じることも多いのも事実です。
ところが、学力が上がらず、少々厳しすぎたな、無理だったかな、などと思っても相当後になって(1年以上も経ってから)卒塾した生徒から、「あのころ言われた○○○は、今になってようやくその意味がわかった。 今それを実践している。」 と言ってくれる生徒も今まで何人もいます。
押したスイッチに、あとで反応することもあるようです。
経験則からの “指導のツボ” をご紹介します
能力や学力は、メンタル的な部分が深くかかわり、幼少期から現在までの生活環境や境遇も大きく影響していることも否定できないでしょう。
ですから、塾での指導においては、お聞きすることができる範囲内のバックグラウンドは把握しながら指導を心がけています。
ただ、今回はそこに立ち返るのではなく、現実的で実践的な “指導のツボ“ として、指導の現場で確信したことや功を奏したこと、などあくまでも経験上のお話をしたいと思います。
どこにスイッチがあるのか、そしていつそれを押したらよいのか
まずは、能力が潜んでいる場所探し = “スイッチ探し” と 能力をどうやって外に引き出してあげるか = “引っ張り出すタイミング” に焦点を当てていきます。
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前置きが長くなりました。
以降に、次の項目についてご説明します。
●伸びるタイプの特徴ベスト4 プラス1<番外編>
●伸びるタイプの具体的特徴と指導のポイント
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レベル | - |
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目的 | - |
対象 | 小学生・中学生 |
科目 | * |
期間 | |
授業形態 | - |
実施曜日 | |
実施時間 | - |
クラス編成 | |
教材 |
1.素直・謙虚・正直である
2.日本語力がある
3.自主性、積極性があり、プラス思考
4.パズル・クイズ・理科・社会が好き
プラス1 打ち込める趣味がある、外遊びをする <番外編>
学力の伸びている子や高い子は、例外なく上記4つ全てに当てはまります。
言い換えると、学力の伸びている子や高い子に共通している特徴を集約すると、この4つに絞り込めます。
時間と努力をそれなりに要しますが、どれもそれ自体を伸ばしたり、好きなものにしたりすることが可能なものばかりだと思います。
これらを伸ばすことによって、結果的に学ぶ能力を引き出し、学力につなげていくことが可能となると経験的に確信しています。
このほかにも、 「自己分析(自己客観視)ができる」 「創意工夫ができる」 「緻密である」 「記憶力がある」 「計算が速い」 「漢字をよく知っている」 「読むのが速い」 「書くのが速い」 ・・・・・ など挙げればきりがありませんが、学力を伸ばす必須要件としてどの子どもにも必ずしも共通する要素ではありません。
また、元々持っている性格的な点やクセなど、なかなか変えていくことが難しいものや、小中学生として身につけることが容易ではないものについては、今回の考察からは除外しています。
例えば、明朗、几帳面、真面目、集中力、根気、要領、体力 など確かにとても重要な “資質” の一つひとつですが、そもそも指導あるいは練習して短期間のうちになかなか身につくものではありません。
学力の伸びる子は、『素直・謙虚・正直である』 ということ
これは、学力が伸びる子どもの一番大きな特徴です。
学力だけでなく、人間的にも好かれる一番重要な要素でしょう。
<具体的な特徴>
■どのような言動に表れているか
●わからないことは、はっきりわからない、と言える。
●どんな状況でも、どんな基本的なことでも、聞く、質問する、教えてもらう、などの姿勢を崩さない。(教わろうとする構えができている)
●間違った答えを消さない。
●間違えたとき、わかっていないことをカモフラージュするような言い訳をしない。
●宿題や提出物が期日までに提出できなかったとき、「できませんでした」、「さぼってしまいました」、などと潔く認めることができる。
●理不尽なことや不公平なことに対しては、自分から正しいと判断したことを主張できる。逆に自分の過ちに対しては、しっかり謝ることができる。
■つまり、ごまかさず自分をさらけ出す こと
一言で言えば、どんなことでも自分の間違い、過ち、失敗、欠点などマイナス要素に対してごまかさないことや、嘘をつかないことです。
小学校に上がれば、どんな子もこれは大事な姿勢で、親からも先生からも事あるごとにその大切さは教えられ、そして実際に感じ取っているものです。
しかし、素直になったり、ごまかさずに正直になったりすることができない場面もあるのが実情でしょう。
■「従順」 なのではなく 「向上心」があり「芯が強い」 のです
素直な子は、往々にして 「強さ」 があります。
もちろん腕力ではなく、精神的なタフさ・意志の強さ・我慢強さ・辛抱強さ などがあります。
また、その根っこの部分には 「思いやり」 と 「向上心」 が宿っていることが窺えます。
そして、自分の非や欠点を認める 「勇気」 もあります。
素直な子というと、何でもおとなしく聞く、というどちらかと言うと 「弱い」 部類に入るという感覚がありますが、実は正反対で 「芯が強い」 のです。
つまり、素直・謙虚・正直になるということは、心が強くなければそれは本当の姿ではないということです。
そして、その心を支えるのは、誰しも持っている弱気な気持に勝る 「こうなりたい、ああなりたい」「できるようになりたい」 という純粋な気持ちに他なりません。
<塾における指導の留意点>
■できるようになるイメージを与える
「将来○○になりたい」、とか 「強くなりたい」 といった漠然とした大きな目標からブレイクダウンさせるのは容易ではありません。
そうではなく、もっと目先の学習面において、「これができれば、次にこれができる、そうすると次にこれがわかってくる」 というような道筋を示してあげて、自分が進んでいくステップを目に見える形でイメージさせてあげます。
そして、「わかるようになっていく」 「できるようになっていく」 という自分自身に対する期待感を持たせ、いい気分にさせてあげることです。
■間違いは “悪” ではなく “善” である
そして指導において大事なことは、間違ったら怒られる、何度も聞いたら嫌がられる、といったことを意識させないようにすることです。
「間違いやミスしたことは、必ず次に生きる」 というプラス思考に転じるよう、認めてあげます。
つまり、 「認める」 というスイッチを押してあげます。<「認めてもらえる」 と思った瞬間から素直になり、ごまかさなくなります。
さらに、疑問点に対してためらうことなく “素直に” 聞けるようになります。
■では、逆に責めてしまうとどうなるか
「何で同じ間違いをするの?」 「何度言ったらわかるの?」 「何でわからないの?」と言われると、そもそも問われているのではなく、半ば怒られるような状況になってしまうため、答えようがなくなり、しゅんとなってしまいます。
小学生3・4年生くらいだと、 「今日は頭が痛いから」 とか 「疲れているから」 というような言葉がぽろっと出てきてしまいます。
あるいは、 「だってこんな問題やったことないもん!」 とひねくれてしまいます。
こうなってしまうと、いつも「言い訳」 を考えるようになってしまいます。
■前を向かせると気持ちが晴れる
そうではなく、「じゃ、どうしたらできると思う」 「どうしたらいいかな」 というように痛いところを突かれる原因追求型ではなく、建設的な解決型に転換することにより、気持ちがうんと楽になります。
学力の伸びる子は、『日本語力がある』 ということ
日本語は、全てのことを考える 「手がかり」 となるものです。
要は、国語力ということになりますが、学力が伸びている子は、特に 「言葉」 を操る 「言語能力」 がある、ということです。
<具体的な特徴>
●自分の思っていることを相手に正しく伝えられる
●大人との会話では、友達同士で使う言葉は使わない。
●敬語 (尊敬語、謙譲語) や丁寧な言葉を知っており、ある程度適切に使える。
●相手の立場や境遇を思いやった言葉を使って会話ができる。
●「え〜と」 「ちょっと・・・」 「あれ・・・」 「あの〜」 というような意味のない言葉がほとんど出てこない。
●小学校高学年以上は、社会問題や時事問題などのテーマについてある程度の話ができる。
●本を月に最低3冊以上は読んでいる。
●国語に限らず、どんな教科の学習においても辞書を活用している。
<塾における指導の留意点>
指導内容の詳細 「国語力UP法」 にてご紹介していますので、具体的な学習内容についてはそちらに譲ります。
ここでは、教科としての直接的な国語の指導方法ではなく、それ以外での場面における指導方法です。
■ 国語の授業だけでなく、全ての教科の中で 「語句の意味」 「正しい表現方法」 を常に意識させる
◆ 例えば算数・数学では・・・
例えば、算数や数学などの問題の解法手順を説明させたり、用語を正確に説明させたりすることを常に行います。
つまり、何事も 「言葉で正確に説明できる」 ということが重要です。
<用語の例> 小学生であれば、時こく・時間、辺・ちょう点、二等辺三角形・正三角形、四捨五入 など 中学生であれば、自然数、係数、指数、関数、変化の割合、因数、平方根 など
そもそも用語の理解は、算数・数学の理解のための言語でありルールですので、決して避けて通れない学習になります。
例えば、ルール用語やルールそのものを知らずして、サッカーや野球などの試合をするようなものです。
“「用語」を疎かにするな、しっかり理解しろ!” は指導において耳にたこができるほど刷り込みます。
そして、必ずまずは口頭で説明をさせます。
◆ 例えば英語で、説明の苦手な子は・・・
次の事例は英語の授業の一場面です。
中2の生徒に、「一般動詞にはどんなときに “s” がつくのか」 という質問を問いかけたところ、
今ひとつの回答は(これが非常に多い)、
「“He” とかのとき “s” がつきます。」 です。
この回答は、本当にわかっているのかどうか、判断できません。
結果的に正確に理解していない場合が少なくありません。
間違ったことは言っていないのですが、極めて不十分で、これでは説明になりません。
実際わかっていても、このような説明で終えてしまうことが圧倒的に多いのです。
◆ 「〜とか」 の乱用
また、「〜とか」 という言葉を必ず用い、文章の最初に使って一つだけの例で終えてしまう傾向にあります。
そもそも、「〜とか」は、通常一通り説明した後や説明の冒頭で、「例えば〜とか、〜とか のように・・・」 という複数の例示に使います。
◆ では、学力の伸びている子は・・・
きちんと答えられる子は、
「主語が三人称単数で現在形のとき、一般動詞の語尾に “s” がつきます。」 という正確な用語を用いて説明がしっかりできます。
このように、正確に説明することによって理解が深まり、忘れることはないでしょう。
◆ 何度も繰り返して練習
結果として、いい加減な説明は、裏を返せばわかっていない証拠でもあるのです。
学習したことは、今一度自分で言語化 (文章化) し、説明して納得していくことが重要です。
この繰り返しが学力を定着させ、さらに伸ばすことができるのです。
ですから、教えて練習し定着する、といった一連の学習の中に “自分の言葉で説明する” ということを必ず実行しています。
最初は稚拙な言葉で、たどたどしく要領を得ませんが、練習を積んでいくに従って徐々に説明できるようになってきます。
■ 様々な場面で、主語・述語の整った文章で説明をさせ、常に正しい日本語表現をさせる
◆ 最も基本的なことは、主語と述語、そして理由
これも、基本的に前述の考え方と全く同じです。
つまり、学習の場面だけでなく、連絡や報告あるいは何気ない会話など何かを伝えるために言葉を発する全ての場面において 「正しく相手に伝わる日本語表現」 を意識させます。
特に、 「主語は誰なのか、何なのか」 ということと、そして「どうした、何だ、どのようだ」 という述語の部分と、 「理由」 です。
「理由」 がないと、単なる起こった出来事を事実として言っただけになるので、そこで話が途切れてしまうことが多いのです。
◆ 例えば日常会話で、説明が苦手な子は・・・
例えば、腕に包帯を巻いてあまり軽そうではないケガをしている子(小4)に、 「その包帯どうしたの」 と聞くと。
「押されて・・・折れた」 と第一声。
そのあとの説明を待っていても言葉が続きません。
せいぜい、 「すごく痛かった」 「すぐ病院に行った」 あるいは 「ひどいんだよ」 が落ちです。
いやな思いが蘇ってくるので、あまり説明したくない気持ちがあることも否定できませんが、つまり、どこで遊んでいて、誰が、どうして、君のことをどの程度押して、どんなふうに折ってしまったのか、という説明が自然にできないのです。
どうしても言いたくない場合は別として、ほとんどの場合うまく説明できないので、言葉に詰まってしまうのです。
この例の場合、一つひとつ、 「どこで?」 「誰と?」 「なんで?」 「どんなふうに?」 と聞いて話の順序をこちらで組み立ててあげないと、何から話をしていいのかわからず文章にならないことが多いようです。
この様に、一連の説明をきちんと順を追ってわかりやすく説明することが苦手なため、一言のだけの説明と結果と感情しか言葉にならないことが多いのです。
◆ では、学力の伸びている子の会話は・・・
学力の伸びている子や高い子はどうなのか、というと、
一般的な傾向として、話が展開し、発展していきます。そして、そこから会話が始まり、コミュニケーションが成立します。
もちろん、話好き、おしゃべり、というような性格的な面や、性差もありますが、根本的に物事を順序立てて説明する力があります。
時系列に順序立てて起きた事実と理由を整理して、それを文章化し、出来事と自分の感情を分けて説明することは、学力を伸ばすための基礎的な能力でしょう。
◆ あくまでも聞き役で、うまく誘導してあげる
ですから、どんな場面でも、どんな話題でも、さりげなく突っ込んで、できるだけ詳しく説明をさせます。
あくまでもこちらは聞き上手になって、自分で言葉を考えて、文章を組み立てて、言わせるようにします。
■身近な季節感のある言葉や事柄を取り上げ、興味・関心を促す
◆ 関心の幅を広げる
塾では、折に触れてできるだけ季節感のある事柄や日本の伝統文化などにまつわる話をするようにしています。
それは、机上の学習で得る知識ではなく、普段の生活の中で、見て、感じて、触れて学べる知識についての話題です。
食べ物、野菜、果物、花、昆虫・・・
都会の子らしいと言えばそうかもしれませんが、今の子どもたちは、特に「自然」に関する物や現象を多くは知りません。
◆ 『「秋」から連想するものは何ですか?』
季節ごとに、このような問いかけを授業の冒頭にします。
言葉でも絵でも思いつくままに書かせると、ほぼ正確に学力との相関関係が認められます。
以前行なったとき、学力の高い子は、言葉と絵を合わせて39個挙げました。 (小5の女子)
学力の伸び悩んでいる子は、一番少ない子で7個でした。(中1男子)
結果として単純には知識の有無ですが、いかに普段色々なことに興味関心を持っているかの差だと思います。
この意識は明らかに学力に直結してきます。
◆ 「物知り」 になるちょっとした優越感
内容は教科書的ではなく雑学に近いもので、教科学習に必ずしも直接的に役立つものではありません。
例えば、春の七草、十二支、旧暦での月の呼び名(睦月、如月、弥生など)、しきたり・慣習(初詣、七五三、節分、七夕など)、百人一首、花・木・虫・鳥・魚などの名前 ・・・・・ などなど
日本の文化を知り、それらを深く学ぶことは、さらに知識欲や知的欲求を刺激する大事な姿勢だと思います。
そして、知識欲のある子は、誰かに言われた訳でもなく、いったん知り得た事柄を一生懸命覚えようとするのです。
別段何のためでもない、知っていること、覚えること、そして覚えられることに喜びを見い出しています。
そして、 “よく知ってるね!” と言われることが結構嬉しいのです。
学力の伸びる子は、『自主性、積極性があり、プラス思考である』 ということ
ご説明するまでもないことかもしれません。
ここでは、ちょっと視点を変えて、これらのことを阻害している点についても考察してみたいと思います。
※少々辛口です。ご勘弁ください。
<具体的な特徴>
●能動的にやっていることをひけらかさない。(至極当然のことだと思っている。)
●こちらが気がつく前に要求してくる。(宿題や課題など)
●さぼってしまったり、怠けてしまったりしたことをとても悔やむ。
●悪い結果は隠さず、出来なかった箇所に着目できる。
●自分に少々きつめの目標を課し、努力することに一種の喜びを見いだすことができる。
●早起きが苦にならない。
●自分にとって、有害なもの、無益なもの、無駄なものを上手に見極められる。
などなど
<自主性を阻害しているもの(中学生の場合)>
■公立中は指示待ちの温床になっている?
◆面倒見の良さと過保護との境目?
今の公立中学校は、先生方がとても親身で気配りや心配りが行き届いていると実感しています。
学校環境を安全に、快適に、そして伸び伸びと活動させることは最も重要なことでしょう。
しかし、一方で問題行動や危険を未然に防ぐために規律や校則で規制を強化したり、一つひとつの行動を細かに指示したり、制限したりすることは、逆に子どもたちの足かせとなって自主性や自立心を押さえ込むことにもなりかねないのではないか、と感じる場面もあります。(中学生の子を持つ保護者として感じる部分です。)
◆「元気」 と 「幼さ」 との境目?
また、公開授業に行く度に感じることは、子どもたちの 「活発さ」 と 「幼稚さ」 が紙一重だということです。
子ども扱いされている子どもたちは、やはりいつまでも「子ども」 なのだ、と思わずにはいられません。
◆仕方のないことなのか?
公立中学校は、自分から自主的に動ける一部の生徒は別として、ほぼ一様に細かく指示をしているように思います。
何かトラブルが発生してからでは遅いからと予防線を張って、学校全体にかかわるようなことは学校側がお膳立てをして、子供たちにはできるだけ介在をさせないようにしているようにも思えます。
裏を返せば、指示をしないとやらない、やらないと物事が運ばないからなのでしょう。
結果として仕方のないことなのかもしれません。
待っていたら事が進まず、集団生活の中では統制が取れず全てが滞ってしまいかねないからでしょう。
恐らく、先生方も日々ジレンマを感じながらのご指導だと思わずにはいられません。
◆ある学校の「修学旅行」
驚くべきは、中学3年生の 「修学旅行」 です。
荷物は往復宅配便。道中重い荷物を持つ必要はありません。
現地では、予め手配されているタクシーに分乗してお決まりのコースを時間通り回ってくれます。
子供たちは、事前に幾つかあるコースの中から好きなコースを選ぶだけで、あとは “連れて行かれる” のです。
ふと、チャップリンの『モダン・タイムス』 を連想してしまいました。
■ある公立中高一貫校や私学では 半大人扱い?
◆公開授業にて
始業のチャイムの全くない学校がありました。
授業開始時間の直前には、全員席について私語もほとんどありません。
先生が教室にいるわけでもなく、学級委員が指示しているわけでもありません。
授業公開だから、というわけでもないようです。(普段の様子を生徒に聞いてみました。)
これはすごいな、と大変びっくりしたのですが、冷静に考えれば中学生であればできて当たり前のことなのです。
◆「試験範囲表」 そんなものはない
また、私立中学校や国立中学校では、私の知る限りにおいて、定期考査の 「試験範囲表」なるものは存在しません。
授業中に口頭で発表するか、掲示板に試験範囲が掲示されるだけで、各自に印刷物として配布するような学校はありません。
さらには、全く範囲らしきものを言わない先生もいます。「授業の終わったところまで」、という単純明快なスタンスです。
■公立中学校では、手取り足取り?
◆充実の 「定期考査 試験範囲表」
公立中学校は、ものすごく丁寧な定期考査の範囲表を配布します。
出題項目の詳細とそれに対応した教科書・ワークのページ範囲、アドバイス、注意事項、持ち物、提出物、提出期日まで、さらには学習方法について別紙で用意する先生もいらっしゃいます。
この試験範囲表の中に 「持ち物」 という覧があります。そこに「筆記用具」 と書かれています。 果たして持って来ない人がいるのでしょうか?????
先生方の “何とか頑張って勉強して欲しい” という思いが詰まっています。それを痛いほど感じます。
◆しかし、子どもたちは・・・ それに十分に甘えています
子供たちは、どう受け止めているかというと(恐らくクラスの半数は)、
○試験範囲と出題項目が後で発表されるから、授業は聞き漏らしてもあまり気に留めない。
○試験範囲表が配布されてからが試験勉強スタートだ、と思っている。
○提出物は、取り敢えず出せば評価してくれるから、それで試験のための勉強をするというより、いかに早くこなして提出日に間に合わせるかが最大の目標になる。(最悪、答えを写してしまう。)
○範囲表に書かれていない項目は、必然的に勉強しようとしなくなる。
○試験に対する意識の低い子は、ほとんど 「試験範囲表」 を確認していない。
◆大丈夫なのか? 温室育ちの子どもたち
まさに、手取り足取り。ころばないように、つまずかかないようにしていることが、全てとは言えませんが、返って逆に作用していると思えてなりません。
もしかしたら、これが落ちこぼれを生み出してしまっている遠因なのかもしれないと、危惧されます。
『功罪相半ばする』 と言いますが、子どもたちにとっては 『功』 の方が結果的には少ないような気がしてなりません。
きっと、学力の伸びている子は、「試験範囲表」 がなくとも成績(試験結果)にほとんど影響はないでしょう。
現に、見事に試験範囲や、提出物など表を見なくても把握できています。
<塾における指導の留意点>
■家庭学習指導において
◆塾では何を指示するのか
塾生に、家庭学習用の問題集やワークを渡します。
しかし、いちいち「何ページから何ページをいつまでにやってこい」 とは絶対指示しません。
指示することは、定期試験前までに、「自分で必要だと思う箇所を考えて、計画を立ててこなしなさい」、ということだけです。
※所定のフォーマットの計画表を作らせ、実現可能かどうかは点検します。
◆あくまでも自分で判断
ですから、全部やる人もいれば、基本的な問題だけ、あるいは応用問題だけ、というように、その時々の自分の習熟状況や時間的なこと、各教科のバランスなどを自ら判断して進めるということを当たり前のようにやらせています。
■“ボケと突っ込み?” になることも
◆受身が基本スタイルの子は
それでも、指示待ちが体に染み付いている生徒は、漫才のようなやり取りになってしまいます。
自主性を促すために細かな指示はしないと言っても、点検は適宜行ってアドバイスをあげないと、無理や無駄が生じてしまいます。
そこで、ある生徒の問題集とそれをやったノートをチェックしたところ、全く答え合わせをしていません。
理由を聞くと、「答えは渡されていない」 と言い張るのです。
実は、いつ答えの冊子を要求してくるかなと思って、敢えてそれを渡していなかったのですが、案の定思った通りになってしまいました。
意識を確認するため、ちょっと意地悪をしました。
つまり、この生徒は言われたことは真面目にやるのですが、「勉強をやらされている」 という受身の感覚から全く脱していないのです。
このようなことは、枚挙にいとまがありません。
意識を変えるのは容易ではありませんが、このような具体的な行動を通して、「自分がいかに言われるがままに何も考えずに行動しているか」 を気付かせていくほかありません。
◆もしも、これが蔓延していたとしたら・・・ 空恐ろしい
学校の中では、「先生に言われたからやる」 「出せ、と言われたから出す」 という風潮が当たり前の感覚として、学校生活の常識と化してしまっているような気さえするのです。
なぜならば、そこそこ成績のいい子にも、そのような言動が見られるからです。
学力の伸びる子は、『パズル・クイズ・理科・社会が好きである』 ということ
パズルやクイズは一見学力とは別物ではないかと思われますが、もろに直結しています。
一言で言えば、「考える」 ということを楽しめるかどうか、なのです。
考えることの面白みや楽しさが実感できている人は、「学習」 を 「辛いもの」 ではなく「楽しいもの」 に転換できるのです。
パズル・クイズの類は、頭をひねって、ひらめいたりできたりしたときの “快感” が心地いいのでしょう。
“ヤッター!” という達成感、充実感、そしてちょっとした優越感。
理科・社会は、未知の世界を知ることのわくわく感でしょう。
好奇心・向学心や知識欲をくすぐるってくれるような刺激を常に求めているのです。
<具体的な特徴>
●パズルやクイズは決してあきらめない。
●何かに興味を持つと、関連する本を必ず読む。
●特定の事柄については、先生より知識が深い場合がある。
●その教科の学校のテストは間違いなく高得点を取る。あるいは高得点が取れるよう相当頑張る。
などなど
<塾における指導の留意点>
■パズルは40種類以上 クイズ書籍は20冊以上 オリジナルも
ピースをはめ込んだり、立体を作ったり、外したり、揃えたりといった手を動かして考えるパズル類は、40種類以上用意してあります。
また、紙に書いて考えるパズル・クイズ・迷路などは市販の書籍を20冊以上、オリジナルのもの(紙ベース)も開発しています。
■パズル・クイズの効用
◆手を動かして思考を展開させる
まずは、手を動かすクセをつけることができます。
算数や数学で、わからなくなってしまうと、書く手が止まってしまいます。
手が止まると頭の回転も自動的に止まります。
ですから、手を試行錯誤させて動かすことによって、思考もそれにつられて動き出します。
◆集中力と根気
次に、パズルは集中力と根気が養われることです。
クイズは考え抜く力が身についてくることです。
あまりに難しすぎるものではなく、ちょっと真剣にやればできそうなものに取り組ませることによって、できないことが悔しくなるという状況を作ってあげると、自然と集中することができます。
また、できたときの何とも言えないすっきりした気分がとても快いのです。
だから楽しいのです。
算数や数学のちょっと難しい問題を自力で解けたときの感覚と同じです。
■学習雑誌と書籍 そして新聞記事紹介
学習雑誌は、朝日新聞社発行の 「かがくる」 マンガ日本史」 と毎日新聞社発行の 「NEWSがわかる」 をみんなが自由に手に取って読める場所に置いています。
特に科学雑誌の 「かがくる」 は人気があります。
また、小学生・中学生向けの書籍は約700冊あります。
これらは、読み聞かせもできます。(読書クラブ)
日々のニュースも新聞記事をネタに授業の冒頭に紹介したり、理科・社会に直接関係ある記事については、さらに深く掘り下げて授業をしたり、調べさせたりしています。
学力の伸びる子の多くは、『打ち込める趣味がある、外遊びをする』 ということ
■バランス感覚がある
学力の伸びている子で、打ち込める趣味や好きなことがない子、外で遊ばない子 (運動をしない子) は、まず見当たりません。
※娯楽としてのコンピュータゲームは除外します。
特徴的なことは、精神面が安定していることと、ものの考え方や性格が偏っていないことです。
■自信と自己肯定感が持てる
外遊びは、算数・数学の図形認識・空間認識にも一役買っています。
そして、何かに打ち込んだら、食事をすることも忘れる集中力。
一つの分野に精通するパワー。
何か自分を向上させるような好きなことに熱中しているときの幸福感と充実感。
これらが、自分自身への自信と自己肯定感につながってくるのだと思います。
■学業以外で多忙なほど、いい結果が出る
特筆すべきは、高校入試において、直前まで部活なり習い事なり、それも掛け持ちでこなしている人ほど、受験は成功しているという歴然とした事実があります。
時間の使い方が自然と上手になり、短時間でも集中できる術を身につけることができてくるのでしょう。
これは、教えたり訓練したりしてできることではありません。
自らの工夫の中から生まれてくるものです。ですから、なかなか真似のできるものでもありません。
そして、この副産物は今後さまざな場面で役に立つ、ということでしょう。
これだけでも、受験の意義は大きいと思います。
余談ですが・・・
以前、剣道、水泳、空手を入試直前も休むことなく続け、しっかり第一志望校に合格した男の子がいました。
元々ある才能かもしれませんが、 “時間管理” と “集中力” にかなり長けていました。
時間を無駄にしないコツを聞いたら、
例えば、空手の練習のある日、学校から帰ってから練習開始時刻に間に合うように家で時間を調整して道場に向かうのではなく、学校から帰宅して支度をしてすぐ道場に向かうのだそうです。
そして道場に着いてから所定の練習開始時刻までの数十分の時間を活用して勉強するとのこと。
その方が、時間の無駄がなく、集中するから覚えられるのだそうです。
もちろん行き帰りのバスの中も学習タイムになります。
驚くべきは、やはりそれで培った 「集中力」 です。
かなり難しい英単語40語を10分足らずで覚えてしまいます。
(英単語テストを、中1・2は毎回20語、中3は毎回40語ずつ行なっています。)
覚えている途中で、声を掛けても聞こえません。(何度かやってみました)
ですから、理科・社会の暗記は得意中の得意です。
定期試験は面白いように得点できます。
ただ、落ちがあって・・・
定期試験で95点取れるのに、外部模擬試験 (会場テスト) を受けると、なんと30点台。
社会は本質的に嫌いだったことも災いして、見事にあっと言う間に忘れ去ってしまうのでした。
これにはお手上げでした。