「子どもたちのポテンシャル(潜在能力)」 を引き出し、高めるにはどうすればいいのでしょうか?
実践例をご紹介します。
レベル | - |
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目的 | - |
対象 | 小学生・中学生 |
科目 | 全教科 |
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授業形態 | - |
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実施時間 | - |
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子どもたちの自己認識と実際が余りにも大きくずれている と感じる
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ここ数年特に感じることは、子どもたちの成績の良し悪しに関係な能力は明らかにありながらそれが発揮されていない、ということです。
その原因として、自己肯定感が弱く自分を過小評価したり、踏ん張りが利かなかったり、競争に尻込みしてしまったり・・・ という傾向が見られます。
しかし、それ以前に本当に自分の長けている点や興味のある分野に自分自身気がついていないことが大きな原因だと感じています。
そして、ネガティブな発想や行動が、それらを気付かせにくくしている訳です。
気付いてないばかりか、全く逆にとらえてしまっていることさえあるのです。
もうこうなってしまうと、悲劇としか言いようがありません。
例えば、読解力や表現力はとてもあるのに、漢字を覚えられないばかりに 「国語は苦手だ」 と思い込んでしまっていたり、苦手意識を持つことの多い算数の文章問題がよくできるのに (論理的思考力があるのに) 、計算が遅く間違えやすいことが原因で 「算数は嫌いだ」 と思ってしまっていたりします。
歴史や世の中の動きにはとても関心があり物知りなのに、テストの点が悪いがために 「社会は苦手だ」 と勘違いしてしまっています。
特に中学生は、定期考査の点数をその教科の得手不得手や興味関心の度合いの尺度としてとらえてしまっています。
さらに危険なことに、本当は理科や数学が面白いと感じているにもかかわらず、国語や社会よりもテストの点数が低いことから数値だけで単純に判断して 「私は理系ではなく文系だ」 と半ば強引に言い聞かせようとしてしまう生徒もいるのです。
とても残念なことです。
このように、正しく自己客観視できない事例は枚挙に暇がありません。
一点集中で自信を得る (肯定感のある気付きの繰り返し)
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理想を言えば、言うまでもなく全ての教科や全ての分野がそつなく一定以上の習熟度に上げていくことが目標となります。
そして、そのために努力していくことが無論大事ですが、現実的にはそう簡単にはいきません。
ましてや塾の授業の限られた時間内でできることは決して多くはないのです。
そこで、短い時間であれもこれもと、どうしても欲張りがちな塾における指導を抜本的に改め、できるだけ得意な分野をさらに伸ばして「得意であることをしっかり自覚させる」ことに注力していくことに方向転換を図りました。
この取り組みは、一昨年の夏より継続して行っており、それなりの効果を上げ指導側としても確証と自信を得ています。
具体的には、 「1教科集中」 あるいは 「特定分野集中」 によって、自信を確実に持てるまでに引き上げていくというものです。
ただ、学校の授業との兼ね合いや、その時点での本人の得手不得手の自覚度合いを見極めた上で、メンタル的な面を十分加味して慎重に実施していきます。
あくまでも長期戦ではなく、短期間で自己変容が何度も自覚されることを目標に進めていきます。
つまり、 「あれっ? もしかしたら僕できるかな」 の気付きの繰り返しを期待するのです。
中期的なスパンでとらえて、多少の犠牲には目をつぶる
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もちろん、これによって払うべき犠牲、つまり他の教科の習得が遅れるといったデメリットの部分はありますが、それには敢えて思い切って目をつぶります。
得意な教科や分野で自信を得ることによって学習全般に対するモチベーションや自己肯定感を向上させることが大きな狙いだからです。
そこから、勉強を今までの 「やらされている」 から向上心を伴った 「自らやる」 に変わってくるのだと思います。
多少遠回りになる時期も一時的にはありますが、結果として 「学習に対する根本的な取り組み姿勢」 が変わってくることになりますので、少々大げさな表現ですが、学習スタンスのゆるぎない土台を固めることになると思うのです。
つまり、失うことのない自分自身の無形の財産を築くことになると確信しています。
そうなったとき、他の教科も自分から学習するようになるでしょう。
人間本来の潜在的な欲求に根ざして (側面的な取り組みとして)
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いくら得意意識を持ってしても、中学生くらいまではまだまだ本当の意味での学習の意義、ましてや意志を強く持った向学心や探究心はなかなか期待できません。
人間、難しいことや苦しいことよりも楽な方や遊びの方になびきますし、得意な分野でもどうしてもできなければ意欲は低下しないとは限りません。
ちょっとしたことがきっかけで、挫折をもしかねません。
一方で、人間は知的好奇心、知的欲求、向上心などが潜在的に誰しも持ち合わせていると思います。
新しい物事を知ったり、疑問点が解決したり、それらを誰かに伝えたり教えたりする喜びを否定する人は基本的にはいないでしょう。
それらを刺激し芽生えさせるためには、精神的な負担がなく純粋に 「学習を楽しむ」 ということが出発点です。
そこから 「自身が向上することを喜ぶ」 という自己肯定感につなげたいと考えています。
頭を使うことの楽しさ と 知っているということの優越感を刺激する
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そのために、 「学習の意義」 をもっともらしく教えるのではなく、まずは 「考えることが楽しい」 という材料を常に与えていきます。
これは、教科学習に限ったことではなく、どちらかと言えば教科以外と言ったほうがいいでしょう。
開校以来継続して行ってきていることですが、パズルやクイズ、なぞかけや川柳・俳句作りなどストレスなく楽しみながら頭を使うことをさらに積極的に取り入れていきます。
また、ちょっと物知りになる優越感を持ってもらうために、いわゆる雑学と言われるような事を紹介したり、あるいはみんなで調べたり発表したりする場面を少ない時間を上手にやりくりして確保していきたいと考えています。
子どもたちは、考えることを心底楽しんでいるときや、認められたり賞賛されたりする喜びを感じたとき、目がキラキラ輝いています。
この経験が、自分の興味関心の向く方向や自分の能力・才能にふと気付き、ポテンシャル (潜在能力・可能性) を自ら引き出すことにつながるのだと思うのです。