そもそも 「やる気」 の基準とは?
◆ 子供は決して 「やる気」 がない訳ではない
まず、親の目から見て何を基準にやる気がない、と思っているかどうかが、実は大きなポイントです。
意外かもしれませんが、子ども自身に問題がないケースも少なくありません。
最低限の家庭学習はやっている。志望校に行きたいという気持ちは持ち続けている。模試やテストも頑張っている。
でも傍から見ると、家庭学習時間が少ないとか、テレビを遅くまで見ているとか、ゲームをしているとか、どうしてもマイナス面ばかりが目に付いて、 “やる気がない” と思い込み、勝手に気をもんでいることも多いのです。
◆ 親の願望の度合いが基準 (尺度) になっていませんか?
「やる気」 という言葉は、聞こえがよく使い勝手もいい言葉だけに、特に様々なマイナス面を 「やる気がない」 という一つの括りに丸められてしまいます。
客観的に誰が見ても 「努力が足りないのか」、親の願望として 「もっと頑張って欲しいのか」、ということを切り分けておかないと、結果として必要以上に子どもにプレッシャーを与えてしまいかねません。
合格した子は 「ものすごく努力した子」?
◆ 冷静な目を持つこと
少々脱線してしまいますが、冷静な目を持っていただきたいため、敢えて陥りがちな感覚を申し上げます。
一般的に、自分の子どもと同じ条件の子どもと比較して、わが子はどうなのかを判断することもあるでしょう。
やる気がないと見えるのは、単に親の思い込みなのかもしれない。
そんなことを判断するために様々なルートで情報を集めることもあると思います。
お知り合い同士の口コミや、メディアの受験情報などです。
そこで注意していただきたいのは、都合よく加工された噂話が非常に多いということです。
典型的なのは、世間で有名校と言われる学校に合格した子を 「ものすごく努力した子」 と神童化してしまうことです。
受かる子はこのぐらいやっているはず、となってしまいます。
しかし、そのネタ元は、知り合いのお子さんの勉強ぶりを、それも人づてに聞いた、という程度であったりします。
わが子にやらせる理由と自分の判断の正当性をついつい探ってしまうのです。
結局のところ、ある特定の事例を取り上げて、あたかもそれがまっとうで、受験生の多くが実践しているかのような錯覚に陥ってしまいます。
受験情報に惑わされないためには
◆ 聞いた話は最終的には自分で確認するつもりで
まずは、自分の手元にある情報を整理し、その精度を上げることを常に心がけることです。つまり、いい情報に対しても、そうでない情報に対しても、踊らされない、翻弄されない、ということです。
大変ですが、手間や時間がかかっても、できるだけ自分の足や目で確認することを心掛けることが肝要です。
そして、できるだけ客観的な情報を集めて、判断基準を切り分けることです。
※そもそも、受験に関する情報の解釈は、自分自身の経験則からの判断が基準です。
(自分の価値判断がぶれないようにするための必須のスタンスです)
「やる気」 は究極の内発的欲求です
◆ 強要すると自立を阻害してしまいます
さて、話を 「やる気」 に戻します。
わが子を見て 「やる気」 のなさを感じてしまうと、ついつい 「やる気あるの?」 とか 「やる気を出しなさい!」 と言いたくなってしまいます。
これは、満腹の子に 「食欲を出しなさい」 と言っているのと同じで、行動変容を起こさせるには全く無力で、無茶苦茶な言葉です。
「やる気」は強要して生じてくるものではなく、あくまでも内発的に生まれてくるものですから、外からの命令や強制は一切効き目がないどころか、逆効果となってしまいます。
◆ 自立を阻害すると幼い子に育ってしまいます
これは、学習だけでなくあらゆる生活面において、自立をさせるには自発的な意志が必要不可欠です。
お母さんが一つひとつ口出ししたり、やってしまったりしては、幼いままです。
「自分の受験だ」 という当事者意識が肝
◆ 本人の自立を促すために、親はつべこべ言わない
勉強は 「勉めて強いる」 と書きますが、受験勉強は強いられてやると、どこかで破綻します。
「宿題はやった?」 と聞くのはいいのですが、 「やりなさい」 とは決して言わないことです。
「やりなさい」 と言われる限り、子どもは 「自分の受験だ」 と当事者意識は十分に持てません。
受験勉強がつらい苦行として被害者意識すら抱いてしまいます。
勉強の姿勢や、成績の浮き沈みに対して、親は一切かかわらない状況を作ることです。
(学習自体は伴走してください) 放任するのではなく、自立を促し当事者意識を持たせるのです。
◆ 親主導はうまくいかない
そもそも、親主導型の中学受験は、どうしてもうまくいきません。
仮に合格できたとしても、その先つまり中学入学後が悲惨です。
自立心が育っていませんから、最初の定期考査において自分で勉強ができなくなってしまいます。
親主導型の受験勉強は、子どもが従順であれば家庭学習が滞りなく進みますが、自分の意志が弱いので、入試本番前のここぞという粘りや踏ん張りが利きません。
子ども主導は最後に大化けします
◆ 自立心がしっかり育つと、豹変します
親がテスト結果に一喜一憂し、これ以上は成績を落とせないと子どもの尻を叩いて勉強させる。
しかしその状態だと、成績は現状が精一杯です。
さらに受験が近づくにつれて伸び悩んでしまうという悪循環に突入してしまいます。
今まで親主導で勉強させていた場合、親が口を出さなくなることで、例えば60あった偏差値が55まで下がるかもしれません。
しかし、当事者意識が育てば、55で下げ止まり、後伸びも確実にします。
しかも、予想以上の学校に合格するのは、当事者意識を持った子どもが圧倒的に多いのです。
想定外のあっと言わせる合格を果たします。最後に底力を出し切ることができるのでしょう。