<子供と親が元気になるアドバイス ?2>
わが子のことは、もちろん親が一番わかっています。
ところが、あまりにも近すぎて見えていない部分があったり、親の思い込みが強いところがあったりもします。
思春期に差し掛かろうとしている子どもは、親に対しては素直になれずありのままを見せていないこともあります。
また、子どもは短期間のうちにびっくりするほど成長します。何かをきっかけに豹変したり、今までとは正反対な行動をとったりして、周りを驚かせたりもします。
このように日々成長を遂げているわが子のことを、ちょっと客観的に分析してみようと思います。
一般論ですが、 「子どもとは、本来こういうものだ」 という観点でまとめてみました。
レベル | - |
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目的 | - |
対象 | 小学生 |
科目 | 中学受験生のメンタル管理 |
期間 | |
授業形態 | - |
実施曜日 | |
実施時間 | - |
クラス編成 | |
教材 |
1.親の不満と子どもの本音
2.埋まらない溝
3.子どもの本質
4.子どもは実感できる時間が極めて短い
5.親が勉強をコントロールする覚悟
6.子どもは満足感があれば行動する
7.子どもは大義名分を言われると閉口する
8.具体的な事象を褒める
9.成果に見合った褒め方をする
10.即座に褒める(タイムラグを作らない)
11.褒めることがないときは大人の基準を下げてみる
12.褒めるという報酬を与えないこともある
13.最終的には他者からの動機付けが不要になる
14.子どもの気力は、はかないものと思ってください
15.時間と気力のバランス
16.子どもはいつも一生懸命
17.読書について
親の不満と子どもの本音
受験勉強を進める中で、親には子どもへの様々な不満は少なくなってくることはなく、程度の差こそあれ溜まってくるものです。
「親が全力で応援しているのに、本人は思うように勉強しない」 「口先ばかり達者になるばかりで、行動が伴っていない」 「自覚、危機感、将来展望、克己心・・・・・ がない」 といった不満です。
中学入試の受験勉強は親にとっても非常に重圧ですが、 「これは全て子どものため」 と思えばこそ耐えられるわけで、その本人に努力する姿勢や真剣味が感じられなければ、ついつい小言の一つも言いたくなります。
一方、子どもには子どもなりの言い分があって、 「勉強しないと叱られるからしかたなくやっているんだ」 「つらい勉強をしているのは自分で、親は文句をいうだけだ」 「えらそうに説教したって、親には問題は解けないだろう」 などと、実は心の中では薄々思っているようです。
埋まらない溝
こうした摩擦は、親と子どもの意識や感覚のズレから生じます。
つまり同じ場面に接しても、大人と子どもでは感じ方や受け止め方が違うために理解し合えないのです。
さらに、ここで大人が子どもに対して諭そうとすればするほど、子どもの反発を買ってしまいます。
従って、親は子どもの心理を理解し、行動を効率的に管理し誘導することが必要です。親なりの意見や言い分があるとは思いますが、子どもと対立しても仕方ありません。
子どもの本質
●子どもは実感できる時間が極めて短い
●子どもは満足感があれば行動する
●こどもの気力は持続しない
子どもは実感できる時間が極めて短い
子どもと大人では時間に対する感覚が大きく異なります。
特に小学生は、大人から考えるととても短い時間感覚で生活しており、その範囲を超えた時間を実感することができません。
子どもは子どもなりにテストや中学入試を真剣にとらえていますし、受験に対する意欲の高揚や問題が出来なかったり成績が下がったりしたときのくやし涙にうそ偽りはありません。子どもたちは、本気で意欲満々にもなり意気消沈もするのですが、その感覚を長く維持できないのです。
従って、意欲満々、意気消沈の直後にゲームをしたがったり、テレビを見たがったりするのは、全く不自然でも不合理でもないのです。
つまり、子どもは実感できる時間がとても短い、ということを親は理解する必要があります。
ですから、将来展望や長期的な計画に基づく自己管理はできません。来週や来月は遠い未来ですから、実感不能な未来のために今日の行動を律することができないのです。
親が勉強をコントロールする覚悟
子どもは、このように基本的には計画に基づいた学習の管理はできませんので、 「勉強は親が管理する」 ということが必要です。
具体的には、膨大な受験勉強を、 「今日、明日、明後日にやること」 ぐらいに区切って子どもに示し、これを管理することが親の役割となります。
子どもは満足感があれば行動する
人間が行動するには動機付けが必要です。人間は無報酬では行動しません。この動機付けとなる 「報酬」 とは精神的な満足感です。
それでは、中学入試の受験勉強からどのような満足感を得るかと言うと、 「褒められること」 と 「認められること」 です。自己肯定と承認です。
「志望校合格が受験勉強の成果である」 というのは、長期展望の持てる大人の理屈です。小学生は3日先も実感できませんから、そんな未来の話をされても勉強の動機にはなかなかなりにくいのです。
子どもは大義名分を言われると閉口する
「今やっている勉強はあなたのため」 「頑張っていい中学に入ることができれば将来も明るい」 「だから努力が必要だ」 「自主的に勉強しなさい」 「意欲的に取り組みなさい」・・・
などは、大人の自己満足に過ぎないことを認識してください。
子どもは、このようなもっともらしい事を言われれば言われるほど、弱り果ててしまいます。
さらには、感情に任せて 「死ぬ気でやれば何でもできるんだ!」 のような無謀な言葉はもってのほかです。もうこうなると暴言の域で、完全に意欲を削いでしまいます。
具体的な事象を褒める
人間には原始的な承認欲求があり、褒められれば無上の喜びを感じ、認められなければ挫折感・疎外感・敗北感などを味わいます。
ですから、まずは頑張ったら 「えらい! すごい! よくできた!」 などと賞賛することです。
頑張った結果、褒められて良い気分になることが、大きな満足感になります。
但し、次の点に注意が必要です。
それは、必ず具体的な事柄について褒めるということです。
漠然と褒めると、 「お世辞で言っているのだろう」 「そう言って勉強させようとしているのだろう」 と変に勘ぐられかねません。
そこで、 「この難しい問題ができたのはすごい」 「いつもより速くできたのは頭がよくなった証拠」 「ミスをしなくなったね、すばらしい」 など、具体的なことを指摘して褒めることが肝心です。
よく見てくれている、という安心感と、逆にいい加減なことはできないという緊張感を子どもに与える効果もあります。
成果に見合った褒め方をする
年柄年中褒めていると、 「おだてているだけだ」 と冷めた目で見られかねません。
子どもは、学力が上がってくると、上がってくるにつれて子どもは自分の状態を冷静かついシビアに自己評価するようになってきます。ここで、自己評価とかけ離れた評価を下す大人に対しては、 「どうせ何もわかっていないくせに」 半ば軽蔑するようになってしまいます。
即座に褒める (タイムラグを作らない)る
これは非常に重要で、子どもが勉強したときは、その場ですぐに褒めてください。
子どもは、ポジティブなことでさえも意識や感覚を長く維持できませんから、数日経ってしまうと褒められた対象自体を忘れてしまうか、かなり記憶が薄れてしまい実感としてほとんど残っていません。
「何かいいこと言われたけど忘れた」 となってしまいます。
タイミングは、何かをした (頑張った) 直後、何かしら成果が出た直後です。行動と成果の双方に対して褒めてあげることです。
褒めることがないときは大人の基準を下げてみる
いくら褒めることが大事だと言っても、親目線ではどうしても褒められない場合があるでしょう。その時は大人の基準を下げたり、視点を変える努力をしたりしてください。
例えばテストで60点だった場合、40点分もできなかった、と思うから腹立たしくなってくるのです。そこで、60点中のできた問題を褒めてあげてください。そして大事なことはテストのときできなかった40点分の問題をもう一度やり直すこと。そうすると、そのうち数問は何とかできる問題があるはずです。そして、解き直しをしてできた問題は 「よくできたね!」 「すばらしい!」 「実質80点は取れていたね!」 と言って褒めてあげるのです。これは大きな自信につながります。そして、やり直してできたのだから次はいい点が取れるぞ、いい点を取ろう、という前向きな気持ちが子ども自身に沸いてきます。
褒めるという報酬を与えないこともある
ここまで 「褒めること」 の大切さを強調するために、少々誇張して説明してきましたが、実際には、 「褒められること」 を明確にしていくことがある段階から重要になります。
子どもは、 「勉強をして何らかの成果を出す」 (必ずしもテストの点数や偏差値ではない) といういわゆる 「義務」 を果たしていくわけですが、それに対して「褒める」という報酬を与え、勉強の動機付けを常に作っていく、ということが繰り返されます。
しかし、勉強するという義務を履行しなかった場合は報酬を与えられない、つまり褒められないケースも出てくるはずで、これはきちんと線引きする必要があります。さらには、前述の点とは反対に、褒める基準を上げていくことが大事です。
勉強が真剣勝負だという緊張感を持たせていくことが大事だからです。
さらには、そろそろ次のステップに移行していく準備段階でもあるのです。
それは、自信を得ていくことによって、自分の中で動機付けを自ら生み出していくことでできるようになっていく理想の段階に入っていきます。
この時期は、早ければ早いほど望ましいのですが、受験勉強を本格的に始めてから1年以上経過してから変容がちょっとしたところに見られるようになってきます。
最終的には他者からの動機付けが不要になる
最初のうちは勉強の原動力となる 「褒める」 という報酬が必要です。そして少々語弊がありますが、その褒められる快感に釣られるようにして勉強を重ね、一定レベルに達すると、子どもは正当な評価ができるようになります。すると、大きな自信から 「俺はできるぞ」 「頭がよくなったぞ」 などと自己陶酔に近い感覚にさえなってくるようになります。
こうなると、 「褒められていい気分にしてもらう」 という報酬は不要になってきます。逆にここで褒めると 「何もわかっていないくせに」 と逆襲されかねません。
上手に導けば、自分自身で満足感を得られるようになり、そうなると中学生になってからも自主的に勉強するような姿勢が身についてきます。
見方を変えれば、子どもをこの状態に導くことが受験勉強の最終目標で、他者からの動機付けを与えられているうちは、実は本当の勉強をしていることにはならないとも言えます。
ですから、受験勉強は子どもを精神的に大きく成長させるのです。
子どもの気力は、はかないものと思ってください
ここで言う気力とは、根気、やる気、意欲、自主性、積極性、精神力などと言い換えられますが、要は 「目標や大義名分のために努力する根性」 または 「ものごとを成し遂げる精神的エネルギー」 のことです。
多くの親御さんは、 「気力は本人の意識次第で何とかなる」 と考えている方も多いのではないでしょうか。
「足らざるは気力で補え」 の精神、または努力至上主義です。
しかしこれは、長期的な視野と誘惑に打ち勝つ精神力が備わった大人の理屈です。小学生に求めるのは酷というものです。
時間に対する感覚と同様、小学生は大人に比べて気力のストックが小さく、驚くほど根気が続きません。また、後先考えずにいっぺんに気力を使い切ってしまいますので、元気はつらつと疲労困ぱいのサイクルを頻繁に繰り返すのも小学生の特徴です。でも、こうであってこそ子どもらしいと言えるでしょう。
この点を踏まえて子どもを上手にコントロールすることが親の役割で、 「もっと気力を振り絞れ!」 とハッパをかけると逆効果になります。
大人でも、やる気が出ないときや根気が続かないときに、 「気合を入れろ」 「頑張れ」 と言われたところで、気力はそう簡単に出せる代物ではありません。
時間と気力のバランス
入試合格を勝ち取るには長期間の様々な勉強が必要です。
局所的には根性と精神力で猪突猛進したほうが潔く立派に見えますが、長期の総力戦を勝ち抜くためには計画的な資源の有効活用が欠かせません。
つまり、時間は有限ですが、気力も使えばなくなる稀少な有限資源と考えるべきです。そして、同じ時間を使っても元気はつらつなら作業効率は上がりますが、疲労困ぱいなら作業効率は激減します。
しかし、一方で気力は時間を費やせば補給することも出来るのです。
このように、気力十分で作業効率がよければ勉強に時間を使い、気力がすり減って効率が落ちた場合は、気力の補給に時間を使うのが賢明と言えるでしょう。
結局、受験勉強では 「限られた時間を勉強に使うのか? それとも気力回復に費やすのか?」 の判断が常に必要ですが、これは子どもにはできません。
そこで、子どもに代わってこの判断をすることが親の役割になります。
子どもはいつも一生懸命
大人の目には、子どもは実に情けない存在として映ることも多いのですが、彼らは決して怠惰でも不真面目でもありません。子どもたちは極めて合理的に行動していますし、その時その時はいつも頑張っています。そこで、親は子どもの合理性を理解し、これを上手に利用しようとする余裕が大事です。
そして、受験勉強を進める上で大切なのは、精神論や努力至上主義ではなく、効率性ではないでしょうか。冬休み頃の某大手進学塾で、ねじり鉢巻姿の6年生が拳を突き上げて鼓舞する様子をテレビで見かけますが、あれは、入試直前1ヶ月限定のパフォーマンスです。それも、相当気丈な子どもたちによるものです。
受験勉強は大人の感覚では、陸上競技で言えば42.195kmのフルマラソンですが、子どもにとっては、100m走の連続なのです。ですから、走っているときは全力なのです。
読書について
結論から言いますと、経験値ですが今まで中学受験で志望校に合格できた子どものほとんど (90%以上) に読書習慣がありました。ですから、読書は必須と言えます。
読書習慣のある子どもは、おしなべて精神年齢が高く、物事に対する考え方がしっかりしています。さらには、勉強に対する意識も高いため、自主的な学習態度が見られます。
精神面の成長は、これから歳を重ねていきながら様々な経験を積んでいく中で育まれていきますが、読書による疑似体験はそれを少なからず加速させると思います。
それに伴って、語彙が増え、活字に慣れてどんな文章も抵抗なく読めるようになり、雑学知識が増え、さらに知的好奇心が刺激されてきます。
このように、読書をすることは気力の補給にもなり、情緒面の安定には欠かせない知的行為です。
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