原稿用紙にクラス名と名前を書いて・・・ さて、もうそこで手が止まってしまい、なかなか筆が進みません。
行事の度に、夏休みが来る度に、○○感想文を書いているはずなのに、「△△をしました。とても楽しかったです。」と、一行書いて、ふーっとため息。
「うちの子は、作文が書けなくて・・・」そう嘆く保護者の方は多いのではないでしょうか。
「書いても、“〜でした” “〜してよかったです” のワンパターン」
少し書けるようになっても、紋切型で味もそっけもない文章がだらだらと続き、何とかならないものか、と気をもんでしまいます。
→ 関連コース 『思考力・表現力・作文力 養成コース』 の案内はこちらをご覧ください。
→ 「作文・小論文を要する入試の実績」 はこちらをご覧ください。
レベル | - |
---|---|
目的 | - |
対象 | 小学生・中学生 |
科目 | 作文上達法 |
期間 | |
授業形態 | - |
実施曜日 | |
実施時間 | - |
クラス編成 | |
教材 |
なぜ、だらだら文章になってしまうのか。
端的に言えば、それは学校では、 「作文の書き方」 の技能の訓練をしないからです。
たいていは、 「思ったままを、自由に書きなさい」 と先生から漠然と言われて、ぽんと原稿用紙を渡されるだけです。
せいぜい、 「きちんと感想も入れなさい」 と言われて、さらに困ってしまいます。
保護者の方も、かつて 「こうすれば作文は書けるんだよ」 という、具体的な書き方を教わった記憶はあまりないのではないでしょうか。
そもそも、 「文章」 は、正解というものがありませんし、 「作文」 となると、経験したことや自分の感性で想像したことが元になりますので、一人ひとりの作文は当然ながら全く異なります。
ですから、学校の一斉授業の形態で一様に作文練習をすること自体不向きな学習です。
個人個人の学習 (作業) となりますから、個々に 「書き方」 を指導する必要があるのです。
とても簡単なコツがあります。
文章を書くことや、作文が苦手、というのは、単に書き方を知らない (教わっていない) からです。
運動に例えると、 「走る」 ことと似ています。
人は、四肢等に特に障害がなければ、 「走る」 ことは可能です。しかし、速い人もいれば遅い人もいます。上手な人もいればそうでない人もいます。
上手に (より速く) 走る走り方、というものがあります。腿上げ・地面への足のつき方・蹴り上げ・腕振り、などです。
でも、自分ではよくわかりません。我流で練習しても、なかなか速く走れるようにはなりません。ましてや、 「もっと速く走れるようがんばれ」 と言われても、それは無茶な話です。
作文もこれにかなり近い現象が見られます。書き方がわからない、書いても書いても一向に上手に書けない・・・
作文は、 「具体的な書き方」 を教われば、書けるようになります。
ちょっとしたコツを身に付ければ、 「書けない」 を克服できます。
前置きが長くなりました。
それでは、具体的な書き方について、ご説明します。
まずは、初級編から。
1.「今日は」 「ぼくは/わたしは」 「思います/思いました」 を使用禁止にする
まず、 「型」 を身に付けさせることが、最初のトレーニングです。
スポーツで形から入るのと同じです。型を覚えるのです。
文章の書き方を知らない子は、「自由に書いていい」と言われると、とても困ってしまいます。むしろ、一定の制約を設けて、 「こんなふうに書きなさい」 と教えて書かせます。
こちらの方が、子どもにとっては、圧倒的に取っ掛かり易いのです。
まずは、使ってはいけない 「禁止言葉」 (禁句) を設けます。
「今日(今日は)」 「ぼくは(わたしは)」 「思います(思いました)」 の三つの言葉を使用禁止にします。
書き慣れない子に日記を書かせると、ほとんど全員が、「今日、ぼく(わたし)は・・・」 で文を始めようとします。
「今日、ぼく(わたし)は・・・」 で始めると、どうしても 「〜しました」 で終わりがちで す。こうなると、それ以降の文も、 「次に〜しました」「それから〜しました」 と続いてしまい、とても退屈な文になりがちです。
三つ目の 「〜思います (思いました)」 を禁止にする理由は、文を引き締めるためです。これをやめることで、文末が言い切りの形になり、それまで何となく敬体 (です・ます) で書いていた文が、自然と常体 (だ・である) に変化してきます。
2. 「禁句」 の効果はすぐ表れます
× きょう、運動会でした。 ぼくが一番がんばったのは組体操です。 みんな力を合わせ大成功したの
でとても良かったと思います。
いかにも子供っぽいこの文。三つの禁句を設けると・・・・・、
○ 運動会が行われた。 一番がんばった種目は組体操だ。
みんなで力を合わせた結果みごと成功し、とてもうれしかった。
と、文章が引き締まり、リズム感も出てきます。
よく使っていた言葉を禁止されると、子どもたちは 「どう書こうか」 と頭をひねり始めます。工夫を凝らすことが新たな発想につながり、やがて文章表現だけでなく、内容そのものが生き生きしてきます。
3.もうひとつのルール「一文一義」
禁句と同時に徹底するのが 「一文一義」。
つまり、一つの文で伝える事柄は一つだけ、という原則です。子どもたちは、書き方を教わらないと、 「〜して、それから〜して、そのあと〜して」 と限りなく続いていく 「ダラダラ文」 になりがちです。
そこで、主語と述語がセットになった、短い基本文型に分割していきます。
× きょうクラブで試合をやっていきなり負けて、よえ〜って思って、また試合して、でもまた負けて
ショックで、こんどは強くなって絶対勝つぞと思った。
これを 「一文一義」 の原則に沿って基本文型に分けると、次のようになります。
○ クラブで試合をやった。 負けた。弱かった。 再度試合をした。
また負けた。 ショックだった。 強くなって今度は絶対に勝つ
ぞ。
何が言いたいのかとてもはっきりとします。さらに述語単位に短く切ることによって躍動感が出るので、インパクトのある文章になります。
4.「一文一義」 によって文章が劇的に整う
一文がだらだらと長いと、主語と述語が対応しなくなることもよくあります。これも、一文一義の習慣をつけさせると、ほぼ直ります。
主語と述語がきちんと対応するということは、文章が整合するということ。脈絡のある文章が実現する、といことです。必然的に、わかり易い文章が書けます。
× きょう、わたしは社会見学に行って印象に残ったことは、飛行機の整備工場に行って、思っていた
以上にとても大きな飛行機にびっくりしました。
このような文章によくお目にかかります。これを主語・述語を意識させて書くと・・・・・
○ 社会見学で飛行機の整備工場へ行った。 飛行機が思ってい
た以上に大きかったので、わたしはとても驚いた。
このように、正しい日本語表現になります。
1.会話文を書いて描写力のトレーニング
ある程度書けるようになってくると、次は読んで楽しい文章を書くことが目標になります。お薦めは、会話文から作文を始めてみることです。
「頭にきたーっ」
ぼくは、どなりちらした。
冒頭に会話文が来ると、 「どんな場面なんだ?」 「次に何が起こるんだろう」 と興味をそそられます。
会話文は、このように注意を惹きつけるのに効果的です。しかも、一番書き易い文章です。
耳で聞いた言葉、自分が発した言葉をそのまま書けばいいからです。
読ませる作文を書くためには描写力を鍛える必要がありますが、ある場面を生き生きと再現する練習としても、会話文はピッタリです。
2.あいまいな言葉を禁句にする
描写力を鍛えるため、新たな 「禁句」 を設けます。
「きれい」 「すごい」 「たくさん」 「よい (いい)」 などの曖昧な修飾語を使用禁止にします。
例えば、 「空がきれい」 と書いても、読む人には実際にどんな様子だったのか、今一つよくわかりません。
どんな色だったのか、雲はどうだったのか、などなど目で見たままに描写をします。数字、たとえ、音の描写など、いろんな工夫もやらせてみます。
ふと、空を見た。 雲が全くない、すっきり晴れ渡った空だった。
夏に見たときは、たくさんの小さな雲が氷みたいにうかんでいるよう
に見えて、ガラスのコップの底にいるような気持だったけど、今は空を見上げると、抜けるような青い空が広がっている。
「きれいな青空だった」 と書けば一文で終わってしまい、もうほかの表現の工夫は考えようとしません。ところが、 「きれいな」 を禁じると、さまざまな表現を考え、工夫を凝らすようになってきます。
3.音の描写 「オノマトベ (擬音語・擬声語)」 を積極的に使う
音を描写するときも、聞こえた音を聞こえたままに文字にしてみます。
ギコギコギコギコ。 糸のこを使いこなすのはむずかしい。
だだだだだだだん。 ガチャ。 ハァハァ。 ドアをあけっぱなしにし
て、部屋にかけ込んだ。
こうした擬音語や擬態語を 「オノマトベ」 と呼びます。
音の描写をいれることによって、現実味がわき、文章にリズムが生まれます。
4.「話し言葉」 と 「書き言葉」
子どもは日常の話し言葉を、文章でも使ってしまいます。
「何かちょっと」 「〜みたいな」 「〜じゃない」 「やっぱり」 など 「話し言葉」 をきちんとした「書き言葉」に直す練習が必要です。
そもそも、両者をあまり意識していませんので、正確な言葉を教える必要があります。
「何かちょっと似ている」 → 「どことなく似ている」
「〜みたいな」 → 「〜のような」
「〜じゃない」 → 「〜ではない」
「やっぱり」 → 「やはり」
5.「〜した」 と 「〜をやった」 の禁止
様々な行為を表現するのに 「〜した」 「〜をやった」 という言葉を子どもは多用してしまいます。とても便利な言葉で、この言葉で済ましてしまいがちです。
× 野菜いためをした。 最初にキャベツをやった。
よく書いてしまう文章です。
あまりにも稚拙ですし、キャベツをどうしたのかわかりません。
この文章は、 「した」 「やった」 を書き直す必要があります。
○ 野菜いためを作った。 最初にキャベツを切った。
と直すことができます。
普段の話し言葉を、読み手を意識して書き言葉に変えていく作業は、自分自身を客観視する目を養う練習にもなります。
自分がやったこと、やろうとしていることを、一歩引いた場所から別の自分の目で眺めてみる。
そんな 「メタ認知」 ができるようになると、考える力も書く力も飛躍的に伸びてきます。
1.時間順に並べて書かない
まとまった文章を書けるようになり、場面を描写する力もついてきたら、仕上げは 「ネタの決め方・探し方」 です。
まず大切なのは、 「自分が一番伝えたいこと」 にポイントを絞ることです。
作文を書くように言われると、多くの子どもは複数の出来事を時間順に書き継ごうとします。
例えば、この前の運動会をテーマに作文を書け、という宿題が出されると、
その日の朝何時に起き、朝ご飯に何を食べたかということからスタートしてしまいます。
家族旅行をテーマにした夏休みの作文は、 「一日目に○○へ行った。次の日は△△に行って・・・」 という具合です。とても退屈な文章になってしまいます。
これらは、単なる時系列に並べた事実の列挙に過ぎず、読んでもらう (読んで感心するような) 作文には程遠いものになってしまいます。
2.印象に残った 「最高の瞬間だけ」 に絞り、 「心の動き」 に着目する
運動会なら運動会、旅行なら旅行で、一番楽しかったことを一つだけ書くのです。
逆に一番悔しかったことでも構いません。時間にすると、せいぜい数分の出来事でしょう。
当日何時に起きたかとか、そのあと何をしたとかは、どうでもいいのです。他愛のないつまらない話は読み手もつまらないと感じるのです。
それよりも、徒競走で一等賞になったとか、旅行で乗る予定の電車に乗り遅れてしまったとか、とにかく一番印象に残ったことにポイントを絞ります。
そして、大事なことは、そのポイントを絞ったら、最初から最後まで一つのことから外れないように書くことです。そうすると、とても迫力のある作文が書けます。
書き始めからクライマックスまでの組み立てを考え、 「心の動き」 をできるだけ細かく描写するようにします。
3.ネタ探しのコツ <身の回りのことを今までとは違う視点で見る>
日々、当たり前の感覚で、特に意識することなく見過ごしている物を、ある点に着目して観察してみたり、考えてみたりします。
例えば、毎日歩いている通学路を、お年寄りや車いすを利用している人の目線で見てみます。
すると、とても危険だと感じたり、不便だと感じたりする箇所がいくつも気が付くでしょう。
また、季節を感じさせるものを見つけようと意識しながら通学路を歩いてみます。
街路樹や生垣、公園の草木などで見つけた花の名前が気になったり、桜のつぼみ膨らんでいるな、とか銀杏の紅葉がとてもきれいだな、など気の付くことはあまたあります。
こうした気づきや発見が、作文の面白いネタになるわけです。
このように、普段の生活の中で、五感を働かせ、感性を養い、そして自分の頭で考え、発想したり創造したりするトレーニングを自然に行なえるようになると、面白いネタを見つける力が少しずつ高まっていくでしょう。
4.ネタ探しのコツ <体験・読書・会話>
まずは 「体験」 です。
子どもにとっての 「体験」 とは、 「遊び」 や 「いたずら」 です。
部屋にこもってテレビとゲームという子より、野山を駆け回り、暗くなるまで屋外で遊びまわる子や、人を驚かせたり、自分がわくわくしたりするようないろいろな「いたずら」を考え出す子の方が、面白い文章を書いてきます。
経験豊富な子の作文は、発想がユニークです。
本や友達の作文を 「たくさん読む」 ことも大切です。
自分で本を読めるようになってからも、子どもが 「もういい、自分で読む」 と言うまでは読み聞かせをしてあげるといいでしょう。
そして、毎日の生活の中で、お子さんと生きた言葉のキャッチボールをするよう心掛けてください。
子どもが話したことをきちんと受け止め、親の気持ちを乗せた言葉で返してあげる。この繰り返しが、言葉に対する子どもの感覚を育てます。
そもそも、作文とは・・・・・
体験したことや感想を書いて、読み手には追体験をしてもらって気持ちをわかってもらおうとするものが作文です。
そこには、書き手が書くことを楽しむ、という感覚がとても大事です。
「書きたいな」 という気持ちが、文章を上達させます。
ところが、どうも作文というと、妙に教育的で道徳的な説教くさいことを書くもの、と思い込んでいる人が少なくありません。
つまり、良くないところを反省 (したフリを) し、いいことを書かなければいけない、そうしなければ怒られる、と自然に思ってしまっているきらいがあります。
ですから、本心とは裏腹の抽象的でかつ聞こえのいい言葉が躍っている作文が出来上がってしまいます。
このような作文は、内容がなく、読んでいてとても空々しく感じてしまうのです。
作文が書けるようになると・・・・・
作文というものは、言葉を自分で操ることです。
ですから、作文力を養うことが国語力を養うことにつながります。
自分で書いているうちに、いろいろな立場の人の気持ちがわかってきます。ですから、他の人の作文や本をを読むときもすっきり理解することができるようになってきます。
それだけではなく、言葉の量も増え、表現も豊かになり、知識も増え、何よりも考える力がついてきてどんどん思考が深まっていきます。
究極の思考力養成の学習、いや娯楽です。
これから、未来にはばたくために、作文好きになって、国語力を、そして知性を養って欲しいと思います。
→ 関連コース 『思考力・表現力・作文力 養成コース』 の案内はこちらをご覧ください。
→ 「作文・小論文を要する入試の実績」 はこちらをご覧ください。