―心が豊かになると、真にやさしい心が芽生えてきます―
国語の成績のいいお子さんは、やはり必ずと言っていいほど読書が習慣になっています。そして、国語の成績ばかりでなく、すべての教科が伸びています。
当教室では、読書が夢中になるシステムを導入しております。
ナレーションを聞きながら読み進める『読み聞かせ』です。
今まで途中であきらめてしまった分厚い本も難なく読めるようになります。
今まで全く本を読まなかったお子さんが、月に2〜3冊、年間で30冊以上の本を読むことができるようになります。
その効果は言うまでもありません。
そして何よりも大きな収穫は、心が豊になることです。
人の気持ちをくむことができたり、人の痛みが分かったり、心の琴線に触れたり、勇気をもらったり、未知の世界を知って驚いたり、そしていろいろな価値観に触れて考えさせられたりすることで、「豊かな精神」と「真に考える力」が培われることです。
現在約700冊の優良図書をご用意しております。
とにかく、理屈抜きに“本のおもしろさ”を知ってほしいのです。
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※以下の項目について、ご説明しております。
少々冗長ですがご一読いただければ幸いです。
●現代っ子と読書
●読書相談
●子どもの本の選び方、与え方
●家庭でできる読書指導のすすめ
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※ズバリ! 「読書好きにする方法」 については、こちらをご覧ください。
※授業料については、一番下に掲載しております。
レベル | - |
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目的 | - |
対象 | 小学生 |
科目 | 国語(読書) |
期間 | 随時 |
授業形態 | - |
実施曜日 | 月〜土 ※土曜日は9:30〜12:20 |
実施時間 | 16:30 ~ 20:50 |
クラス編成 | 小1〜小6(小学生全学年) |
教材 |
〜〜〜 読書の面で子どもたちは、どんな時期なのか? 〜〜〜 小学初級から中級は、子どもが読書好きになるか本嫌いになるかの分かれ目の大事な時期です。
心やからだが成長していくのと同様、読書にも成長(発達段階)があります。その姿は、読みとる力や読む速さなどの読書能力の発達として見られますが、そのほか、どんな本を読むかといった、読書興味の面からも知ることができます。
これから、子どもの発達段階の特長を、小学初級・中級・上級と、それぞれについて簡単に述べますが、これはあくまでも一般的な状態をあらわしたもので、個々の読書の傾向は性格や生活環境などによって違うのは当然ですから、おおまかな傾向としてとらえていただきたいと思います。
■小学初級=読書入門期
(1) 習い覚えた文字を使いながら、ひとりで本を読むことができるようになる。
(2) 文字はどうにか読めても、ことばや文章から、イメージを頭の中に描き出す力はまだ弱い。
(3) 筋はこびが単純ではっきりしているお話や、空想の世界の楽しい物語を喜ぶ。
■小学中級=読書発展期
(1) 変化の多い話の筋を読みとれるようになる。
(2) 行動が活発になってくるのにともなって、読書も変化に富んだもの、主人公が自由奔放に活躍する活
動的な話や、奇想天外な物語、ユーモアにあふれた物語を喜ぶようになる。知識欲も増してくるので、
知識のための本なども好むようになる。
(3) 本好きな子と、本を読みたがらない子との個人差がはっきり出てくる時期。
■小学上級=読書充実期
(1) 複雑な物語を読み味わうことができるようになり、本の選択も自主的にできるようになる。
(2) 読書力がつくにつれて、読書意欲も高まり、読書量もぐんぐんふえる。
(4) 本の好みに男女差が出てくる。男の子は冒険物語やSF、探偵物語など。女の子は友情物語や生活童
話などを好む傾向がある。
子どもの読書は、ほぼこのような段階を経て伸びていきますが、とくに大切なのは、本好きな子どもと、本
を読みたがらない子どもとの個人差がはっきり出てくる、小学中級の時期です。
次の表をごらんください。これは、同じ四年生でも読書能力の差が、下は幼児期の能力しかない子がいるかと思うと、上は中学二年生の読書能力がある子もいるという表です。
<小学校4年での読書能力の個人差> (数字は%)
読書能力 幼児 小1 小2 小3 小4 小5 小6 中1 中2 中3
小学4年 0.4 2.1 8.6 21.5 36.5 25.9 4.2 1.0 0.8 0.5
坂本一郎「読書の心理と指導」
同じ小学校四年生でも、読書能力の差は、こんなに出てくる場合があるのです。この差は小さい頃から本に親しんできたかどうかで左右されますが、とくにひとり読みを始める小学二年生の半ば頃から、自然に読書の習慣を身につけることができたかどうかが、大きな鍵となります。
その一番大事な、小学中級期の読書について詳しく述べましょう。
小学二年生の後半から三年生になると、文字やことばに対する抵抗もなくなってきます。そこで、まわりにある本を取り出して読んでみようとしますが、まだ自分自身の欲求を満足させることができず、いわゆる欲求不満を起こす場合があります。それが原因となって、本嫌いという状態を生み出していくことになりかねません。 特にこの時期の子どもは、書名がおもしろそうだとか、表紙の絵が気に入ったとかいうような、ごく単純な理由で本を選ぶために、うっかりすると、ほんとうに自分の欲する本との出会いの機会を持つことなく過ぎてしまうことがあります。 三年生の子どもたちの貸出カードをみても、高学年向きと思われるような本を、かなりの子が借りていますが、そのような子どもの中には、一冊の本を最後までじっくりと読み通すことができずに、飛ばし読みしたり、さし絵を見ながら興味のありそうなところだけを拾い読みをしたり、ときには少し読んではすぐに取りかえるといったような姿が見られます。 この読み方では何の感動もわかず、読書の力も養われないまま、やがて読書の楽しさを知らずに本嫌いになってしまいます。 四年生の読書反省の記録の中には、飛ばし読みをしたことや、一冊の本を最後まで読み通せなかったことに対する反省が、数多く見られます。自分自身でも、こうした読み方を気にしながら、うまく読みつけないまま、中途半端な読み方に終わってしまう子どもが、かなりいます。 そして五年生の初期には、高学年になったという意識から、自分の能力に不相応な本を無理して読んだりする傾向が見られます。その結果、読書への興味が失われてしまい、低学年向きのやさしい本ばかり読もうとする退行現象さえ、見かけられるようになります。 小学中級の時期は、こうした不安定な時期でもあればこそ、本の選び方や読み方に対する適切な指導が必要です。よい本との出会いがうまくいき、読書の楽しさを知った子どもは、急速に本好きな子どもへと成長していくのです。
体力的にも知的にも伸びてきたこの時期の子どもたちの心は、社会性の発達とあいまって、外へ向かって著しい広がりを見せます。 毎日のように友だちの家へ遊びに出かけたり、釣りに行ったりするかと思えば、怪獣やシール集めに凝り始めたり、マンガやテレビには時間のたつのも忘れるというように、とにかく親をいらいらさせることの多い年頃です。このような生活興味の広がりに比べて、読書の面ではあまり活発な様子も発展も見られません。そればかりではなく、放っておけば、他の、より大きな興味に押しつぶされてしまう危険性をもっているといえましょう。 子どもの生活には波があって、一時的に何か熱中することのあるのがごくあたりまえで、悪いことではありません。むしろ、そのようなエネルギーを読書への興味にうまく活用させることができれば、効果を上げることもできるわけです。 たとえば、読書週間などを利用して集中的に本を読むように仕向けたとすると、その期間中は、思いがけないほどたくさんの本を読みます。 また、スポーツ好きの子どもが、夏の水泳の季節が過ぎたあと、家族といっしょに読書をするようになり、やがてサッカーに熱中しはじめて中断しても、冬が訪れてサッカーができなくなると、こんどはコタツに入って、また、家族と昔話や伝説を読みふけるようになったというような例もあります。 このように、子どもの生活リズムを見ながら、積極的に読書生活の波を作ってやってみたらと思われます。 ことに読書力があまりついていないと思われるような場合には、読書のための時間を子どもの生活の中に規則正しく位置づけるようにすることも大切です。やがて迎える読書充実期(小学上級)のための読書力の素地を培っておくためにも。 いずれにしても、ひとりひとりの性格や生活習慣に合った無理のない指導が、とくに要求される時期です。
小学四、五年生頃まで養われた読みの速さは、一生変わらないということをよく耳にしますが、すでに三、四年生になる頃には、読む速度にかなりの差がついていきます。そこで、この時期はたくさんの本をなるべく速く読みこなす力をつけるように配慮しなければなりません。 感受性が豊かで、低学年の頃から本に親しんできた子どもの中には、読むのが非常に速く、四年生で一年間に学年相当の本を、幅広く五十冊ぐらい読む子どもさえいます。 子どもが本をあまり速く読むと、充分な理解ができないのではないかと心配されるむきもありますが、読みの速い子どもは、比較的内容の読み取りも確実なことが多く、読書興味も豊かな子どもが多いようです。三、四年生の新しい国語科の学習指導要領に「幅広く読書しようとする態度を育てる」とあるのも、こうした実感から得たことといえましょう。 つまり、小学初級から上級にかけては、読書の領域を広げるとともに、その量をできるだけ増やすことが大切です。この時期にはまだ、じっくりと本を読んで、ほのぼのとした感動を味あわせるというようなことをすべての子どもに要求するのは無理です。 そこで、やがてそういう発達段階に到達したときに、抵抗なく本がすらすら読めるように、その基礎づくりをしておくことを、この時期の読書指導のポイントとしておさえて欲しいと思います。
〜〜〜 考えてみよう子どもの読書 〜〜〜
現代っ子の読書には、どんな問題があるのでしょうか。読書相談によくでる質問をとりあげてみました。
【【 質 問 】】
テレビ、プラモデル、野球などに夢中になっていて、いつまでたっても本を読もうとしません。何とかして読書させたいと思うのですが、どうしたらよいでしょう。
【【 回 答 】】
まず最初に、本を読もうとしないのはテレビやプラモデルに凝りすぎていることだけに原因があるのかどうか、考えてみなければならないと思います。
欲しがるプラモデルやゲームを自由に買い与えたり、家族のみんながテレビを見ている中で本を読みなさいと強制したり、あるいはまだ本のおもしろさがよく判っていない子どもに、無理にむずかしい本をすすめたりしていながら、本を読まないのはテレビやプラモデルのせいだと決めつけていないでしょうか。
大人は、ややもするとテレビやゲームをやめさせて、すぐにその代わりとして本を持ってきたがるものです。でも、そうする前に、まず読書をしない原因が、大人の側にもないかどうか、よくつきとめてから、次のような手だてを考えてみてください。
まず大好きなテレビ、ゲームやプラモデルに接する時間の中に、少しずつ本をいれていくことです。これは親が一方的に決めないで、機会をとらえて話合いで日課の中に組み入れるようにします。
第二に、子どもが自分から手をのばすような、子どもの欲しがる本だけを与えていたのでは、とても子どもは、本好きにはなれません。
第三に、時には子どもと本を通して話し合いの機会をもつことです。活動的で変化を好むこの時期の子どもにとって、著者との一対一の対決は、退屈でやりきれない場合もあるわけです。そんなときに、現実の話し相手があるということは大きな支えになります。
とにかく性急に「テレビばかり見ないで本を読みなさい。」というような解決の仕方は、長続きしないばかりか、かえって本ぎらいにしてしまいます。
【【 質 問 】】
小学一年生の女の子ですが、ひとり読みを始めました。でも、まだ一人で読むのは無理のように思われますが、本人が自分で読むと言ってききません。放っておいてよいものでしょうか。
【【 回 答 】】
両親などから本を読んでもらう「耳からの読書」から、そろそろ自分で読む本格的な読書の入り口にさしかかっておられるようです。
しかし、まだ、長い物語は無理です。この時期では、短編をこなす程度の力だと思ってよいでしょう。それでも、子どもは一冊の本を読みあげたいという気持ちを持っています。
それは大事にしてあげたいものです。
そこで、同じ主人公の登場してくる連作のようなものをまとめ、一冊にした本を与えるのがよいでしょう。
たとえば「小さいモモちゃん」(松谷みよ子)などは、モモちゃんと主人公の登場する短編集のような形の本です。一つ一つは短い作品ですから、無理なく読み切れますし、この本の作品をみな読めば、かなりの分量の本を一冊読みあげたと同じ満足感に満たされるでしょう。
参考までに・・・ 「ピグルウイグルおばさん」などは、そうしたものとして、格好の本と言えます。そして、だんだん、「チワンのにしき・太陽のむすめ」や「しっぽをかえたウサギ」のような中編へすすむように、細かい配慮をしてあげてください。
【【 質 問 】】
小学校二年の男の子です。小さい時からお話好きにしようとして、読み聞かせをしていましたが、自分で読もうとはしません。読んでやると熱心に聞くのですが。
【【 回 答 】】
普通のお子さんは、読んでもらってその物語が気に入れば、あとから自分でその本を手にするものです。
読み聞かせている本が問題ですね。おかあさん好みの物語ではありませんか。美しい抒情性の豊かな物語などよりも、この時期のお子さんは、活動的で登場人物の行動がはっきりした筋の物語を好みます。「読む」ことは「聞く」ことよりたいへん苦労をともなうものですから、それを乗りこえるおもしろさをもった本でないと、お子さんがかわいそうです。苦労ばかり強いては読書ぎらいにしてしまいます。
自分と同じような、やんちゃな子どもが出てくる物語、思わず吹きだしてしまうような物語、憎い悪者をやっつけて胸がすっとするような物語、そんな本を与えることをまず第一に考えるべきです。
それから読書の面だけでなく、お子さんの他の生活面も反省してください。おかあさんがあまり手をかけ過ぎていませんか。一人っ子や大人の多い家庭では、お子さんの自立心の芽を知らず知らずのうちに摘んでしまうことがあります。大人に頼ろうとする安易な気持ちを少しずつ改めないといけません。身の廻りの始末とか宿題など、ごく一部ずつ、お子さんの成就感が得られるるような方法で改善していきましょう。
【【 質 問 】】
小学三年生の男の子ですが、図鑑ばかりくり返し見ていて、童話や物語などの読み物は少しも読もうとしません。学校の読書の時間でも、図鑑をちょっと借りてきては、すぐ返すということが普通だそうです。心配なのですが。
【【 回 答 】】
図鑑を見るのが好きなのは、一般に低学年・中学年の子どもたちの普通の姿です。これが高学年になってもそのような状態ですと、やはり読書力が不足していて、読書が嫌いという子が多いようです。お子さんの場合、三年生ですから、その心配はありません。知的興味の表れとして、珍しいことを知りたい、見たいということが図鑑に結びついているのです。
どんな図鑑をみているか、おかあさんが注意してみましょう。なんでも手当たりしだいなのか、それとも、昆虫なり、鳥なり、ある種の図鑑をよく見ているのか、それによってお子さんの個性、長所の芽生えをさぐることができるでしょう。
ところで、本を読まないということは、読書自体のおもしろさを知らないということにつきるでしょう。多くの図書の中には、ほんとうにおもしろい本があります。動物好きの子ならば、この全集の中の「学校へいったヘビ」や「ぼくのペットはフクロウ」のような動物の出てくる物語を選んではじめの部分を読んでやり、あとは自分で読むようにすすめてやるとよいでしょう。
【【 質 問 】】
学校の先生から紹介されたおもしろそうな本でも、本屋さんへ行かせて自分で選らばせた本でも、途中までしか読みません。どうでしょうか。
【【 回 答 】】
どんなにおもしろい本でも物語には起伏があります。サワリの部分だけというわけにはいきません。おもしろい場面を設定するためには、くどくど説明している部分もあります。子どもは、そういうところで本を投げだしてしまうのです。
おかあさんもお子さんの本を読んでください。
そして、お子さんの放りだしてしまった本の内容を、食事やおやつの時などに何気なく話題にするのです。お子さんが読んでいる途中でもかまいません。自分の読んでいる本について、おかあさんが感想を聞くと、お子さんは興味を深め、読み続ける励みにもなります。
しかし「おかあさんはこれこれと思うよ。だから読んでごらんなさい。」という、押しつけるような言い方はつつしんでください。お子さんといっしょに物語を楽しむという、友達のような態度で接してください。
読む力の弱いお子さんには、親子で一、二ページずつ交替で読むとか、地の文はおかあさん、会話の文はお子さんが読むという方法もありますが、これも強制的であってはぶちこわしです。
国語の勉強のような具合にならないように、その場の雰囲気を考慮しながら、親子で一冊の本を中心にした楽しいひとときになるように工夫してください。もちろん、このような方法も一回、二回では効果はありません。継続することです。
【【 質 問 】】
小学五年生の男の子ですが、折をみては本を買ってきて与えるのですが、さっぱり読もうとしません。いつまでたっても、マンガ雑誌や、本でも友だちから借りた推理ものぐらいしか読みません。もっと幅広く本を読んでほしいのですが。
【【 回 答 】】
親が読ませたいと思う本と、子どもが読みたがる本とのズレをどうしたらよいのかという問題ですね。
もう五年生なのですから、両親がみたてて本屋さんから買ってきて与えるのでは、子どもにとって押しつけ同然ということになってしまいます。やはりお子さんの希望も入れ、親子で選ぶことが大事です。ですから、お子さんといっしょに本屋さんに行って相談しながら選ぶような心遣いが大事です。
それと、推理ものをやめさせて他のものを読ませようとあせることは禁物です。好きな推理ものを禁止したりせず、推理調ながら、子どもの生活や友情や、そのほかの問題をからませた内容を追及している作品など、いろいろ変わった推理ものを与えるように工夫してください。
例えば、「エミールと探偵たち」(ケストナー作)とか、「リンゴ畑の四日間」(国分一太郎作)とか、あるいは、この全集の「リンゴ園のミステリー」などです。これらは、謎解きの要素の強い、しかも文学としてもすぐれた物語です。このような物語を、お子さんの好む推理ものの中に加えるような工夫から始めてください。次第に、お子さんの読物の傾向にも変化が見られるようになってくるでしょう。
【【 質 問 】】
わたしの家の子は、童話や小説ばかり読んで、伝記や歴史・社会科・理科の本などは少しも読みません。あまりにかたよった読みかたをしているので気になります。どうしたらよいのでしょうか。
【【 回 答 】】
まず、童話や小説がおもしろいことは当然でしょう。しかも、このような児童文学は社会科や理科に無関係ではありません。例えば、宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」では、不況な社会状況や、気象・火山のことが描かれています。
動物を主人公にした「ながいながいペンギンの話」では、南極の様子やペンギンの生態などが細かく描写されています。
このように、よい児童文学の中には、社会性や科学性をもった作品もあるのです。ですから、童話や小説を読んでいるということは、子どもの全生活が話題となっているのだといってよいと思います。
ただ、どんな童話や小説を読んでいるか、細かくお子さんを観察する必要はありません。動物童話、探偵小説、SF、少年少女小説、歴史小説など、何か一つに偏っているかもしれませんが、いつか他の種類のものにも広がっていくでしょう。けれども、いつまでも同じ傾向の読み物に偏していたのでは、広い視野に立つことができなくなり、本人の特性や個性を発揮する機会が失われることにもなりかねません。
そこで、いろいろな主題をもつ作品が集められている、全集とかを与え、読書の幅を広げるようにしてあげてほしいのです。お子さんの興味にあった社会科や理科の内容の本へスムーズに転換できるかもしれません。食わずぎらいの子が多いのですから。
【【 質 問 】】
小学四年の女の子ですが、かなりたくさんの本を読む方です。次から次へと自分の好きな本を読みあさっています。しかし、別にこれといった感想を話してくれません。ただ「おもしろかった」というだけです。このように読みっぱなしでよいのでしょうか。
【【 回 答 】】
子どもの読書についての効果を知りたいと願うあまり、「感想は?」「どこがよかった?」と子どもに読後感を聞きだすご両親がいます。しかし、このことが行き過ぎると、子どもは読書ぎらいになります。特に感想文を書くことを強いられると、読書が苦痛になります。
ですから、子どもが夢中になって本を読んでいる姿が見られれば、親はそれで満足していいと思います。子どもが本の世界にひたっている、それだけで充分といいたいのです。子どもの心の中には、よい作品の波紋が広がっています。読み終えた直後はなおのこと、子どもの心の中に、よい作品の波紋が広がっています。
子どもたちは、いま読んだ本の内容を噛みしめているでしょう。その時、「感想は?感想は?」と聞かれることは、子どもにとって迷惑なことです。親は、そっとしておいてやることが賢明だと思います。
夕食のあとなど、お子さんが自然と本のことについて話すこともであるでしょう。また、ご両親が子どものころ読んだ本についての思い出などを語ったり、最近読んだ本(大人の本でよい)について話すことから、お子さんも自分の読んだ本のことを話し始めて、本の内容や感想にまで話が発展することになるでしょう。感想文を書かせることだけは、無理強いしないでください。
【【 質 問 】】
小学五年の女の子ですが、一冊の本を一日か二日で読みとばしています。ですから、読書の量もかなり多く、しかもあれこれ雑多な本を読んでいます。読み過ぎではないかと心配です。
【【 回 答 】】
五年生というと、盛んに読書する時期です。ですから読む速度もかなり速くなりますし、量も多くなるのは当然です。ことに、女の子の場合はそうでしょう。読むのが速いとか、あれこれいろいろの本を読むということ自体は問題ではありません。むしろ結構だといっていいくらいです。
ただ、つぎのようなことはないかどうか注意して見てあげてください。
友だちもほとんどなく、遊び仲間もなく、ひとりぼっちで本だけにかじりついていないかどうか。また、勉強や家の手伝いも何もせず、気持ちにまかせて読書だけしているというようなことがないかどうか。もしも、このような傾向が目立つようでしたら、それは読み過ぎとして対策を考えなければなりません。
けれども、友だちとも遊ぶようだし、読書以外の生活にも親しんでいるようでしたら心配はいりません。お子さんの日常生活の中で、読書に費やす時間がやや多いというのは、この年齢の女のお子さんにはよく見られることです。無理に止める必要はありません。ただ、どんな内容の本を読んでいるかは、それとなく見てあげてほしいと思います。
【【 質 問 】】
幼児のころから、読み聞かせをしてやったり、子どもも自分なりにいろいろな本を読んできました。ですが、もう五年生なるので、学校の勉強や塾の方が忙しく、しばらくは読書の方は休ませたいと思いますが・・・。
【【 回 答 】】
お子さんに勉強させたいために、本を読ませないとか、読書するなら学校の勉強に役立つような本を読みなさい、というのはどんなものでしょうか。
お子さんの成長ということを、どのように考えておられるのでしょうか。塾や学校の勉強だけに集中させるということは、知った、理解した、覚えたという知識偏重に走りがちです。知識を詰めこむことだけで、成長といえないことは明らかです。お子さんのものの見かた、考えかた、感じかたを豊なものにしてやることも、大事にしなければなりません。
子どもたちは、勉強などで忙しければ忙しいほど、息抜きの時間や娯楽を求めています。
その方法として読書でそれらを満たすこともあります。
しかし、何よりも読書の役割は、本の内容により心が刺戟され、高められ、豊かになることです。
子どもが読書することは、「自分自身の内面を自分で開拓する」ということだと思います。自ら考え、自ら学び、自ら情報を整理することで、自分の心を耕すことになります。
テレビや映像文化の発達の中、お子さんが読書の習慣を築いていくことの意味を考えられ、できるかぎり時間を作って本を読むことを続けさせてください。
〜子どもの個性と成長に合わせて本を選ぶことが大切です〜
※「学研 現代こども図書館」の本を参考図書として一部ご紹介させていただきます。
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楽しくゆかいな作品を
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文字が読めるから、もう小学校に入ったのだから、「さあ読みなさい」と突き放してしまうのはまだ無理な話です。
黙っていても、さっさと自分で読んでいる子は別ですが、小学生になったばかりのころでは、まずそういう子は例外といっていいほどです。
普通、小学校の一年生から二年生の半ばごろまでは、読み聞かせに頼ったり、せいぜい、親子で一ページずつくらい交替で声を出して読んでいく程度です。
一字一字の文字は読めても、文字の連なりによって表わされている意味はまだ読みとれない、ということを忘れてはなりません。
二年生の半ばを過ぎる頃になると、どうやら、自分で意味を読みとれ、内容をとらえられるようになってきます。
そろそろ、自分で本が読める時期に入ってきたわけです。読書について興味を失ったり、自信を無くしたりしないためにも、この時期から三年生にかけて、どんな本にその子が巡り合うかが、たいへん大事なことになります。
そこで次のように、子どもの成長の欲求と、その子の読む力に見合った本探しに、特に力を入れてあげる必要があるわけです。
まず、文句なしに、おもしろく楽しい本を選ぶことです。
奇想天外なできごとや、ユーモアにあふれた楽しい空想の世界に、子どもたちの心を思いきりはばたかせてあげましょう。
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参考までに・・・ 例えば、「学研現代こども図書館」の中の「ふしぎな五百のぼうし」や「しっぽをかえたウサギ」などはそうした本です。
また、強く正しい者が、ちえとふしぎな力をもって活躍するような話は、特に男の子たちに迎えられるでしょう。
「チワンのにしき・太陽のむすめ」のような、民話の中の英雄たちの話は、その代表的なものです。
「ピグルウイグルおばさん」のように、とんちとウイットに富み、しかも子供たちの日常生活の世界を破った作品や、「おばけのボロジャグチ」みたいに、日常性の中で、空想の生みだしたオバケが奔放に動きまわる作品の世界にも、子どもたちは自由に出入りすることができるものです。
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子どもの心に通いあう本選び
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やがて、子どもたちは、じっとなどしていられない、いたずら盛りを迎えます。気持ちも外に広がるいっぽうの、三年生〜四年生時代の子どもたちをとりこにしてしまうような本探し、いっそうめんどうです。
出版事情も、この年代向きの本がもっとも貧しい現状にあるからです。
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参考までに・・・
例えば、「キツネの名たんてい」などは、テンポが速く、起伏にもとんだ冒険物語で、しかも謎ときや笑いの要素も加わった作品です。
じっくりと構えずに、トントンと読みとばせるマンガに走る子どもも、足をとめてくれそうな本です。
にわかにマンガ狂になったり、特定の本に夢中になるなど、不安定な時期です。
自分のやりたいこと、やりたいが思うにまかせないことを、本の主人公たちが痛快にやってのけたり、そこに、自分の姿を見出せるような作品なら、喜んで手を出す子も少なくありません。
動物との心の交流も、彼らのしたいことの一つですから、ペットの物語「学校へいったヘビ」や「ぼくのペットはフクロウ」などは、人気があると思います。
また、身近の道具や、特に機械類のメカニズムへの好奇心が強い年ごろだけに、「ぼくとわんぱくミーシカ」
の、電話のおもちゃをこわしてしまう話などは、喜ばれるでしょう。
機械のしくみがのぞきたくて分解したものの、さあ組み立てられず困った自分の体験と重ね合わせたり、ペットの話におとらぬ、強い共感をもって読まれるでしょう。
こうした、子どもの心の通いあう本選びに、先生や親は手を貸してやってほしいのです。世間で評判の高い本だから、有名な作品だから与えるといった押しつけは禁物です。
けれども、まだまだゆかいな空想物語を追うような一面も決して消えてしまったわけではないので、「リンゴの木の下の宇宙船」だの、民話調の「木の精と赤い自動車」のような本も、必要でしょう。
一方、おもしろいだけでなく、「アスパラガスで鉄砲はうてない」や「デブの国ノッポの国」に秘められている風刺も、少しずつわかるように成長してゆきます。
しかし、ひとりひとり成長の度合いや、生活興味、読書興味の安定度も異なっているので、たとえ同年齢でも、どんな本に関心を示すかに、かなりのバラツキが生じるのがふつうです。
どの子も一定の発達段階をたどるとはかぎりません。
この年代ではとりわけ、個人差を重視することを忘れてはなりません。
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読みの深まりを促す作品
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四年生、五年生と成長するにつれ、好奇心よりは、知識欲と呼んだほうがふさわしいものが、子どもたちの心を占めてきます。
それに応え、それを促して、やがて本格的な知識の本に今までより多く手をのばしていくように、例えば人類の歴史や考古学的な要素の強い作品も用意してあげましょう。
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参考までに・・・
例えば、「ほら穴のふたごの冒険」は人類の歴史を教えてくれる一冊です。動物物語も、個人的なものから、生態を正しく描いた「ぼくのペットはフクロウ」や「ヤマネと少女キキ」などでないと満足できなくなります。
これは少年少女の動物への愛情をからませただけでなく、舞台となっている国の自然、風土も描き、動植物に関しての科学読物へのステップにもなっていくでしょう。
楽しい推理物語や冒険物語にしても、「りんご園のミステリー」のような、推理仕立てで友情の問題を描いたもの、「海がおそってきた」や「それを勇気とよぼう」のように、風土や民族性を背景に、勇気をもって問題に真剣にとりくむ、リアルな作品にふれるように少しずつ押し上げてやる配慮が必要になります。
けれど、高学年でも、「きみのいきたいところ」のような、イギリス風のファンタジーも必要です。
低学年から中学年へと成長するにつれて、子どもたちは、単純な構成のものから多様な要素がからみあう複雑な物語へと、読み物を徐々に発展させていきます。初めはストーリーを純粋に楽しむということから、自分を見つめ人びとの心に共感したり、あるいは反発したりと、読み方が変化し多様化していきます。
やがて五、六年生の読書の最高潮期を迎えたとき、文学のみならず科学や歴史、伝記など幅の広い読書をし、それに伴い一層多彩な、しかも深みのある本の読み方を身につけていくことでしょう。
子どもたちが、自由な読書を一番よくする場はどこでしょうか。それは学校であるように思われがちですが、よく考えてみると家庭なのです。それだけに、家庭の読書指導は、学校での指導と同じように大切です。 子どもがより多くの時間を過ごす家庭での生活は、学校とはまた別のものであるべきです。 子どもの家庭生活が学校生活の延長そのものになっていたり、知的生産の場として家庭が学校の従属的な位置づけであったりしてはなりません。 家族との協力的な暮らしの中で、子どもなりの役割を持っていること、そして子どもなりに自分の世界を持ち、自分の生活時間を自己の考えや判断によって使っていることが大切です。 学校でやりきれなかったことの後始末に家庭での生活時間の大部分が使われ、一日が終わってしまうということではなく、<主体性のある生活>というものがなくてはならないのです。 そうした家庭での生活の中に、自然なかたちで読書生活をどのように織り込んでいくかということが、家庭での読書指導には欠かせません。 また逆に、そうした家庭での読書生活が、学校のしもべではない家庭生活を築きあげていくために力を貸すでしょうし、主体性をもった子どもを育てることにも役立っていくものだともいえます。 この意味で、読書指導もやはり、家庭教育の大事な一部だということになります。
家庭での読書指導といっても、いったい両親や家庭のかたがたは、どのようなことを心がけたらよいのでしょうか。 まず、読書環境を整える、ということが大事です。子どもの (1) 身近に本があるということ (2) 身近に読書する人びとがいること (3) 読書の時間をつくりだすこと などに、親子ともども力を注ぎましょう。 つまり、家庭や子どもの生活の場の近くに、その子どもにふさわしい本があって、もちろん親や家族の本もあり、家族のそれぞれが読書する姿が見られることが大事です。 本だけりっぱに備えられていても、誰もそれらの本に親しむ家族がいなくては、小さい子どもたちために、よい読書環境ができているとは言えません。 さらに、つぎのような工夫をしてみてもいいでしょう。毎週、ある一晩だけは、テレビの消えた静かな時間を家族のみなさんで相談し、三十分でもよいから読書の時間を作ってみることです。 そして、これが家族全員の「読書アワー」ということにできたらすばらしいことです。 このような読書環境の整備には、親だけでなく子どもたちも参加させることです。自分の本を自分で整理し、保存し、管理するようなしつけをし、できるだけ幼い年頃のうちに、習慣として身に付けさせるのもその一つです。 つぎに、親が心得ておいてやらなければならいのは、家庭では子どもの自由な読書活動をみとめてあげるべきだということです。 どんなにのん気そうな子どもでも、学校では、それなりに人にもまれ、緊張したり、疲れたりしているものです。 ですから、家庭は子どもが開放感や安心感の持てる、憩いの場ではなくてはやりきれません。 読書生活でも、学校での読書指導が徹底してくればくるほど、家庭は、子どもの自由な読書の場であることを、親は認めてあげるべきでしょう。 ためになる本をとか、よい子になるための読書をなどと考えるより、ともかく子どもにとって自由な楽しめる読書の場を確保してあげるぐらいの心構えが必要です。 少しでもよい本を、質の高い読書をという親心はもっともですが、そのための押し付けや、あせりは禁物だということ、これは、特に小学中級期の子どもへの接し方の基本です。