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個別・少人数集団の塾「あっぷ指導会」
船堀校(あっぷ船堀)

[2011年4月6日]

乗り越えられる試練しか与えない

 震災に襲われ、すでに亡くなった多くの方々がおります。今なお救出が及ばず行方不明となっている方々も相当な数にのぼります。そして喫緊の問題として、温かな救援の手が必要な方々が数多くいます。こうした被災地のニュースが放送される度、心が痛むと同時に、こんな言葉が脳裏によぎります。

「神は乗り越えられる試練しか与えない」

 人気ドラマ「JIN〜仁」(TBS放映)に出てきたセリフですが、ご存知の方もいるかと思います。

 おそらく、この言葉の出典は、「新約聖書のコリントの信徒への手紙」で、新約聖書 コリント人への手紙第一 10章13節にはこうあります。

「あなたがたが遭遇する試錬は、常に人類共通の試練である。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」(口語訳)

No temptation has overtaken you except what is common to mankind. And God is faithful; he will not let you be tempted beyond what you can bear. But when you are tempted, he will also provide a way out so that you can endure it.

 私は一定のモラルを重んじますが、それほど信心深い人間ではありませんし、どちらかというと無宗教に近い立場をとっております。しかしながら、先人たちが生きた時代に、苦労の末に生み出した言葉は、大いなる人生訓だと信じ、生きる知恵のひとつとさせていただいております。

 とりわけ、眼の前に大きな困難が立ちはだかったとき、いくつかの言葉を思いますが、そのひとつが、「神は乗り越えられる試練しか与えない」という新約聖書の一節です。

 確かに、未曾有の大災害であることは今さら指摘するまでもありませんが、我々はどんな状況にあっても、希望を失ってはいけません。「神は乗り越えられる試練しか与えない」という言葉を信じ、日本人全員が一致団結し、ぜひともこの国難を克服していけるものだと念じます。

 生きるか死ぬかを経験するくらいの困難であっても、それがいつか乗り越えられるのなら、今、自分自身にふりかかる憂鬱な出来事など本当に些細なものです。学業と密接の関係にあるべき学生であるならば、なおのことです。

 もしも学びに惑い、学ばなければならない現実から逃避したいと思う人がいるのなら、その克服はとても、試練というほどのことではありません。

 考えてもみてください。もともと学習は我慢をして、忍耐で押し切る試練などではありません。
 学びこそ、知的生命体である人間に授けられた最大の恵みです。学びをなくして、ここまでの人間の進化はありませんし、人間の繁栄も人類史も文化もありません。人間の叡智ほど、尊いものがほかにあるでしょうか。もしもこの被災の国難を乗り越える日が訪れるのなら、それは「人々が学ぶことで築いた叡智」が解決したからです。

 学びほど崇高な営みはありません。学びほど感動を与えてくれる万物の事象はありません。

 ぜひとも、学生たちには、学びへの関心に目覚め、心から学びに励んでほしいと願います。そして、この尊ぶべき学びを与える者が教育者なら、教育者にこそ、「学びの価値を正しく認識し、心から学びをたのしむ子供たちを育成する義務」が発生します。ここでもまた教育者の「叡智」が力を発揮するはずです。人を訓導、陶冶、啓発する際、私どももまた、教育者として、研ぎ澄まされた知恵があるかどうか試されるところです。