[2012年2月22日]
どうしても受験期のただ中ですと、志望校合格の話になりがちです。もちろん、本校は進学塾ですので、志望校合格を目指し、生徒指導に努めてまいらなければなりません。中でも、科目対策の話題ですと、大学入試において、基軸となる科目、英語の得点力向上への戦略は、塾として腕の見せ所といえるでしょう。
折しも、新受験生の合格プロジェクト始動へ移行する時期、体験授業で一番人気の科目は英語です。英語力なくして、志望校合格への道はたちまち八方ふさがりとなるでしょうし、本当は英語という科目は、難度が最も低いので、英語学習に費やせば、学習時間あたりの成績効果を最大限高められます。是が非でも英語を得意科目にすることが合格への近道です。
その本意としましては、英語をある程度使いこなせるようになることで、ぜひとも世界を広げてほしいと願うこと一点です。世界観が広がるという感覚を身につけてほしいと望むからこそ、英語の学習をおすすめしています。
ここで言う、霧が晴れるような世界の広がりとは、世界標準のコミュニケーションツールを習得することで、グローバリズムに対応できるようになることや、外国人との新時代のコミュニティーを築くことに限りません。不思議に思うかもしれませんが、英語を知ると、母国語の日本語をよく知ることができます。
なぜなら、知らず知らず我々の脳は、言語に縛られています。日本語を使う日本人ならば、日本語の制約のなかでしか、我々の脳は機能していません。よく、英語を苦手とする人は、英語への違和感が強いから理解に支障をきたすといわれますが、本質の原因は、日本語にあります。世界の言語のなかにおいて、あまりに日本語が特殊だからです。
たとえば、一人称についてです。
英語で一人称単数というと、I です。しかしながら、日本語で一人称単数をあげてみたらどうでしょう。わたくし、わたし、あたし、うち、僕、おれ、おら、おいら、わし、あっし……と、きりがありません。たとえば日本人の女の子なら、ユミはね、と自分の名前を一人称化することもあります。アメリカ人の場合、ナンシーはね、なんて言うことはないでしょう。また、家庭なら、お父さんはね、と言ってみたり、それこそ、塾や学校では、先生がまさに、「先生 の話をよく聴きなさい」と言いかねません。
要するに、日本人は、環境に応じて、自分の立場をころころと変えてしまいます。一方、英語を母国語とする方々は、どんな環境にあっても、自分は自分、I は I です。どちらが、自分というものを強く持っているか言うに及びません。日本人の個とは、この日本語に縛られているので、希薄だといえます。
ちなみに、フランス語なら、一人称単数はje、ドイツ語ならichという具合に、世界の言語の多くが、一人称単数はひとつだけですので、いかに日本語が珍しい言語かわかります。
他にもあまりに英語と日本語の間に、語順などの点において、多くの違いがありますが、ここでは長くなりますので割愛します。いずれにしても、世界の言語のなかにおいて、とても風変わりな言語の世界観に、日本人は縛られて思考していることになります。我々が当たり前だと感じていることが、実は世界の言語のなかでは珍しいケースかもしれません。
この日本語の特殊性をご理解していただいた上で、もしも、日本人が、英語を習得したと仮定してみてください。英語と比較することができるので、はじめて日本語のおかしさに気がつくはずです。二つの言語を相対評価することで、はじめて日本人は、日本語を正当に判断できるようになると思いませんか。
私自身の経験として、日本語を深く知る上で、英語には随分助けられています。このような言語の比較論によって、確かに思考の世界が大きく広がります。
志望校合格のための英語もよいですが、英語的思考力を獲得し、外側の世界からアプローチすることで、母国語の日本語をもっと正しく理解を深めてみるのも、随分と脳には刺激的です。
ひとつの言語の外側に別の言語の世界を創り上げ、この二つの言語観にバイパスをつくることで、スムーズに知的好奇心が双方を行き来することが可能となります。