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個別・少人数集団の塾「あっぷ指導会」
船堀校(あっぷ船堀)

[2012年5月28日]

塾・市川市・本八幡の学習塾:学べば学ぶほど、夢が広がる教育

本来、教育とは、国策として、税金をかけてでも、取り組むべき一大プロジェクトです。なぜなら、人材こそ国そのものであり、国をつくる人材の質によって、国家の存亡にかかわるからです。

 したがって国としては、優れた人材を学生期間に育て上げることで、社会の担い手として存分に活躍させ、国を豊かにしなければなりません。いくつかの指標がありますが、たとえばGDP(国内総生産)を高めるためには、まさに優れた人材を世に送り出し、労働生産性を上げなければなりません。

 にもかかわらず、この日本という国は、教育と社会での実務を切り離し、いかに大学までの学習を活用できない学生をつくってしまうことでしょうか。これは学生の問題ではなく、制度的欠陥です。

 ひとつ例示するなら、度々本ブログでもご紹介しております秋田の国際教養大学のように、一部の教育機関において、改革の波がうねり始めていますが、残念ながら、国という枠組みとしてみたとき、せいぜいゆとり脱却の、新指導要領が始動した程度であって、本質論として、いかに世に出て活躍できる優れた人材を育成できるかの具体策が見えません。

 まさに教育の現場にいる身として、非常に残念だと思うのは、日本のこの種──「学生時代の貴重な学びと将来の実務とをディバイドしてしまう教育」を経れば経るほど、子供たちが夢を語れなくなることです。

 本当なら、教育を受ければ受けるほど能力値が上がり、インフォメーションの量が厚くなるのですから、大いに自分の可能性を広げていかなければなりません。なのに、教育期間を経れば経るほど、夢と希望を失う教育って何物でしょうか。こんな理不尽なパラドックスってあるでしょうか。

 時間にしてみれば、小学生から、大学卒業まで、16年あります。この16年の学び一つ一つを、40年以上の社会人生活へコネクトしなければなりません。16年の準備期間があるというのに、多数の子供が、将来何を職業として生きていくか決められません。実に16年のモラトリアムがあるにもかかわらずです。また日々の学習環境のなかで、「未来の自分が仕事をして生きている姿にまで広げたマクロの視野」をもって、学びの本質的価値を説かれることがないので、真剣に自分の将来像と向き合う必要性に迫られることがありません。

 もちろん幼いがゆえに彼らが持っている知識と知恵は微々たるものなので、仮に一度やりたいことを見つけたとして、ときに新たな学びがありこれに伴い選択の幅が広がれば、将来の展望において、がらりと心変わりすることがあるでしょう。そんなときは、新たに目標が決まった都度、方向修正しながら、堂々と胸を張ってその道を歩めばよいのです。自分の将来像をつくりとことん希望ある未来へのイマジネーションを愉しみ、うきうき心を弾ませながら、進む道を定めていくことこそが、真の人の生きる道であり、真の幸せの在り方ではないでしょうか。

 その一方で、歩むべき道を決めず、足踏みばかりしているとしたら、その人間は一体何を得られるのか甚だ疑問です。貴重な時間を消耗するだけであって、自分の可能性を小さくしてしまうだけでしょう。とっくに年齢としては大人の仲間入りをしているにもかかわらず、精神的にまだまだ自己形成の途上にある人を「モラトリアム人間」と言いますが、非常に残念なことに、日本人の多くが自立心弱く、どうしても主体的に自ら主人公となる人生劇を描けない、モラトリアム人間化しています。

 よくあるケースですが、就職活動始動する大学の3年生ごろになってはじめて何をしたいのか本気になる──としたら、これって、どう考えても、おかしな道理です。もっともかけがえのないのは、自分の人生です。よくもこの大切な人生を、国民束になってここまで毀損できたものだと、この国の教育制度に不信感を募らせずにはいられません。

 ただこれと同時に、いえ、こちらの方こそ強調すべきでしょう、この国をつくっているのは、とどのつまり、国民である我々自身なのですから、自分たちの無能ぶりをよく知り、反省の情を持たなければなりません。

 少なくとも、当塾あっぷ指導会は、教育の場なのですから、率先垂範、この国の人材教育において、未来へのビジョンを定め、そのなかで、教育の在り方をデザインしていく必要があります。まずは志高く、自らことを成せ、です。