[2012年6月3日]
一昔前の、文明論を紐解くと、科学技術の進化に対して心配する論調が目立ちます。
確かに技術革新のおかげで生活は豊かになりしました──云々と。夏の暑さは室内の冷房が防ぎ、遠い道のりは乗り物に乗れば負担がありません。情報インフラは人と人とをつなぎ、孤独という苦痛すら取り除いてくれます。
しかし、快適すぎる生活は、間違いなく人間から苦痛を取り除きますが、無痛という不自然な状態が人間の感情を麻痺させ、かえって不幸せを招く結果にならないか──ああ、心配ですと。文明論はかく語ります。
ついつい年をとれば、昔はよかったとノスタルジーにかられ、ひところの『ALWAYS 三丁目の夕日』のような映画を称賛しがちかもしれません。
とはいえ、時間はたえず変化します。止まることがありません。東京タワーの時代からスカイツリーの時代へと確実に移っています。どうあがいたところで、時間を逆戻しすることはできません。
我々は刻々と変化するスピードの時代において、もはやあらがうことなく、この流れをおよぐしかすべはないのです。このような今ある時代の考察として、文明論を語る評論家は、科学技術がもたらす無痛の時代とくくりがちですが、果たしてどうして、それは本当でしょうか。
寧ろ、速さという“痛み”から逃げられない時代に我々は生きているのではないでしょうか。たとえば、企業間、個人間の競争の拡大、効率化による人の不要化、一人当たりの仕事量の増大など、世の人に等しく、その負担は大きくなってきています。暮らしぶりの一面においては、確かに快適になりましたが、その分のしわ寄せを見ないわけにはいきません。
おそらく我々は、昔以上にもっと真剣に知恵を使って生きることが求められていくでしょう。きっとうまくいかず傷つくこともあれば、この過酷さから逃げ出したくなることもあるはずです。
しかしながら、この心的痛みは確実に我々に生きる力を与えてくれるはずです。このずきずきと突き刺し続ける痛みは、もしかしたら、『ALWAYS 三丁目の夕日』の時代よりもずっと強い苦痛を与えているのかもしれません。
たとえるなら、苦境、逆境は、人を強くする、厳しい師です。肉体的負荷をかけることで筋肉が鍛えられるように、精神的負荷もまた人を大いに成長させてくれます。もちろん、かえってその苦境先生、逆境先生が厳しすぎるので、行き過ぎという心配がないわけではありません。
急速に変化する時代において、我々にできることは、叡智が結集した学問を上手に頼ることです。いつだって人間が解決する最善の方法は、学問を介し、思考を駆使することです。そうやって学習能力を進化させることで、人類は猿から分化して以来、700万年の年月を経て、どうにか生き続け、繁栄をもたらしてきたのですから。
いつの時代も、人が人である限り、学問こそが、終生寄り添うべき、最良のソウルメイト(魂の友)です。