[2012年7月17日]
教育に希望をいだく者にとって、本校本八幡塾の未来に生きる子供たちには、学びを最優先にしてほしいと願いますが、現実にはそのままの願いどおりというわけにはいきません。ここ本八幡に限らず、市川市に限らず、子供の時期に夢中になるひとつが、残念ながらゲームです。最近ではソーシャルゲームが流行り、大人のユーザーが多いことも考えれば、なかなかゲームとは手ごわい相手です。
子供がゲームにはまる最大の原因は、容易に操作の選択できるからです。常にゲームの手順に従いながら、そのなかで選択肢がほどよい数で与えられ、その範囲のなかにあっては、主体的に進むべき道を選びます。こうした自動的に出現する選択肢を選んで進むことで、選択肢と選択肢の組み合わせは無数にのぼり、あたかもそれが本物の世界にいるような感覚となり、心地よい世界での快感に酔いしれます。実際には仮想のバーチャル世界でしかないのに、そこにはまりこんでいる最中は、もしかしたら現実世界よりも、リアルな感覚に入り込むのかもしれません。
しかし、その最も熱中する世界は、やはり仮想であって、いつか本物の世界に当然戻ることになります。やはり所詮は偽物の世界なので、費やした時間は、現実世界においては、ただの徒労、浪費となり、むしろ現実世界において、やるべきことを考えれば、バーチャル世界で過ごす時間は足を引っ張る魔の手となりがちです。
したがって、ゲームに時間を費やし過ぎたとき、怒られることはあれ、決して褒められることはないはずです。
ただここで強調しておきたいのは、選択です。ゲームの世界と比べ、はるかに現実の世界における選択の幅は大きく、その無数にわたる選択肢と選択肢とを組み合わせることで、より壮大な世界を創造できます。この膨張する雄大な人生という世界に比べれば、バーチャル世界など、砂粒ほどに小さいことは明らかです。どちらが魅力的かといえば、言わずもがな、現実世界のほうに決まっています。
実は人間は選択したいと思っています。この選択がスムーズにいくことが、人の喜びです。ゲームの世界では程よい数で、常に選択肢が与えられるので、これが子供たちの心地よい快感となります。
ところが、現実世界はそうはいきません。選択の幅はあまりに多く、その半面、誰かが与えてくれる場面など少なく、自ら選択肢自体を集めてこなくてはなりません。これが煩わしい、面倒くさいと思うので、色とりどりの豊かな選択肢があるにもかかわらず、選ばないという選択をとります。つまり人間は選択肢がしぼりこまれているなら、よろこんで選択するが、かえって選択の幅が多いと、もういいや、選ばないと、現状維持を決め込みます。
そうすると、これを教育の場で考えるなら、現実世界をより潤いあるもとのとし、幸せを享受するためには、数多くの選択肢を、ある程度の数にしぼってあげることが得策です。何をやったらよいのか、すぐに悩んで前へ進めなくなるのが子供です。そんなときは、選択肢を与えてあげ、滞りなく選べる状況にしてあげられるかも、本校本八幡塾での担任の務めでもあります。
ただ、これだけははっきりさせておかなくてはなりません。まだ未熟な学生時代だから、大人の力を借りて、選択肢を用意してもらえます。しかし、いつか大人となり、いっぱしに社会へ出ていくとき、選択肢を集めるのは自分であり、その中から自己決定する社会的責任があります。
そしてもうひとつ。かつて自分がそうであったように、後から続く若者たちに対して、自らの自己決定力を示すことで優れた手本となり、あるいは、よき助言者となることで、社会の循環をつくる必要があります。