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個別・少人数集団の塾「あっぷ指導会」
船堀校(あっぷ船堀)

[2012年8月13日]

塾・市川市本八幡の学習塾:社会に出てこその、真の学問の価値

 もちろん、学習塾において、第一志望合格は大いなる仕事であることは疑いのない事実です。しかし、ここを強調しますが、合格は手段であって、最終目標、最終目的ではありません。

 なぜなら、ただよい高校、よい大学へ進学すれば、人生バラ色とはいえないからです。寧ろ、そのようにとらえて、歩んでいくとしたら、待っているのは暗澹たる未来でしょう。学歴を得ることも人生においてアドバンテージとなるでしょう。あるいは優れた学識をもつ人間が集まり、そこで切磋琢磨する環境は、充分その人を陶冶することでしょう。しかしだからといって、あたかもたかだか16年ほどの学生時代だけで人生が決まると思ったら、大間違いです。これから40年以上の社会人としての生活が待っているのです。大学生活がゴールではありません。大学が終わったらようやく、本当の意味で生きる力が試されます。スタートはまさにここからです。

 我々は人です。人は、「考える脳」を育てることで、生きてきた生き物です。他の生き物と比較にならない進化を遂げてきたのも、人に思考する脳が備わっているからです。人類は長い歴史をかけて、脳の中でも、学習の源となる大脳新皮質を大きくしてきましたが、今なお人は、資本主義の国際競争の中、脳を駆使し、あらゆる知恵を出し、たとえば、太陽電池を開発し、フェイスブックのようなソーシャルネットワーキングサービスを生み出すことで、社会での営みをより快適にしています。

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 こうした経済の中で、専ら学生時代は、多くの場合、親の庇護の下、コンシューマー(消費者)の側に回っていればよかったわけです。日本の憲法において、子供のうちは、働く義務、納税の義務は免除され、その代り、将来優秀な人材として活躍すべく、学問を修めることが、ある意味、学生に特化した役割です。この時期が終われば、要するに大人になった途端、消費の側だけではなく、社会に商品やサービスを生み出す生産者の役割を当然負わなければなりません。

 そして、何よりも、いわゆる社会人として、それが小さなフィールドであれ、大きなフィールドであれ、社会に恩恵を与えるには、我々は上手に思考しなければなりません。学生時代に育て、そして社会に出てから実務を通し、さらに発展させていく脳を駆使することが求められます。これこそ、人生における醍醐味です。経済において、不特定多数のうちの一人としてただ与えられる学生時分の側から、不特定多数のうちの一人として、恩恵を与える側にも回るのです。消費する喜びも喜びのひとつでしょうが、何かを生み出し、少しでも社会に貢献する喜びはスケールが違います

 だからこそ、学生のうちに、ぜひとも生きる上での支柱となる学問を修めてください。そして、この学問を支えとして、どんなフィールドであれ、率先して思考し、決断し、実行できるリーダーとなってください。社会に出てこそ、いっそう実務を通し、学生時代の比でないくらいに柔軟に学び、創造的な仕事をすることの喜びを得てください

 世の中には、一生懸命やらなければならないのに、傍観者に回る人がいます。本当は自分自身が携わらなければならないのに、まるで他人事のように見て見ぬふりをする人もいます。最悪は、何かに挑戦する真摯な人間に対して、ただ批判するだけで満足してしまう人もいます。こうした人間が結構な数にのぼるので、社会は1割の勤勉な人間だけで動かしているというデータもあります。

 とりわけ留意すべきは、日本が今斜陽の時代を迎えていることです。経済的没落の道を進み始めておりますが、この理由はいくつもあります。ただこの中で、クローズアップしたいのは、日本人の中における、傍観者的体質の人材が増えてしまったことです。残念ながら私のような年代にも無気力な大人が増えてきているように感じます。これではいっそう日本の社会は衰退してしまいます。ですから、若く未来ある学生たちに、あえて求めます。

 どうか、学問を修め、学問を支えとして、日本、世界のリーダーとなってください

 もちろん求めるだけではありません。私どもも、塾人として、社会における責務を全うしなければなりません。私どものクリエイティビティもまた試されております。

 受験という手段を通し、なみなみと学問の力を注ぎこむのが、私どもあっぷ指導会のつとめだと信じております
 
 いずれ日本、世界のリーダーとなるべく、学生たちに、学問を修養させること、ならびに学問を修める愉しみを享受させることこそ、私どもの大いなる仕事です