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個別・少人数集団の塾「あっぷ指導会」
船堀校(あっぷ船堀)

[2012年8月18日]

塾・市川市本八幡の学習塾:塾の指導と学び

 本日もまた、当塾江戸川区西葛西校では、受験生を中心として、夏学習が展開されています。熱心に学ぶ子供たちの様子、熱血指導する担任たちの姿を見るに、これからの目指すべき教育のあり方を考えます。 

 やはり、私どもの学習塾の仕事は、教えることが主軸となりますが、教育人として気をつけなければなりません。

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 いみじくも、ロシアの劇作家アントン・チェーホフは、こんな言葉を遺しています。

愚者は教えたがり、賢者は学びたがる

 これを鵜呑みにして、愚者は教えたがる──を強調すると、教えるという行為自体が愚かということになるかもしれません。もしも、そのままチェーホフの言葉を実践しようなどと考えたら、教える側がいて、学ぶ側がいてこそ成り立つ教育が破綻してしまいます。

 しかしながら、そこは、どう解釈するかです。同じ言葉、同じツール、同じ環境であっても、その利用者のとらえ方ひとつで、その効果が変わってきます。情報を受信する際の、解釈力は、人間の叡智において、とても重要な役割を持ちます。

 さて、「愚者は教えたがり、賢者は学びたがる」をどう解釈し、指導者としてどのように利用するかということになります。

 教育者として、子供に教えることで、実は子供から教えられることはたくさんあります。私自身、真実思うことですが、教育とは不思議なもので、年端もいかぬ子供から学んだことが、今の自分をつくっています。その代表例として3つ挙げます。

 まず、知らないを隠さず、自分の弱さをさらけ出せるタイプは、担任の学習技術を余すところなく吸い込む膨大な吸収力を発揮します。一方でプライド高くできたフリをすると、いつまでたっても改善を果たせないので、時間を止め、自分の成長にブレーキを踏み続けることになります。

 2つ目です。また少々処理スピードが遅くても、答えへたどりつくプロセスを重んじ、丁寧にノート中心型学習を信じる子供は、情報の整理能力が高まり、さらには忘却期間の備えをノートとすることで、いつでも記憶をよみがえらせることができます。こうした学びはぜひ小学生時代に獲得すべきです。なぜならこの先の大学受験では数学や英語でも思考レベルの仕組みが難しく、いっそうノートを頼りとして、プロセス重視型学習に力点を置かなければならないからです。

 少し学びの角度を変えますが、3点目です。机に向かう学習は学びの基本なので、学業を主体としながらも、一方で部活や学校行事など、何でも挑戦する子供は、大きな世界観の中で幅広く知恵をつけます。社会に出て、新しい商品、新しいサービスを生み出すときにクリエイティビティー(創造性)という能力が重要だとされていますが、学生時代のさまざまな経験が、思考力を豊かに育てていることで、社会人になったときの仕事力に受益をもたらします。

 この3つの事例をはじめとして、実際にはずっと子供たちから学ぶことがたくさんあります。教育人として教えるという行為は当然大切ですが、彼らの学びのスタート時期とそこからの成長力を知り、そのプロセスで何が効果的だったのか分析することは、教育者にとって、かけがえのない学びです。「教えること」以上にずっと貴重な価値が、「教えることを通して学ぶこと」にあります。

 やはり、チェーホフの言葉は本物であると、信じます。

「愚者は教えたがり、賢者は学びたがる」

 もちろん、不遜にも自分を賢者と位置づけるのはおこがましいですし、ましてやその域に達しているとは到底言えません。
 
 ただ、教育者たるもの、教える中で、大いに学ぶべきであって、気持ちの柱として、教えたがるより学びたがることです。言うなれば、教えるよりも学ぶことに重きを置く教育者こそ、私が目指す理想像ですが、チェーホフがその指針を後押ししてくれるのだと思います。