[2012年8月21日]
当塾市川市本八幡校の生徒に限らず、人間の行動を観察するに、時として感情は、その使い方によって莫大なエネルギーを生み出します。ですが、とかく情報の処理においては、感情が後押しする個人的見解を、極力排除しなければなりません。きれいに感情を切り捨てた事実で、適宜判断することによって、「正しさを求めた場合の情報の価値」はぐんと高まるからです。
冷静に正しく見つめることを是としたときに、日本人として、とても残念ながら、今在る事実を受け入れなくてはならない時代にあります。
たとえば、明日グーグルがなくなったら、世界はどう変わるでしょう。たとえばアップルがなくなったら、日常はどれだけ不便をきたすでしょう。グーグルの消失であれば、簡単に検索エンジンにかけて、すぐさまあれこれ調べることは難しくなります。ある日突然アップルの姿形が跡形もなくなったなら、操作性の高い携帯端末が使えなくなり、オンライン時代の人と人とをつなぐコミュニケーションはもはや成り立ちません。それだけ、二つの会社のデバイスは、ライフスタイルに溶け込んでごく当たり前になっていることを意味します。
一方で、かつてなら、ソニーがなくなったら、あるいはパナソニックがなくなったらという言葉は世界に衝撃を与えたでしょうが、それは過去のことであって、今となってはいくらでも取って代わる会社があると誰もが思います。
いったん過去を振り返ります。日本の競争力が強かった時代、貿易摩擦を引き起こせば、すぐさまジャパンバッシングを心配しなくてはなりませんでした。ところが、時代とともに、日本の影響力は失われ、ジャパンバッシングならぬ、ジャパンパッシングと揶揄され、本当に日本はパス(素通り)され、さらにそれが、ジャパンナッシングと、ないに等しい国と切って捨てられるくらい、日本の存在感は薄まっています。
確実に日本がお家芸とした労働集約的、製造業主体のビジネスモデルが世界の中心にあった時代は終わりです。今まさに世界をリードする企業の多くが、グーグルがそうであるように、新しい発想を基軸とした情報集約型、あるいは新しいライフスタイルそのものを提案できる新産業構造にシフトしています。
この新たな産業構造時代において、教育もまた変わらなければなりません。かつてとは異なり日本基準が通用しない今、世界基準を核とし、若い世代を育てていく使命が、教育の現場にはあります。学校での成績向上、志望校合格が果たせれば、人生バラ色などというのは幻想です。進学という近い未来で切り取って、学生時代の経験の多くが、ほとんど社会に役に立てらないレベルの教育であるならやはり考え物です。
だからこそ、今在る学びの一つ一つを、進学へ結び付けながら、その力を未来に活躍する一点へ着実につなげることです。これからの教育は、社会に出て活躍できる人材を育てていかなければなりません。