[2012年8月31日]
そもそも国が税金を投入する以上、国策のひとつとして、教育があります。国の豊かさの指標ともなると、いくつかの基準値がありますが、仮に、GDP(国内総生産)を向上させることで、経済的繁栄をもたらしうると考えるとしたら、国民一人当たりの生産性をいかに高めるかにかかってきます。
しかしながら、実際に働く人間の年齢は、20歳を過ぎてから、おおよそ65歳くらいまでですから、子供や老人は消費の役割は担っても、生産側での貢献度はあまりに期待できません。
もちろん消費の拡大も当然必要ですが、生産と消費を両立する働き手の価値を強調するなら、この世に生まれた途端に、働き手として、仕事をこなし、GDP向上の寄与に貢献できるのなら、国の運営は最も効率化します。
考えてもみてください。教育へ税金を投入せずに、しかも大卒まで20数年の厄介なモラトリアムなくして、経済活動の戦力になるのです。どんなに国は富むことでしょう。
とはいえ、ここまでの話、私自身も自覚しておりますが、世迷言であって、生まれたときから、生産側に属することなどありえません。
やはり人間の成長という問題があります。どうしても人間と言う生き物は、ほかの動物に対して機能的に優れているので、その分成長に時間がかかります。
とくに、後天的知能を司る大脳新皮質の発達は、教育という外部刺激なくして、促進されません。どんなに才能ある遺伝情報を持っていたとしても、生まれてから付与される教育なくして、社会の営みの戦力になりえません。
そうすると、国策の観点から、いかに国を豊かにするかを優先順位の一番手としたのなら、当然、教育によって、優秀な人材を育てなければなりません。この場合の優秀な人材とは、GDPの向上に寄与する働き手であって、簡単にいえば、仕事のできる大人です。
ところが、この国はとても愚かなことに、教育と社会をつなげません。
いかに経済的豊かさをもたらすために、本当の意味で社会の担い手となる人材を育成するか、その点、日本の教育制度はあまりに無力です。
多くの教育者は、かつて自分がそうであったように、とにかく名の知れた大学を卒業さえすれば、何となくなるだろうと高をくくっています。
大学を卒業するまでに、自分のやりたい仕事を見つけるならまだよい方で、いざ社会に出るときになっても、矮小な自分さがしを求めたりします。本当にやりたいのは、こんな仕事ではない。もっと自分を認めてくれる会社はほかにあるはずだ、などと、うまくいかないのは、いつだって環境のせいにして、自分自身の人生を本気になって見つめません。このような自己愛肥大型のフレッシュマンはきっとどの職場にも現れたりするのではないでしょうか。
本当ならば、国策として経済活動を循環させ、経済的富を高めるために教育が重要なら、小学生のときから、自分の未来像に対して真剣に向き合いさせ、今の学びの価値を高めなくてはなりません。
本当に自分のやりたいことは何であって、このやりたいことがどのように、社会に貢献していくか、壮大なビジョンを創ることは、自分が生きる価値まで高めてくれるはずです。
受験なんてものは、この間のプロセスでしかありません。自分が将来躍動的に仕事で立ち回る際の、わき役でしかないのが、各種日本の受験制度のはずです。したがって、教育機関で中心となる教育は、たった一つです。今学ぶ自分を、未来に活躍する自分へつなげること一点です。
しかし、実際に私自身の経験として、小学から大学までの間、本気になって世に優れた人材を送り出そうと、あらゆる手を尽くす先生はいませんでした。おそらく私に出会いの運がなかったのではなく、これがやはり日本の教育現場の真実でないでしょうか。言うに及ばず、私自身も、過去において、モラトリアムに生きた無気力学生であったことは付言し、反省の情を持たなくてはならないでしょう。
ただ幸いなことに、ここ最近になって、中学や高校で、キャリア教育に力を入れる学校が出てきているので、日本の教育も捨てたものではありません。おそらく未来の日本への危機意識の浸透が、教育現場で化学変化をもたらし始めているのでしょう。都内でいえば、公立中高一貫校の改革は、実にたのもしい限りですし、また秋田の国際教養大学の挑戦は、私自身、多くを学ぶところがあります。今の日本に、少ないながらも優れた教育者がいるのは確かです。
私自身も、教育に生きる以上、世に優れた人材を輩出することが使命だと思っております。その一環として、当塾では、今在る一つ一つの学びを、受験を超えて、未来に活躍するその一点へつなげる教育を推進しているわけですが、とてもうれしいことに、未来のビジョンがはっきりしている子ほど、成績がよく、第一志望校に進学するケースが目立ちます。
こうした例は、ある進学校でも顕著で、キャリアデザインが明確に整っている生徒ほど、成績がよく、大学合格率も高いそうです。
どうしたって才能だけで生きていけないのが人間です。社会の担い手として誇れる人材になるには、やはり学習です。学習なくして、到底、無力な人間を育てることはできません。
だからこそ、当塾あっぷ本八幡校もまた教育の現場として、その責務の重さを真摯に受けとめ、ただひたむきに、社会に出て活躍できる人間創りに、取り組んでまいります。