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個別・少人数集団の塾「あっぷ指導会」
船堀校(あっぷ船堀)

[2012年9月6日]

塾・市川市本八幡の学習塾:学問が未来を支える その2

 もしも今、学生時代にあるなら、思い切り自分の将来像を描いてください。本気で自分がやりたい仕事が何であって、その仕事が、どれだけ人の支えになるのか、イマジネーションを働かせてください。ぜひ、これがやりたいんだ、と体がはじけてしまうくらいに、未来に生きる自分の像を際立たせてください。

 そして、いったん息を整えてから、未来から今へ時間軸を移してください。未来にある自分のビジョンが、今と果たしてつながっているのか。今学ぶ一つ一つの学習が、自分の将来像と握手するようにがっちりと握り合っているのかどうか。

 折しも今、大学受験の推薦入試、AO入試を迎えている時期ですが、もしも自分の将来像を描くことができないとしたら、もしくは大学へ入ってから考えますという立場をとる方は、正々堂々と一般試験へ向かうべきです。やはり受験資格があるのは、未来への確固としたビジョンを持つ志高き人材です

 幼くも小論・作文・面接の方が楽そうだからと、あるいは早い時期に決まると遊べるからと推薦・AOを選択するとしたら、それだけはおすすめしません。おそらく大学入試をドーピングのようなことをして、仮に運よく合格したとしても、ひとたび実力世界の社会に出たのなら、木端微塵に打ち砕かれるに決まっているからです。

 したがって安易や狡猾は、ただ自分の生きる力を毀損するだけで、待っているのは逃れられない不幸せです。一度楽を選んだ者は、まさに薬物に魂を売るのと同じで、大学に入ってろくな生活を送りません。この未来に待つ社会のためにも、若い才能を放恣によってつぶすことだけは、ぜひとも回避してください。

 ただし、小論・作文・面接の試験は、学校側の課題や採点官が優れているのなら、とても優れた学びです。なぜなら、社会に出たときに最も求められるスキルは、プランニングやプレゼンテーションであって、早々とその訓練の場が大学習入試にて登場するからです。実は私は条件付きの推薦・AO肯定派の立場をとります。ある意味、一般入試よりもずっと努力すべき試験という位置付けと考えています。

 この小論型の学習テクストは、真剣に向かうのなら、どんな学習よりも、自分を磨いてくれます。これまでの学業の集大成こそが、作文力にあると言えるのかもしれません。そのくらいに自分が修めてきた学業や自分の経験を収集し、小論テーマに沿った内容にまとめ上げられるかどうかは相当な手腕が要求されます人を魅了するプランニング力と、人から関心を払われるようなプレゼンテーション能力は、学問の奥義と言えるかもしれません

 ただ文字数を埋めればよいなど考えるのなら、きっと小学1年生から学習をやり直すべきでしょう。最初から思いつくままに書くなどというのも愚行です。

 きちんと小論の課題テーマを抑えたなら、まずはリサーチとアイデアだしです。何の材料もなく、ひらめきだけで書けるものではありませんので、まずは序盤戦として材料づくりに奔走すべきです。ここであらゆる学問の力を総動員しますが、よく当塾にて技術指導をしますと、本当に発言が偉そうで恐縮してしまいますが、この地道で丹念な思索的方法論に、学生たちはびっくりします。

 もちろん、技術論はここまでなら1割も説明したうちには入りませんが、もしも作文指導の全過程を終えたとき、きっと社会に出て生きることの意味をわかっていただけるかと思います。そのくらい、自己を表現する技術とは奥が深く、学問が何たるものであって、これが社会に生きるときにどれだけの支えとなるのか、その本質を知ることになります。そして作文奥義を窮めた者は、自分の未来に対して真剣な眼差しを向けてくれます。このきりりとした大人の目になることが何よりもうれしいことです。

 おそらく──ここに願いを込めますが、彼らは苦心の末に生きていく力を手に入れたはずです。推薦やAO入試などの結果を飛び越えて、彼らが社会に出たとき、時として悩むことはあれ、積み重ねた学問の力を借りて、困難を乗り越えるだけのエネルギーがあるはずです。決して自己愛を肥大させることなく、問題の本質をとらえ、社会や会社という環境をつくる仕事人として、どんな解決にも向けて、仲間とともに人間の叡智を結集させる人物になりうるのではないでしょうか。

 この社会というフィールドに跳び出したときにこそ、学生時代に学んできた価値が出るというものです。教育とはやはり社会の中の実務につながり、問題の解決に役立ったときにはじめて光り輝く財産なのだと思います。