[2012年11月9日]
突然、あらすじを書きなさい、あるいは作文を書きなさいと子供たちに指示してみます。たちまち子供たちは国語を毛嫌いするでしょう。多くの場合、学校の国語の先生がこれを短絡的にやりがちです。きつい言葉でいえば、国語嫌いを世の中に増殖させるのは、大方学校の先生です。
かつて私自身もそんな国語嫌いの子供でしたし、「ああ、同じ経験をした」とうなずく大人たちも多いでしょう。
ところが、どの世界にも優れた人はいます。
その優れた先生なら、まずお手本を示します。いかに生徒にわかりやすく、かつ面白がらせるようあれこれ工夫して、小説のあらすじを語ります。要するに先生自らが口頭で100点満点の答案を披露するのです。
それが実に見事な答案なら、きっと子供たちは体を前のめりにさせ、目をらんらんと輝かせて聞き入るでしょう。すごい、面白いと思えば、本を読むことにもっと興味を示すでしょうし、人にそれを語りたい、書いて見てもらいたいという欲求があふれることでしょう。
「学び」の基本は、人を「まねる」ことです。先生自らが手本を示し、生徒がそのまねをすることで、学習技術を習得する。この「まねる」の学習過程こそ、本来あるべき学習の原風景といえるのかもしれません。しかしながら、問題は前を走る先導者に、子供がついてくるかです。聞き分けのない子に対して、高圧的にまねなさいと言ってみたらどうでしょう。かえって反発するだけで、学習嫌いを誘発させかねません。
だからこそ、前段の優れた先生の例が生きてきます。イソップ童話の「北風と太陽」の太陽のごとく、生徒の自発性をくすぐり、自分も先生と同じことができるようになりたいと心理を誘導できるかが、勝負です。そのためにも、まねをしてもらうに値するだけの、学習技術を教師は磨かなければなりません。
では、この技術をいかに養成するかですが、生徒に自発性が大切であるように、教師にも自発性が求められます。子供たちがそうであるように、教師自らが学習を楽しむ姿勢が不可欠です。学習を楽しむなど不謹慎だと怒る人もいるかもしれませんが、この場合の「楽しむ」は、決して“楽(らく)”をしてはしゃぐ、主旨からはずれ手を抜く事で気楽な気分でいる、という意味ではありません。自らの学習への好奇心を駆り立て、学習に心底のめりこむ、他のことに目移りしないくらい没頭する、という意味です。
「学習を楽しむ」を肯定できるとしたら、きっと肩の荷が下りたはずです。勉強は苦難、忍耐との考えを切り捨て、「前向きに生徒と楽しんで学習しよう」という心理を、発火点とすればよいのですから、心は浮き立つはずです。
とても基本的なことですが、知的好奇心にあふれるのは人間の特性です。脳科学における詳細は、当ブログにてすでに説明しているので割愛しますが、子供も大人も人間であるなら、学習する喜びは脳の回路に内在化しています。脳科学の「学び=喜び」に従うとすれば、何も悩んでいるくらいなら、いっそ学習を心行くまで楽しんでしまえばよいのです。
あっぷの成績向上プロジェクト 成績優秀者
金賞:Sくん (本八幡校)
銀賞:Hくん (西葛西校)
銅賞:Mさん (船堀校)
*当塾成績向上委員会が、教室推薦を受けた生徒の成績を判断材料とし、厳正な審査の下、決定致しました。また学習の一助となることを願い、当塾代表より表彰し、図書券を贈呈します。