[2012年11月27日]
ある人間の人生を振り返るとしましょう。1つの成功に対し、9つ程度の失敗をしているかもしれません。
しかし、ものごとをポジティブに解釈するなら、9つの失敗を経るからこそ、人生において価値ある1の成功を手にすることができます。
仮に失敗を恐れ、何もせず、現実逃避をきめこむなら、当然成功の喜びを知ることはないでしょう。
ただし、あっけらかんと失敗すればよいと言えば無責任でしょう。そこに失敗する勇気を持ち合わせた人がいるなら、その勇気ある人間は、失敗から学ぶ人間であるべきです。失敗によって迷惑をかけた人たちが周囲にいるのなら、償いから避けて通ることはできないでしょう。
だからといって、この心的ストレスから逃れず、ただ誠実に失敗から学ぶ精神があるのなら、その人は、きっと何かを達成できるはずです。
反対にその人が、長い年月生きてきて、他人から見て誇れるようなことが一つとしてないとすれば、失敗から逃げ続けてきたということです。確かに何もトライしなければ、失敗は露見せず、批判の矢面に立つことはないでしょう。心的負担はないかもしれません。
ただ、これを1年、あるいは10年続けたとしましょう。逃避した者と、失敗を恐れなかった者との人生は大いに変わっているはずです。成長力を考えれば、どちらの人生が幸せか一目瞭然です。
こうした人生観を語ると、一方的に学生たちに押しつけてしまいがちですが、私が指摘するのは、教育業界で生きる者たちです。
教育者たる者、自らが手本となり、率先垂範すべきですが、先生業というのは職人気質で長年培った自分の型を優先にしがちです。
ところが、昔と今は違います。何年も何年も一向に変わらない、一方的に生徒へ教育を施す手法などもってのほかです。ただえらぶる自己肯定を捨て、昔ながらの絶対権威と言う小さな枠を破壊し、彼ら自らが自己の世界観を広げるべきです。
幸いにも、変革を目指す、教育関係者にお会いする機会があると、とても感銘を受け、自分の器の小ささを思い知らされます。
とりわけ公立高校の経営改革が進行しておりますので、公立高校の校長先生方や、あるいは公立に負けまいと「生徒の育成改革」の旗振り役を務める私立の先生方にお会いすると大いなる刺激を受けます。
一方で、教職員たちが組合化し、生徒のことそっちのけで、既得権益を守ろうとする例がありますが、こうしたお話しをきくと、実に悲しくなります。
テクノロジーが大きく進化を遂げた時代に至っては、どの産業もひとしく、教育者もまた時に失敗にもがきながらも、自ら変革を引き起こさなければなりません。むしろ、教育に生きる者だからこそ、自分に厳しくするべきです。生徒に厳しく、自分に甘くという精神ほど醜いものはありません。
ぜひこの身にも充分言い聞かせたいと思いますが、もっと命がけで、もっと体を張って、生徒の行く末を案じてはいかがでしょう。本気で生徒の幸せを願うなら、その生徒以上に努力を示せるかが、本当の教育者の価値です。
あっぷの成績向上プロジェクト 成績優秀者
金賞:Sくん (本八幡校)
銀賞:Hくん (西葛西校)
銅賞:Mさん (船堀校)
*当塾成績向上委員会が、教室推薦を受けた生徒の成績を判断材料とし、厳正な審査の下、決定致しました。また学習の一助となることを願い、当塾代表より表彰し、図書券を贈呈します。