[2012年12月13日]
【本八幡教室情報 受験対策月間】
受験相談会実施(公立入試内申点基準 併願優遇 塾推薦等説明) 12月22日(土曜日)まで
過去問対策学習会スタート! 12月から
18世紀初頭、江戸の人口は百万人を超え、当時世界一の人口を誇ったという話もあります。
人で賑わうということは、そこで生活する人々の暮らし向きの良さがうかがいしれます。
さて、その当時の生活はどんなものだったのでしょう。
江戸という町はほとんどが埋め立てによって土地を広げていますので、当然地下水をくみ上げようものなら、塩水なので飲み水にはなりません。そのため、水道を普及させなければ、人間はそこで生活を営むことができません。二大上水のひとつ神田上水は16世紀末期にその開設が始まりました。東京にお住まいであれば、おそらく水道橋は御存知でしょうが、神田川の上を、水道を渡すためにつくられた懸桶(かけい 川を渡す木製の水道の橋)に由来するのが、今ものこる水道橋の地名です。
当時の江戸の水道設備は、人口百万人の飲み水をまかなう規模でしたので、世界一とも言われています。
江戸の町が優れているのは、飲み水だけではありません。環境に優しいリサイクル社会だったこともまた、世界一清潔な都市と誇れる江戸の循環システムです。長屋には共用のかわやがあり、そこで町人たちが用を足します。溜まった糞尿はそれを買い取る業者が存在し、牛車や船で郊外の農村地帯に送り届け、江戸の糞尿は畑地の肥料として使われました。肥が田舎へ運ばれ、肥を利用してつくられた作物は江戸に届けられるという、まさに循環型社会が存在していたのです。
教育においても当時世界一だったと言ってよいかもしれません。
江戸時代末期、江戸の成人男性の識字率は、70パーセントを超えており、ロンドン20パーセント、パリの10パーセントをはるかに凌いでいました。このように世界有数の教育国となれたのは、寺子屋の普及が進んでいたからです。その当時最大で、全国に5万ほどの寺子屋があったともいいます。
ところで、現在の寺子屋の役割が、学習塾にあるならば、私どもの仕事は大きな責務と使命を負っていることになります。
優れた人材を世に送り出すためにも、生徒たちの学力を向上させなければなりません。