[2013年2月20日]
かつてギリシャの哲学者ソクラテスは、いわゆる「無知の知」という言葉を使いました。
「自分自身が無知であることを知っている人間は、自分自身が無知であることを知らない人間より賢い」
舞台は、繁栄期の紀元前5世紀ごろのギリシャです。当時、ソフィストといって、弁論術や政治・法律などを教える職業的教育家がいました。
その中には、言論を操る詭弁家がおり、ソクラテスは彼らの行動を問題視します。彼らは裁判や議会に出るや、こじつけの論法で自分の都合のよいように言い立てたからです。自分の利益誘導のために、言葉を弄し、こうしたエゴイズムをはびこらせることで、社会の秩序を乱していったのです。
そこでソクラテスが言い放った言葉が、「無知の知」です。
「自分自身が知らないことを知ることが、本当に知るということであって、こじつけの論を展開する詭弁家は、自分たちが無知であることを恥じて知るべきだ」と暗に諭しているわけです。
自分が無知であると知らない限り、いつまでたっても現状維持の自己肯定が続くので、おかしな自分を変えることはできません。
しかし、ソクラテスが指摘するように、ひとたび、無知であることを自覚すれば、旺盛に学び、自らを変え、自らを成長させる自己変革が爆発的に起きます。
このような改善を支柱とした思想が、知識人をはじめとして、多くの民衆に広がっていけば、社会の秩序は健全へと向かうことになるはずです。
学習塾でも同じ現象が起きます。かつてのソフィストのように、知ったふりをする生徒は、いつまでも思考の現状維持を続けるので、成長が見られません。対して、自分の無知をあからさまにできる生徒は、常に学ぼうと言う気持ちがあるので、どこまでも思考は豊かになります。
「知らない」を知り、無知の自分を改善したいと願うなら、途轍もない成長力を生み出すことでしょう。仮に時間軸を未来にまで大きく広げたならば、とどのつまり、優れた人間とは、「自分の無知を知る未来成長型の人材」なのかもしれません。